アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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Cigarette's Blues-シガレッツ・ブルース

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かく言う自分も、昨今の新型コロナウイルスの猛威に戦々恐々とする1人の人間である。ここ数ヶ月に渡って我々の生活、そして命を脅かし続けていることは言うまでもない。

 

まあ自分も今日までにおける政府の対応やら、未だ危機感の薄い人々やらにああだのこうだの吐き散らしたい欲望はありつつも、現状このブログのおちゃらけたテイストにはあまり合っていないので、書かない。時としてはいち社会人いち人間として、ポリティカルな内容への言及も必要になるかもしれませんが。「考える事をやめないでいよう」という言葉だけ残させてください。大事ですからね、社会にとっても、他人にとっても。

ともあれここでは楽しくやりましょう。どうかお付き合いよろしくお願いいたします。

 

私アッチも、仕事と食料品の買い物以外は殆ど家から出ない、自粛生活を送っております。言うても、今年の2月入って以降はもう地元埼玉からは(意識的に)出ておりません。

 

私は職種柄(会社柄?)現状まだ特殊な変化なく仕事をしているのですが、普段は電車通勤のところ晴れた日は自転車で職場まで通ってみたりして、“3密”を上手く避けながら、サイクリングさながら気分転換を楽しむ生活です。

とにかく今は我慢ですからね。頑張って乗り越えていきましょう。

 

 

そんなコロナウイルスの影響が世界各地や我々の身の回りで出始めている中、私の生活にもとある影響が出てきているのである。

 

煙草を吸える場所が無いのである。軒並み、職場の喫煙室は封鎖状態である。

 

 

実は私アッチ(30)は喫煙者である。いや、“あった”とでも言おうか…。

 

 

元々は大の嫌煙家とも言える部類だった自身であったが、26歳の時に心の奥底に眠る冒険心が、ふと煙草への道へと誘った。吸い始めはその煙たさや匂いに苦戦を強いられたものの、慣れてしまってからは生活に無くてはならない存在に。

 

とは言ってもライトスモーカーの方だとは自負している。2日で1箱吸い終えるくらいのペースかつ、煙草のタールは1mg(メビウスのイエローオプションを愛吸)。

 

じゃあなんで吸っているんだ、という話になってきてしまうが、やはり煙草があると無いとで違うんですよね。確かに気を紛らわしてくれるような、ストレス解消の一端を担う効果もとい成分がソイツにはあると思うし、1人でも、また友人と一緒にでも煙草を吸ってチルアウトする時間が好きだ。大人の時間やなぁ、思う。自分に箔がついた気もする。とは言え当然体には害が有りますが。

 

ただ、ここ最近は吸える場所が無く、仕事の日も休憩中に吸うことが無くなったので、それに伴い日に日に1日の喫煙本数が減少していったのである。

 

1週間程前の事である。自宅で起き抜けに煙草を吸ったその時、ニコクラ(ニコチンで頭がクラクラとする現象)が酷く、倒れるんじゃないかというレベルであった。血の気が引いて貧血寸前かのような状態。非常に冷や冷やとして、恐かったのだ。吸わない生活に慣れてしまい、体が受け付けなくなったのだろうか。それとも神のお告げか…。

 

 

この瞬間自分は決意したのである。

そうだ、もう煙草を辞めよう、と。

 

 

 

と言うわけで、現在5日目である。当時残っていた最後の1箱を吸い終えて以降購入自体を止め、全く吸っていない生活を送っております。

 

ただ、自分に関しては先述のように元々の喫煙本数が少ないことと、喫煙期間が短かったことが、このような状態に成れる要因だと思います。何故敢えてこのように言うのか。それはつまり、やはり吸いたいと思うからです。煙草美味しいんですよ。正直この記事書くのも中々にしんどい。自ら吸いたさを助長しているのである。あれば吸ってますから、恐らく。

 

それにしても、体質の変化(?)が呼び寄せた、全く予想していなかった突然の事態である。よって煙草への愛情が消えたわけではない。

今この状態は、“距離を置いている”とでも言おうか。本当は愛しているオマエだけれども、一緒にいるとオレはダメになってしまうのだと…。哀愁すらあるのである。まさにブルースだ。叙情詩である。切ない、とも言える。

 

 

まああれですね。友人との飲みの席や、煙草があった方が素敵な場面ではまたソイツの力を借りると思いますね。ただ、自分で能動的に率先して吸うことは辞めにします。と言うか、辞めることを頑張ってみます。

 

世間的にもマジで吸える場所無くなっていますからね、この4月以降。コロナ関係なく。まあ丁度良いのでしょう。己の健康のため。何しろ、仮にコロナにかかってしまったとしても、煙草吸っていないことは良いことですからね。

 

 

というわけで、どうか当ブログが少しでも皆様方の自粛生活の気晴らしになれば!ではまた!

 

 

“変態”って、何なのさ

ニガミ17才(というロックバンド)の岩下優介(Vo.&Gt.)と平沢あくび(Syn.)が深夜のテレビ番組に出演しているのをたまたま観た。まず始めに言うが、私はこのバンドへの興味は殆ど無い。所詮「ただし、BGM」の一発屋だと思っている。今回このバンドを紹介するために名前を出しているわけではないので、気になった読者の皆様は各々でお調べいただけると有難い。

(愛を込めていればこのようにちゃんと書きます)

 

俗に言う、“一般的な感覚とは多少ズレた奇怪”な音楽性のバンドである。簡単に言うと“変態”さをウリにしている、と言ったところだろうか。直球ではない、って感じかね。

 

世間的な知名度はまだ並以下と言ったところでしょう(それが「悪い」ことではないことは説明無用でよろしく)。まあ勿論、ロックファンや音楽好きな方々は当然チェックされていることでしょうが。ただ、ここのところは平沢あくびの独特な恋愛観や、そのルックスを全面に出して、彼女が音楽とは関係ないテレビ番組に出演しているのを見かける。そんなんでテレビに出る前にまずバンドで売れろよ、と率直に思う。売れるためには“卵が先か、鶏が先か”的な話でもあると思うのだが、貴方達の場合なら音楽が先だろう、と。しかも平沢は最近はちょっと太ってきているようにも感じる。そのやり方で名を挙げるなら、せめて己の美は保てよ、と言いたい(ルックスの好みは人それぞれだろうが)。

