アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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もうすぐ30歳になることについて色々考えまくってしまうアッチ(軽めのご報告あります!)

どうも、平成元年生のアッチでございます。

まずは一つご報告がございます!と言っても大したことではないですが。

少し前ですが、当ブログがGoogle AdSenseの審査に通りました!わーい!

要はこのブログを収益可させるための広告ですね。詳しくは他のブロガーさんがご説明していると思うのでそれをご参考にしていただければと。

ブログ開設から2ヶ月での審査通過は割と調子が良いのではと感じております。とは言えアクセスは全然ないですが…。しかしモチベーションは上がりますよね。嬉しい。

広告収入は平和的ですよね。読者の方からお金をいただくわけではないですし、努力した分がそのまま還ってくる典型ではないのかなと。(記事がバズったりする運要素も多少はあると思いますが…) ともあれ、今後も良い記事、愛のある記事を書いて参りますので、少しでもお楽しみいただければと思います!

 

実際、ブログで収益を上げるなんて本当に難しいことだと感じております。そんなにこの世界は甘くはございません。今まで通りまずは楽しむ気持ちをもって取り組んでいきたい次第です。よろしくお願いいたします!

 

で、そんな意気込みとは裏腹に今回は比較的暗い内容(?)でお送りしたいと思います。特に誰にとっても役に立たないタイプの内容。

 

自分は今年30歳になるんですよね。20代最後の1年を少しでも良いものにしようと日々奮闘している次第ではございます。

時間は何もせずとも過ぎていくわけで、人間は生きている限り歳を取っていくわけでございます。こうして約30年生きてこられたことに関して、家族や周りの人々、環境に対して感謝の想いしかないところではございますが、やはり30代突入となると少しソワソワというかドキドキというか、正直軽くビビっている自分がいるところです。

29歳と30歳って物凄い大きな違いがあるなーと勝手に感じております。20代というもう戻れない領域への決別。ここまで来ちゃったんだなぁみたいなこと思ったりしています。

“30歳の準備”みたいな心の持ち寄り方は、28歳くらいから既に始まっていましたね。あーもうすぐだあーもうすぐだ、みたいな。楽しみにしている的な意味は一切ないです。笑 30歳かぁ…っていう気持ちでここのところずっと生きております。

要は臆病なんですよね。30歳ってもう社会的には大人レベルで言うならばポケモンタマムシシティあたりではないでしょうか。ポケモンの扱い方や街の歩き方にも慣れてきて、旅がノリに乗ってきた状態というか。人生の困難という名のジムリーダー戦もそこそこにこなしてきて、まだまだこれからポケモンリーグ目指してやっていくぞ的な。自転車もあるし、そらをとぶを使えば色々な場所へも行ける(ポケモンはそれまでに行ったことのある場所までしか行けませんが。笑)。自分で言っててよく分かりませんけどね。笑

20代というか、これまでの人生の振り返りみたいなのは脳内で行われておりますね。有難いことに、そこそこ濃かったなと。とは言え良いことと嫌なことがごちゃ混ぜで積み重なるミルフィーユみたいな感じですが。

人生の濃度指数を考えるのであれば、生まれてから成人するまでの間ってめちゃくちゃ濃いですよね。小中高と色々あったなーみたいな。そして20代も終わる。山あり谷あり。そんな濃かった日々が過ぎていくことも悲しいなーとか感じています。

果たしてこれからの人生は、それらを超えられるのか?という課題が自然と自分の中に存在しております。見えないものとの戦い。うーむ。

20代前半くらいまでは色々物事を深く考えがちな人間でした。そんな面倒な自分もどこか好きでした。その都度なんかしらの出口を見つけられたから今こうやってブログを書いているのでしょう。勿論、音楽にも救われたり、仲間にも救われてきました。面倒なことを考えずに生きていきたいと思っていたのに、またその症状が再発しているような気持ちです。しかもなんだか腑に落ちる出口も無い。そんな30歳手前です。

大人とは何なのか、とか考えます。

また、何が正解なんだろうな、とか考えています。正解よりもその都度正しい出口に行きたい。そんな感じです。

あと10年で人生折り返しか、なんてのも考えます。うむ、暗いです。笑

ともあれ、このブログはそんな考えや日々を払拭するための一つのツールではないのかと考えて向き合っております。微かですが、光へと導いてくれるのではないかと希望を感じております。

昔は音楽を作り演奏することをやっていたこともあり、また色々と日々が上手くいかず鬱屈していたこともあり、性格が今よりも多少ギラっとしておりました。やってやるぞ精神。負けてたまるか精神。勝手に感じている周りへの引け目への対抗心。かなりありましたね。昔の自分が切れ味のいいナイフであるならば、最近の自分はバターナイフなのではないかと。まろやかになったけれど、スタイルは曲げないみたいなところでしょうか。これもまたよく分かりませんけど。笑 (現在自分をバターナイフに例えることが個人的にバズっているのです。笑) そんな気持ちにさせてくれるのがこのブログではないのかなと。まだやれるのか自分?のアンサーがこの場なのではないのかと。頑張りたいです。