 

その番組で、MCが岩下優介に対してこう質問をしていた。「“変態”とはなんですか?」と。そして岩下はこう答え始める。「僕はこれまでずっと変態をやってきたのですが…云々…」

そこまでしっかりと耳を傾けていたわけではないので、質問への回答についてはぼんやりとしか覚えていないが、その語り出しに私は「あぁ、所詮そんなもんなのね」とかなり残念に感じたのである。岩下は「ジャズがー、オシャレがー」とどうたらこうたら話していたが、一向に私には響かなかったのである。

 

 

 

さて、“変態”とは何だろうか。

 

変態それは「(一般とは)違う・異なる・特殊」という意味であることには間違えない。

例えば今回の件で言うと、音楽性が“変態”であったり、他は性的趣向が“変態”であったり、感覚が“変態”、行動が“変態”、思考が“変態”と、様々な“変態”が数多く存在する。そりゃそうだと。変態もといHENTAIは世の中に溢れているのである。

 

では、何故ニガミ17才岩下の“変態”への解釈が私に響かなかったのか。

 

いやぁ、“変態”って自分で言うものじゃなくない?えぇ?

 

 

“変態”なこと(今回で言うと音楽または音楽性)をやっている自覚があるうちは、“変態”じゃないと思うんですよね。結局は周りからどう見られるかで決まるものだと思うんですよ。

 

「変態でしょー変態なことやってるでしょー」の感覚で、あたかもウケを狙っているようでは甘いかなと。ぶっちゃけイタいわ。周りから「うわ、これ変態だわ」となるのが本当の評価よね。価値観は人それぞれ違いますから。そして、それを天然で、自然発生的に行う者こそが真の“変態”なのではないかと。己を俯瞰で見たときに、説明が可能であるほどに冷静に遂行して、それが周りから“変態”と受け入れられてこそ初めて“変態”と言えるのではないかと。

 

えー、書いていて訳分からなくなっております。笑 

 

具体例を挙げていきます。私はZAZEN BOYSが大好きである。愛している。令和になってから既に2回ライブ観ている。彼らの音楽は変態そのものだ。面倒だから説明はせん!笑 変態変態変態!堪らん!と、私はなる。

しかし、彼らの“極極(キワキワ)”な音楽性に裏打ちされるのは卓越したテクニックと、複雑な演奏をあたかも自然にこなす冷静さ。向井秀徳の凛とした立ち振る舞いと、和の精神ならぬ礼儀をわきまえたステージング。彼らはいたってナチュラなのである。そこがカッコ良いのであって、シビれて、堪らないのだ。唯一無二なのだ。そこに私は真の“変態”を見る。彼らは自らを「変態やってます」なんて語らない。これなのだ。

 

少し論点をズラすが、私は俗に言うサブカル厨が好きではない。彼らは自分に浸っているからだ。“人とは違う”という主観を盾にして、己を特別だと、ズレていると思ってならない。それが私にしたら実に面白くないのだ。“人とは違う”ことを考えてる時点で、それ造っているよと。成り切れてないですね、と思う。まぁ妄想ですが。

 

また、惡の華という漫画がある。これも説明面倒なのでしないが、やたらと“変態”を取り扱う内容のストーリーとしては、その捉え方には非常に辟易とした。全裸の主人公に対して冷静なヒロインなんて、現実世界じゃおらんでしょ。途中で読むのやめました。面白くなかったから。“変態”じゃないの、それ。変態の押し売り。何がしたいのかと思った。

 

やたらと“変態”というワードが横行するエンターテイメントの世界だとは感じるが、本来の“変態”というものは醜く、気持ちが悪く、不安なものである。違和感または嫌悪感でしかないのだ。それを忘れてはならない。ただ、“変態”に共鳴や感動をする人もいるわけで、その合致によってそこにグルーヴが生まれ、新たな文化が作られるのである。それは時として美しく綺麗なのである。

簡単に“変態”という言葉を用いてほしくはない。“普通”を知らなければ変態なことは出来ません。その“普通”こそが実に深い。本当にそれは面白いですか?と。知恵を振り絞り、自らを客観視し、冷静に判断し、取捨選択し、生み出されるもの。それが“変態”なものである。それをやっている人は、自らを“変態”とは言わないだろう。それが通常運転なので。 

 

長々と話しましたが、伝わったでしょうか?笑 

「自分変態です!」はダサいって!それがエンターテイメントであるならば尚更!

そんなことを感じた私アッチでした!ではまた!

 

とある忘れることのない出来事

それは私が小学1年生の時のことである。

 

以前に当ブログで書きましたが、現在私は埼玉県在住でございます。しかし、元々自分は東京生まれであり(この“東京生まれ”という肩書きは我ながら好きである)、小学2年生の二学期まで東京都内のとある小さな市に住んでいた。なのでこれから話すのは東京時代のことである。

 

当時自分が通っていた幼稚園が、その頃住んでいた家からはやや離れたところにあり(どういった理由でその幼稚園に通うことになったのかは分からないが、良い幼稚園だった)、それなりに楽しくは過ごしていたのだが、小学校に上がるとなると必然的に自分の家の最寄りの学校(信号を一回も使うことなく行ける程に激近)に通うことになったので、同タイミングで入学する同級生に自分の友達がほぼいないという、中々にアウェイな状況に若くして挑むことを選ばざるを得なくなった。

(尚、当時住んでいたマンションに同じ学校に通う同級生の友達が一人いたので、その子が心の支えではあった)

 

自分が暮らしていた東京某市の小学校は、その数が約11個程に分散されており、第一、第二…と名前が続いて付けられている。自分は第九小学校であった(ヴェートーベンか!というツッコミが聞こえる)。そのせいもあるのか、入学時のクラスは1クラス。各学校の児童数が少ないのだ。なので、何としてもそのクラスで上手くやっていかなくてはならない。

 

ドキドキの新1年生!不安や緊張が入り混じる面持ちのアッチ6歳。ただやっぱり当時は子どもですし、皆も同じ心境だ。初めましてでもなんとかなるんだよね。自然と溶け込めるもので。

 

入学初日のことである。どういった経緯だったかは完全に忘れたが(おそらく初期設定の席が近かったのだろう)、一人の女の子と友達になった。この少女の名をまゆみ(仮名)としよう。初対面ながらも親しく話すことができ、非常に安心感を得たことは言うまでもない。とりあえず翌日以降もこの子とは話せる、という揺るぎない実感を得ていた。幸先の良いスタートであった。

 

 

入学二日目のことである。

登校し、彼女を見つけた私は「おはよう、まゆみちゃん」と元気良く挨拶をした。すると、まゆみちゃんはこう言い放った。

 

 

「貴方、誰?」

 

 

え?どういうことだ?ちょっと待て、昨日の今日だろう。俺は知らぬ間にパラレルワールドに迷い込んでしまったのか?もしくは俺みたいなYOSOMONOへの仕打ちか?戦慄が走る。完全に頭はパニックだ。

 

その間も無く、別の一人の少女が横から出てきて話しかける。

 

 

「アッチ君、その子はまゆみじゃないよ。私だよ。」

 

 

え?どういうことだ?パニック状態から我にかえり、しっかりと自らが置かれている状況を見返す。するとどうだ、最初に自分が話しかけた少女と、横から入ってきた少女の顔が同じである。

 

 

もうお気付きのことであろう、彼女達は双子の姉妹だったのだ。完全に虚を突かれたのである。

 

 

私がまゆみちゃん(仮)だと思っていた少女が言う。「私はまなみ(仮名)よ。」と。

 

つまり、私がまゆみちゃん(仮)と思って声をかけた少女はまゆみちゃん(仮)ではなく、まゆみちゃん(仮)と双子の姉妹のまなみちゃん(仮)であったのだ。

 

これが私の人生で初めてであり、以降体験することのない双子パニックである。現在の日本の中学教育における歴史の教科書の年表にもアッチ、双子姉妹パニックになる(1996)」と記載されていることは言うまでもない。この具体的な説明を持ってすればしっかりと覚えられることは間違いない。いざテストで出てもバッチリ回答できるだろう。

 

この衝撃と驚きは、きっとこれから先の人生でもきっと忘れることのないものだろう…。

 

 

 

いやー、マジですよこれ。笑 本当にビックリしましたからね。ましてや当時小学1年生ですよ。すげー怖かったです。

多分ですが、入学二日目のこの出来事の後に、クラス一人一人の自己紹介の件があったのでしょうね。覚えてないけど。

とは言え、現在情報過多かつ情報拡散が早い時代ですから、こういった直球で双子の人で驚く経験というものは中々出来ないと思いますからね。新鮮でオモロい経験させていただいたものです。こんな愉快な経験、この先あるだろうか。(いや、ない)

 

またこの姉妹の名字がわりかし珍しいんですよね。そしてその名字の人とやたら縁があるのですよ。笑 なので余計に深く記憶にも刻まれているわけで、そのせいかこうやって思い出したりもしている次第でございまして。

 

ではまた!(ドン!急に終わらせる!笑)

 

BOSEの日米欧全店閉鎖にショックと衝撃を隠し切れないアッチ

掲題の通りですが、2020年1月16日に「BOSE 日米欧の全119店閉鎖」という個人的に超衝撃なニュースが舞い込んできました(Yahoo!ニュースのリンクを貼っています)。今回はこの件について話をしていきたいと思います。

 

BOSE、読みは“ボーズ”ではございますが、言わずと知れた世界トップを誇る米オーディオ機器メーカーですね。卓越した科学者達の創造力と技術を持ってして生まれるBOSEの製品は、音質・機能性・デザイン性と非常に優れており、かつ唯一無二。その歴史は1964年設立から50年以上の時を刻み、音楽・映像コンテンツを愉しむ世界中の人々の圧倒的なパートナーとして、今日まで至っております。

ついでに、2012年より日本武道館の音響システムはBOSEですよ!どうりで音良くなったと思ったよ!

これまたついでに「BOSE」という名は、創設者のアマー・G・ボーズ博士が由来となっております。(ボーズ博士マジ神)

 

で、何故私アッチが今回この件について熱弁を振るう、またはそうならざるを得ないのか。より信憑性や説得力を増すべくここでぶっちゃけてしまいますが、私つい数年前まで国内BOSEの某直営店のセールススペシャリストとして勤めていたのです。

 

ということもあり、いやぁBOSEへの愛情は深いぞ!笑 本当にBOSEの製品はえげつない凄いですよ!音質は当然めちゃくちゃに良いとして(この“音質”という言葉一つの中にある実際の深みですよ…語ると長くなるので辞めますが。笑)、我々が生活・日常の中でいかにエンターテイメントをより親しみ易く取り込んでいくかという命題を実直に果たしているメーカーこそBOSEなのです。海外のクリエイター・科学者の方々頭良すぎるんだよ!笑 とにかく製品に用いられる技術が凄いですから。アンド情熱ね。

 

BOSEロゴですよ、ロゴ。あのロゴのカッコよさと誇りですよ。皆様も街中で一度はお目にかけたことあると思います。

 

私レベルになると、例えばお店で「あれ、なんかここ音良いな」と思ってスピーカー見ると案の定BOSEのロゴがドーン!ですよ。聞いただけで分かる。低音が違うんだ、深い。あとは圧倒的にクリアな音像だよね。

 

で、働いていたわけなんですよ。当然最初はBOSEの凄味なんてものは知りません。ただ、働きながらBOSEの歴史と製品について真剣に学び、向き合い、知り得ます。そして徐々に膨らみ抱くBOSEへのリスペクトと愛情!染まっちゃうんだよ、これが。引き込まれていくのです。それがBOSE

 

BOSEで販売員として勤める者は“セールススペシャリスト”として、より多くの感動をお客さんに伝え、理解していただき、やがて製品をお持ち帰りいただくために訓練を重ねます。練習をします。勉強をします。恐らくですが、BOSEに勤め販売をした人は、他の並大抵の販売業はぬるく感じることでしょう。高度なレベルの知識・姿勢・立ち回り・誠意をそこで身につけるのですから(そういう自分はどうだっただろうか。笑)。

と、多少手前味噌ですいませんな感じで話してまいりましたが、十分アッチの熱が伝わったところでこの度のニュースに触れていきます。

 

 

日米欧全店閉鎖というナニコレ的な事態ですよ。え?お店無くなるの?っていう脳内クエスチョンマーク×100。

その理由は「ネットを介した販売スタイルへの移行」ということで、まあ解りやすい。まあそうだよな、っていう。

いやー、実際Amazonのセールなんかでは、実店舗の存在意義を抹殺する価格で製品が出されていたりするわけですよ。いやいや待て待て(汗)、っていうね。

便利な世の中!何でもネットで手軽に買えますから。しかも安いし。たまったもんじゃないよね、現場の方は。

 

にしてもだ!舵切りが大胆だよアメリカ人!(苦笑) 急すぎるでしょ!しかも今年数ヶ月以内にて…大胆!中国やインドなどの実店舗は除外というところは、該当国のインターネットに纏わる環境の進展の差や、店舗数の違いによってのものでしょうかね。推測ですが。これだから外資企業は恐いよ。リスペクトと恐怖の表裏一体。マジなんなん。

色々思いますよマジで。ショック!おかしいだろ!ってか少なくとも日本に関してはまだまだ実演販売の需要十分にあるだろ!笑 自分を含めですが、信頼を買いたいんですよ日本人は!そうだろ日本人!この目で見て、この耳で聞いて、感じて選びたいんですよ!その道標であるのがダイレクトストア、直営店ではないのか!?それをやってくれる素敵な場所、素敵なスタッフ達だぞ!とてもじゃないが量販店じゃそこまでは厳しいぜ。本当に書いていて瞳が潤んできそうですよ…。マジで虚しい。

 

そして、大切な僕の仲間達のことを想います。今でも仲良くさせていただいて、BOSEは気の良い人々の集まりですから、今日までも楽しくやらせてもらっているんですよ。そんな場所が無くなってしまうことが最悪だし、役割を全うした仲間のその先がシンプルに心配です。

 

やれAIだやれネットだ、みるみる内に世界は便利になっていきますよ。この先の世界で人間はどのような役割が必然のものとして残るんだろうね。本当に謎。便利すぎることは本当に素晴らしいものですか?人間というモノの進化の文明が止まりません?恐いよね本当。

そんなことまで考えると、例えば様々な資格を取ったり、自分にだけしかできないことを身につけるのは必要なんかなぁ思いますよね。よく分からないけど。AIって言葉は個人的に正直ウンザリ気味。“SNS疲れ”なんて最近よく言うけど、“AI疲れ”なんかも後々出てくるんじゃないの?そんな気がするよ。

 

ともあれ、BOSEの大英断ってわけで、これでビジネスが大成功するのならもう何も言えないわけでね。ってかそうしろよ!この先未来永劫にBOSEの名を轟かせ続けるための決断なのだろうから。にしても悲しい、辛いね。

別にそんな聴いてるわけではないけど、Mrs.GREEN APPLEインフェルノの歌詞が頭に浮かぶね。永遠は無いんだと 無いんだと云フ…ってね。

 

BOSE、僕は大好きだよ!今回も愛とリスペクト込めたったよ!どうか良い未来が皆にあれ!でもまだ凹み続けるし、仲間の話も色々と聞きたいと思います!こんなことも吐けるためにこのブログがあることを改めて実感。とりあえず本日はここらへんで!ではまた!

 

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BOSEの素敵なProducts

 

目玉焼きにかける調味料に関しての我が思想

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どうも、最近また風邪をひいてしまいまして心身共に参っておりますアッチです。どうぞよろしくお願いいたします。

 

「目玉焼きにかける調味料論争」はどの時代においても絶えず行われてきました。“醤油派”“ソース派”の二派による正義と誇りをかけた争いは今もなお日本中で巻き起こっております。例えばこのブログの読者の方もいずれかの流派なのではないかと考えております。

 

そもそも人間という生物である以上、各々の思想や意見も持つことは当然であり使命でありまして、その思想の食い違いや些細な擦れ違いによって争いは繰り広げられてしまうのです。“どちらが正しいか”という命題を証明したい人間の闘争本能が働くのでしょうか。こうしてこれまでも世界では戦争が起きてしまい、“人間”である故に残酷な道筋を辿ってしまったのであります。

「目玉焼きにかける調味料論争」という言わば答えの出ない争いに終止符を打てるのか。これも我々人間、そして日本人の命題でございます。ここで本日は、この論争を終焉に向かわせる為の一つの手掛かりとなり得よう私の思想を発表して参りたいと思います。

 

 

“醤油”にせよ“ソース”にせよ、いずれも個性的かつ万能な調味料であることは間違えがございません。和の風味を香り立たせ日本の食材とのマッチングによりキレを生み出す醤油。かわって洋風のモダンでエキゾチックな甘味と酸味により、とりわけ揚げ物との抜群の相性を誇るソース。どちらも我々日本人の食生活には欠かすことが出来ない調味料であり、突出した個性を放っております。

そして議題となっている「目玉焼き」という料理。卵をフライパンに直に割り入れただ焼くだけというシンプルな調理法で生み出されるものですが、シンプル故に多くの人々に親しまれ、またシンプル故に様々な調味料によるアレンジが効くというところが、このような思想の衝突や亀裂をもたらすのである。そして言わずもがな、醤油・ソースどちらも相性が抜群なのである。争いが起こるのも無理はない、ということである。

 

私アッチ自身、目玉焼きにかける調味料としてどちらがより秀でてるのか、というのは非常に決め難いところである。しかしこのまま横一線の議論の果てに血を見る展開になってしまうのは平和的観念から回避したいと考えている。そこで、そのための道標の一つとするべく私の考えをいよいよ発表したい。

 

私は定義する。それは「使い分け(TSUKAIWAKE)だ。

 

日本の誇りであるお米。白飯のおかずとして目玉焼きを食する際は醤油を使用する。白飯の上に目玉焼きを乗せ、醤油をかけて食べることが大好きな私であるが、半熟の黄身と醤油が絡み合い、またそれがトロリと米粒一つ一つの間に染み込み、この上ない至福の味を生み出すのである。お分かりだろうが、白米と醤油の相性は抜群であり、その関係性はまさにロミオとジュリエット(?)である。間違いないのだ。

 

そして、トーストと共に目玉焼きを食する際はソースを使用する。こんがりと焼かれたパンの上に目玉焼きを乗せ、ソースをかける。マヨネーズを追加するのもまたご一興だ。これもまた半熟の黄身とソースが奏でるハーモニーが堪らなく、洋のエッセンスである小麦とソースの関係性の良さは言うまでもない。美味すぎるのだ。パンの時はソースなのだ。またソースである効率性も存在する。仮にここで醤油を使用するとあまりのその液体の瑞々しさにより、艶やかな目玉焼きに対して「はじき」の現象を起こしてしまうのである。よって、とろみのあるソースの方が手で持って食べるトースト的には食べやすくて理にかなっているとも言えるのである。

 

いかがだろうか。どちらが正しいか、などはもう終わった話であるのだ。この「使い分け」を実践している私はもうネクストレベルに達している。今となっては完全に俯瞰の目である。どちらも正しいのだ。みんな違ってみんな良い、これである。

このように、お互いの良さをリスペクトし合うことが大切である。サザンオールスターズ「ピースとハイライト」の一節にも、

“色んな事情があるけどさ 知ろうよ 互いのイイところ!! ”

とあるが、まさにこの精神が大切なのである。互いを知り合い、歩み寄る考え方が平和への近道なのである。希望の苗を植えていきたい次第である。

どうか皆さんにも「使い分け」を推奨したい。行かないか、次の時代へ…

 

 

ってなんなんすか本当。笑 評論スタイルで文章書くの疲れるんですよ。笑

ともあれこれ本当にやってますからね。どっちもマジで美味い。結局醤油もソースも相性抜群なんですよ。食べ物で揉めるの止めましょうよ。どちらも最高なんだから。

 

ついでに“犬派か猫派か?”と聞かれたら、どっちも好きと答えますからね。だってどっちもカワイイですもん。決められんですわ。

 

ついでにたけのこ派きのこ派か?”と聞かれたら、

 

圧倒的にたけのこ派です。

(ズテーーーー!!!!!!!!!)

 

以上アッチでした!ではまた!

 

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION「ホームタウン」が私にとってイマイチであることへの考察

どうもアッチです!ついこの間投稿した「30歳こわい」の記事が、我ながら名言連発であったなと自己評価をしているところでございます。笑 本日もよろしくお願いいたします!

 

以前書いたサブスクの記事を、どうかゴッチにも読んでいただきたくて、ドキドキしながらもTwitterで直リプを送ってみたのですが、反応無しです…。読んだのか読んでないのかすらも分からないが…。まぁ忙しいのだろう、ツアー開幕直前ですしね。

今回はまたまた私が愛してやまないASIAN KUNG-FU GENERATIONについて語っていきたいと思います!

彼らの最新アルバム「ホームタウン」についてでございます!

で、割とネガティブな感想を書いてしまっております。ゴッチ!仮にこれを読んでくれたとしても、Twitterのリプへの反応が無かったことへの腹いせではないからな!笑 本当そこだけはお願いします。1月末くらいにはほぼほぼ書き終わっていましたからね。

今回も最大級の愛を込めて、愛があるからこそ書ける内容だと自負しております。どうか皆さまご了承お願いいたします。批評ではないですよ、とだけは言っておく。批評になったらおしまいです。

 

www.atsudays.work

 

まぁタイトルで“イマイチ”なんて言ってしまいましたが、申し訳ございません今現時点での率直な感想でございます。

アジカンは本当に言葉にならないくらい愛しているバンドでございまして、作品もライブも十二分に堪能させていただいておりますが、うーんホームタウン、ピンと来ないぞぉ!!

音楽、アート、お笑い、それらなんでもそれぞれ個人個人の価値観と物の見方があって宜しいのでございます。それありきで愛を込めて語る、私アッチの信念でございます。当然彼らの最新作「ホームタウン」最高やないかい!ってファンの方も勿論いらっしゃるはずです。

ただ、私アッチ最大級の愛を込めて今作に感じた印象をつらつらと書き綴っていく所存でございます!どうぞお付き合いくださいませ!

 

 

「ホームタウン」に期待をしすぎた!?

オリジナルアルバムで言うと前作「Wonder Future」から実に約3半年ぶりのリリースでございます。

ゴッチもリリース以前に仰っていたように、「サーフブンガクカマクラ」の抜け感を踏襲するような、アジカンらしいパワーポップさが前面に押し出された楽曲陣がアルバムを固めております。

まぁ本当その通りなんですよ。彼らは作品毎にその肌触りも異なっていて、制作する上でのモチベーションやベクトルも変容していっているわけで。

前々作「ランドマーク」で2011年に起きた東日本大震災以降のバンド及び音楽的モチベーションの復活を掲げインパクトと希望溢れる音楽を鳴らし、前作「Wonder Future」ではこれぞパブリックイメージのアジカン印ならぬ実直なエイトビートナンバーを改めて世にブチかまし、そして今作「ホームタウン」ではそれらを踏まえてきた(2ndAL「ソルファ」再録も含め)彼らが回り回って“らしくいこうぜ!”ならぬパワーポップ回帰したといったところでしょうか。(WFにおける低音の重心の置き方等、サウンドは常に変化しておりますね)

ホームタウン以前の「BEST HIT AKG2」と骨芋ベスト施策にはガッカリを通り越し呆れてしまった私でございますが(笑)、直後の骨芋ツアーの演奏力、バンドの雰囲気、ライブの空気感が思った以上に良く、これは新作期待できるなと待ち遠しいも待ち遠しい心境でございました。

アルバムに先立って発表されたタイトルトラックの「ホームタウン」が素晴らしい曲だったので、さらにその期待は高まりました。個性的でキャッチーな建さんのギターフレーズ、キヨシらしい独特な刻み方のドラミング、ゴッチの思惑通りならぬズ太く輪郭を固める山ちゃんのベースライン、そして“これよ!”と言わざるを得ないゴッチメロディ!そしてやっぱ低音違うなぁ!クッソ出てる!ゴッチの言う通りや!

 

ホームタウン

ホームタウン

  • provided courtesy of iTunes

 

これはアルバムキタなと。めっちゃええの来るわ、思っていたわけです。

しかーし!!蓋を開けてみたらそうでもなかったぁ!!!なんだこの消化不良な感じは!!!心に響いてくるものがないぞ!?なんじゃこりゃ!?

なんか思ったよりも普通じゃね?みたいな。ってかゴッチソロっぽくね?みたいな。

うーん、もちろん良いは良いんですよ。でも期待しすぎたんですかね、越えてこない。アジカンがただアジカンしただけ、という印象。なんだろうこのモヤモヤは。

では分析していこう。

 

欲しいのは音質じゃない、曲そのもののクオリティだ

彼らのオリジナルアルバムでは「マジックディスク」をNo.1フェイバリットに掲げる私アッチではございますが、単純に前の曲の方が頑張ってたよね?ほじくり出してたよね?っていうところがまずございます。

アジカンは冒険してナンボ、新しいモノを生み出してナンボだと思うんですよね。

例えばマジックディスクにしても「新世紀〜」や「迷子犬〜」のアジカンとしての新機軸の打ち出しであったり、音楽的新鮮さというのは非常に我々を驚かせてくれましたし、何より完成度も高く素晴らしかったのよね。よくこれ作ったなみたいな。それが、無い!笑  のっぺりしてんのよ。

僕はUCLAがフェイバリットなのですが、サビがモロに前作でやってるやん…っていう。まぁあれが抑揚あって正解だけども。辛いのがWFでもフェイバリットが「街灯のシグナル」なんですよねぇ。笑 どうやって俺のアジカンプレイリストにUCLAブチ込めば良いんだ…と。笑

 

UCLA

UCLA

  • provided courtesy of iTunes

 

で、今作「ホームタウン」で必ず挙げなければならない“進化”といった意味での項目はズバリ音、音質なんですよね。 ゴッチがあんだけTwitterでもブログでも口うるさく言っているから。

今日世界的に鳴っている音楽、主にヒップホップの重低音の振動感、音域感をどうかロックミュージックで、アジカンで鳴らせないかという挑戦があったわけです。そこに気付いて取り組む姿勢は最高のミュージシャンよな、ゴッチは。このままじゃいけねぇんだと、ね。

その想いは今作にしっかりと反映されていて、先程も話したようにリードトラックの「ホームタウン」では初聴から低音のズムズム感に驚かされたわけだし、他の楽曲でも低音域をグッと下に降ろしたことによって、より一つ一つの楽器の音と歌が鮮明に入ってくるようになったわけですよ。

ただ、ぶっちゃけ欲しいのそれじゃねえんだ。

良い曲、驚く曲、衝撃を与えてくれる曲が欲しいんすよ。それはゴッチ(らメンバー)が作るメロディと歌詞!楽曲そのものの良さであり、クオリティなんですよ!!!やってたじゃんそれを今まで!

ゴッチが某インタビューで「正直音が良ければ曲自体はどうでもいい(笑)」みたいなことを言っていてオイお前さんそれ冗談でも言うなやと。アンタそんなこというソングライターちゃうやったんか…と。私アッチはガッカリしてしまったわけです。

他のインタビューでも、低音のメリハリをより際立たせるために山ちゃんとキヨシにプレイングの指示をした的なのを見たけど、作戦としては良いけども自由度としてはどうなの…って思っちゃったよね。

ホームタウンのインタビュー読むたびにホームタウン嫌いになっていくんですよね。笑 ごめんなゴッチ。

そんなゴッチのソングライティングへの向き合い方であったり、音楽への向き合い方が顕著に出たアルバムなんじゃないでしょうか、ホームタウンは。音は相当拘っていたらしいですけどね(これ言う。笑)。

ミュージシャンでもなく評論家でもなく、ファンを喜ばせる曲を作ってくれ…と思います。

とはいえ、ゴッチ本人的にはかなり今楽しいんだろうけどね。ちょいと昔はある種の責任感や何か担うものをもって曲を作っていた気がするんですよね。今は肩の力を多少抜いているのか、もしくはアジカンへの気持ちが少し散漫になっているか。笑(未だにあのトリビュートアルバムを根に持っています。笑)

例えば、向井秀徳が歳を取るにつれて、歌をどんどん前に出した表現に変化していって、ZAZEN BOYSというバンドの雰囲気もみるみる柔らかく味があるものになっていって、Number Girlの頃のギラついた感じが薄れていくことに対して嫌悪感を示すファンの方もいらっしゃると思うんですよね。気持ちは分からなくもない。ただワイは今の向井の方が好きだ。そんな感じでゴッチの変化も受け入れなくてはならないのかな…とか思ったり。

とはいえ、ゴッチに関しては“やれるのにやってない感”も感じられるんだよな…。(本当ごめんゴッチ)

それでもって改めて“あれ、Wonder  Future良いアルバムだったなぁ”ってなってます。ソウルフルやったなぁと。あれ良い曲多いぜマジ。

 

「ホームタウン」は「サーフブンガクカマクラ」になれない

で、もう一点。ホームタウンが第2のカマクラになれていない!というところです。まだまだ語るぜ俺は。

アジカンファンであれば皆愛しているだろう名盤「サーフブンガクカマクラ」を超越できてないんです。

何故か。

「サーフブンガクカマクラ」は一発録りメインの勢いとラフさ重視のアルバムですね。

おそらくゴッチとしては、カマクラよりも演奏やミキシングを練った今作ホームタウンの方が当然クオリティは高まると感じたのでしょう。

違うのだ。確かにクオリティはそこそこ高い。

しかしだよ、カマクラは2度生み出すことの出来ない珠玉かつ奇跡の名盤なのだよ!

アルバム「ワールドワールドワールド」まで激動の日々と制作活動を過ごしてきた彼らが骨休め的に作ったアルバムが「サーフブンガクカマクラ」でございますが、あれがなんでこんなにも我々ファンに愛されるのか。

それは

  • 江ノ電をモチーフとした楽曲陣とコンセプトの面白さ
  • 鎌倉と江ノ島界隈を舞台にしたゴッチのフィーリングと妄想溢れるソングライティング
  • そもそも我々日本人が心の中で好きな古都・鎌倉を舞台にしているという親近感
  • その上で乗っかったラフな演奏によるパワーポップ

これらの要素が相まってのしっかりとした理由があっての奇跡の名盤なんですよ!同じようなものを狙って作れるレベルじゃないんですよ!まあ同じの作ろうとはしてないけど。

なので、仮にゴッチが「カマクラっぽいの皆待ってるだろうし、俺らもやりたいからやろっか」的なところで作っていたとするならば、あの感じは到底出ていないんですよ!あー伝われ〜!笑

カマクラは、メンバーがラフに作ったという苦労感以上に、完成された大名盤です。何度も聴いてしまいますし、僕は江ノ電に乗りながら駅名に合わせた楽曲を再生する「リアルサーフブンガクカマクラ」を敢行したほどですよ。笑 名盤なんです、奇跡すぎるくらいの。

なので、カマクラっぽいをやるよりも、新しくてビックリするような冒険をした新曲が聴きたかった…。

 

その他感じること

「ホームタウン」本編は10曲ですが、内2曲が既発シングルなので、もう少々濃い中身を期待しておりました。もう1,2曲“おおっ!?”ってなる面白い曲あっても良かったかなぁと。

キック四つ打ち裏ハットとかやってくれて良いんだぜ。ゴッチはいい加減恥ずかしいとかあまり気分ではないだろうけど。ただ、別にもう四つ打ちそんな流行ってないから!アジカンの四つ打ち名曲多くて好きなんだよ。

他アーティストの楽曲提供やコラボは新鮮で大賛成ですね。初回盤Disc2「Can’t Sleep EP」の「はじまりの季節」は本当心に響くしビックリしてしまった。ゴッチが曲書いたんじゃないの?っていう。THE CHARM PARKさんの憑依力すごすぎ、みたいな。

 

はじまりの季節

はじまりの季節

  • provided courtesy of iTunes

 

最後に言いたい

とまあね、滅茶苦茶書いちゃったけれども、これから咀嚼することでまた印象も変わるかもなので、聴いていきます「ホームタウン」。すいませんね、あくまでも僕の私的な感想であり、全て愛あってのことですので、どうかよろしくお願いいたします。

最後にこれだけは言わせてくれ…。

ツアー期待してるからな!!!!

ライブ映えするだろう曲だもんね!

以上、愛を込めて。アッチでした!サンキュー!

 

音楽が自粛されることへの考察〜電気グルーヴの件で思うこと

どうもアッチです!

最近サブスクをぼちぼち使い始め、電気グルーヴモノノケダンスを聴きまくっていた私でございます。(アルバム「20」は持っているんですけども、バージョンがなんか違うんですよね。)  墓場鬼太郎のアニメも観ていたこともあり、マジで好きな曲なのでマジで聴きまくっておりました。その矢先での今回の騒動である。

 

とにかく急すぎたのと、意外性があったので本当に驚いた。やっちまったなぁ、馬鹿過ぎるなぁと心底残念な気持ちである。

とはいえ、正直なところを申し上げるとピエール瀧への興味や、好きの気持ちは特にこれといって無い。ピエール瀧が出ている映像作品をそこまで観ているわけでもないので。どちらかと言えば自分は石野卓球が作り出すサウンド・楽曲が非常に好きである。分かりやすくてキャッチーだけれどひとクセある踊れるテクノ。ツボを突いてくる音使い。実に心地良いんですよね。本当好き。なので、自分はピエール瀧どうこうよりも、卓球の精神状況が今はとても心配である。少し前にアナザースカイに電気グルーヴ2人で出演した回を観たが、本当に仲良しでここまでやってきたのだなと感心した。相方に裏切られたショックは計り知れないだろう。

電気グルーヴの音楽はカッコいいが、発言やスタンスがあまりにも独特でアウトローなところがありますよね。危うくて変態で狂ってる世界観。合法ドラッグさながらの“訳が分からないようでよくよく考えれば少し理解できるような気もするけどそんなのどうでも良いくらいとにかく変態”な彼らに心酔するファンも多く存在する。どうかそんなファンの人たちも、今回ばかりは心を鬼にしてほしいなとか思ったり。電気グルーヴのガチのファンってイタい人多いと思うんですよね。YouTubeでの電気グルーヴの映像のコメント欄読むと、ベタ褒めの感想ばかりでなんか怖いんですよね。サブカルじみているというか。電気グルーヴが好きな自分が好き、みたいなところもあるのではないかとか思ってしまうわけで。(妄想です、すいません)

まあ何故こんな嫌味をわざわざ書いたのかと言うと、ピエール瀧やっぱやってたかーww」みたいなノリは正直勘弁なのである。まーた良いネタできたな、的な。いやいやいや、犯罪やっちゃったからね、ってことですよ。そこはちゃんと怒ってやろうぜ、って思うんですよね。とはいえ、そんな冗談言ってないとやってられないくらいファンの人はショックなんだろうな…とか考えたりね。ともあれ、常識あるファンの人が正しい声を上げていることを願いながら、今回のテーマに参りたいと思います。敢えて事前にこう書かせていただくことで自分の気持ちを清算させていただきました。ファンの人たちがこれを読んでいただける可能性もありますからね。なのでしっかりと向き合いたいのです、真面目な性格なもので。ちゃんと後半にフォローがございますからね。笑 共に考えたいという気持ちももちろんありながら。

 

音楽は何故“自粛”の対象となるのか

こういったミュージシャンの不祥事について大体伴うのが、リリースされていた音源・CDの販売自粛や回収ですね。例によって、今回ピエール瀧の逮捕によって、電気グルーヴのCDの販売自粛と自主回収、配信停止をする旨をソニーミュージックが発表しました。少し前のことですとCHAGE and ASKAの件もですよね。ASKAも今回のピエール瀧と似たような感じのことをやらかしてしまい、それに伴って当時チャゲアスのCDの販売自粛や自主回収が行われたわけですけれども。

こういったレコード会社の対応について「やり過ぎじゃない?」とか「音楽に罪はない」みたいな意見が出ますよね。うむ、確かにその通りですよね。文字通りですが、音楽自体に罪はないわけですし、もう既にこの世に放たれているものですからね。

ただ、以前のサブスクの記事同様、やっぱり音楽ってどこか特別だよなとか思っちゃうところもあるんですよね。良くも悪くも。

こういった騒動が起こると、映像コンテンツに関しては割と速攻で手を打たれますよね。眼に映る、眼で見ることで得られる情報量や受ける印象の大きさみたいなところなのでしょうか。臭いものには蓋をしろ、じゃないですがとにかく世の中にその対象が晒されないようにテレビ局や映像コンテンツの制作会社が気を遣いますよね。

罪を犯してしまった人を見てしまうことで気分を害す人がいるかもしれない、そこからクレームが来るかもしれない、という様々な観点からの自粛ですよね。まぁ本当に最近の日本はクレーム社会ですから。手を打っておくだけ損はないのでしょう。

じゃあ音楽はどうなのかと。音楽なんてよっぽどじゃなければ該当のアーティストの音源を聴く機会なんてないですよね。聴きたい人が自分でチョイスして聴く、聴きたくない人は聴かない。もはやそれだけの話なのではないかと。なので、音楽に関してまで“自粛”するとはやり過ぎなのではないのか、と。そういった意味から現れる意見なのではないかと思います。こういう考え方の違いだけでも、“耳に入る音楽”と“眼に映る映像”の差はあるなぁ…とか思ってしまいますが。

実際、レコード会社だって本来は売りたいですよね。むしろ社会的な問題があればそれに食らいついてくる層もいるのだから、商機っちゃあ商機なわけですよ(凄く失礼な言い方を敢えてしておりますが)。だけれど、やっぱそうはやらないわけですよね。便利な言葉を使うのであれば、“大人の対応”をするわけです。結局はクレーム対策であったり、社会への面目を保つためなのではないのかなと。ベストな判断かと言われればそうではないのかも知れませんが、しょうがない決断ですよね。

 

“自粛”とはケジメだ

「やり過ぎだ」と言いたくなる理由として、罪の重さも関係してくるのでしょう。例えばこれが人を殺めてしまったり被害者が出てしまうような案件であれば、映像・音楽関係なくBANされて然るべきでしょう。世間からしたら大犯罪者ですからね。今回は違法ドラッグという、罪の度合いとしてそこまで凶悪的なものでもないところから、こういった意見を持ちたくなるのも無理はございません。ただ、見方を変えれば罪は罪、犯罪は犯罪。レコード会社の対応は別に普通と言っても良いんじゃないのかと思います、ぶっちゃけ。凄く広く捉えるのであれば、犯罪者が何商売してるんだ(CDが売れることで印税が入ったりすること)よ、ってことですよね。

あとはどのメンバーがやらかしたかにもよりますよね。今回の電気グルーヴもこの間のチャゲアスも、メンバー2人中の1人がやらかしたわけですが、「相方の方は何もしてないんだから酷くない?」ということですよね。いや、マジでそうなんですよ。例えばEXILEパフォーマー1人が同じことやらかしたらどうなるのか?わざわざEXILE全体で自粛するのか?とか思いますからね。そこのところ超曖昧ですよね。とは言え逆にソロの人がやらかした場合であれば、速攻で自粛なんだろうなーとか。結局は該当者の影響力がモノを言うのだろう、と。各会社の手腕が試されるところなのでしょうが、何にせよクレーム社会、まぁしょうがないのかな…と思っちゃいますよね。

社会へのケジメですよね、結局は。ある程度の見せしめと言いますか、とりあえず自粛の姿勢を見せることで社会への誠意を示すわけですよね。罪を犯した者へ、その罪の大きさも理解させるわけです。

音楽の自粛はもはや普通なのではないかと。ただそこに深い理由は無いと思うのです。

悲しいかな。けれども、「音楽には罪はない」という言葉の正しさだけは守り抜きたいですよね。そこは変わりはないと思いますから。

だから、ファンの人も辛いだろうけど、待とうや。本人がしっかりと今回の件を反省して戻ってきて、ほとぼりが冷めれば音楽はまた還ってくるかもしれない。還ってこないかもわからないが。

君はCDだってちゃんと持っているはずだ。現状に対しては辛く悔しいだろうけど、音楽自体は死んでいないし、聴けるはずだから。

ともあれ、残された相方の気持ち考えろよバカ野郎ですよ。そしてファンや応援してる人の気持ち考えろよクソ野郎、ですよ。マジで辛いわな。冒頭でやけにキツいこと書きましたけれども、電気グルーヴファンの人の心中はお察しします。だからこそ、心を鬼にしてくれと思うのです。(鬼日か!っていうツッコミは要りませんからな。笑)

ついでに、3/14現時点ではサブスク配信でまだ電気グルーヴ聴けます。笑 何ででしょうか。というわけでまたモノノケダンス聴きたいと思います。笑

ではまた、アッチでした!