丁度槇原敬之の最新アルバム「Design&Reason」収録の「朝が来るよ」という曲の歌詞でこんなものがありました。

“50を過ぎた友人にどんな気持ちか聞いたときに

出来ることと出来ないことがわかるから楽しいと笑ってたっけ”

こんな考えで生きられたら良いなと思いました。背伸びしなくていいのだなと。

ただ、もう少し背伸びしたい自分もいるのが本音でして。でなければもっと諦めて生きております。ともあれ、この歌詞のような達観した姿勢もアリだなとか思いまして、まるで並べていたドミノが誤って倒れるのを防止するストッパーの如く自分の心に居座っているような気持ちです。

男は30歳から、とかよく言いますが今のところよく分かっておりません。恐らくは生き様みたいなものに対して当て嵌めている言葉なのでしょうが、“滲み出る”と“滲み出す”は違うと思っているんですよね。この先もう少し歳を取って、見た目や生き方から自然と生き様が滲み出るというよりかは、もっと自らコントロールしてそれを滲み出させていきたいですよね。“30歳ってこういうものだよね”となるよりも“これこそ30歳でしょ”という生き方をしていきたいです。年相応という都合の良い言葉が今後使えるのであれば、その使い所は自らが掌握していたいです。

あとはそうですね、優しい人でありたいです。最後はそこに尽きる。

よく分からないこと書いてすいません。KANA-BOON「オレンジ」が沁みます。

今後ともよろしくお願いいたします!分からないことだらけのアッチでした!ではまた!

 

槇原敬之「どんなときも。」アッチが愛してやまない1曲その4

 

誰しもが、心の中にずっと残っている思い出の一曲があるはず…音楽とは人生だ…。

 

ーアッチ・カタスミーノ(1989~)

 

 

どうもアッチでございます!段々春らしい気候になってきましたね〜。

今回はシリーズ第4弾、私アッチが愛してやまない一曲をご紹介していきたいと思います!

 

今回ご紹介いたしますのは、槇原敬之「どんなときも。」でございます。

どんなときも。

どんなときも。

  • provided courtesy of iTunes

凄くない?この超ドベタで勝負するところ。

ご紹介もクソもないわけですよ。皆知ってるやろ!っていうレベルの超名曲ですよ。

ただ、語るのよ。それがアッチSTYLE。改めて皆さん聴いてみましょうよ、と。本当良い曲ですからマジで。

 

1990年のデビューから現在まで、天才シンガーソングライターとして日本音楽シーンの第一線をマッキーでございます。「もう恋なんてしない」「冬がはじまるよ」「遠く遠く」「僕が一番欲しかったもの」等、言わずもがなこれまでに名曲を数多く世に放っております。そしてご存知なのは、もはや国民の曲と言っても過言ではないSMAP世界に一つだけの花」の作者でもございますね。最新アルバム「Design&Reason」が2月にリリースされたばかりです。そちらもぼちぼち聴いております。是非!

「どんなときも。」1991年リリース(!)の楽曲でございます。当時僕は1歳半ですね…。累計CD売り上げ167万枚以上(wiki調べ)の、「世界に一つだけの花」同様、まさに国民の曲でございます。

本当改めて語るのが恥ずかしいくらいです。当たり前すぎるくらいに名曲ですからね。ともあれ語るのですが。

マッキーの優しい歌声背中をそっと優しく押すような、むしろ“誰もが同じ気持ちを抱えてるのだから共に行こう”と言ってくれるような歌詞が堪りません。

 

毎回聴いてて驚くことがあるのですが、音がめちゃくそ良いんですよね。毎回イントロで驚いております。「音良ッッッ!!」ってなってます。最近の録音と引けをとりませんよ。なんでや、って感じに音良い。とても1991年の発表の音楽には感じられません。まじでなんでやレベル。たとえベスト盤でリマスタリングされた音にしても、良すぎる。

そしてアレンジが秀逸すぎるのよ。イントロの印象的なピアノのフレーズと躍動的なパーカッションで一気に持って行かれますよね。全体的に楽器の使い方上手すぎです。小気味よく入るギターであったり、Bメロのナイアガラサウンドを彷彿とさせるパーカッションの入れ方であったり、気が利きまくっているんですよね。名曲には名演あり。ただ名曲と語るには言葉足らずなくらいに、計算されまくっているクオリティです。さすがマッキーと言わざるを得ない。

そしてマッキーはやはり歌詞なんですよ。ポップかつキャッチ―なこの楽曲ですが、ちゃんと歌詞に目を向けると、案外重たいこと歌われているんですよね。

消えたいくらい辛い気持ち抱えていても

鏡の前笑ってみる まだ平気みたいだよ

うーむ、中々考えさせられますよね。こんな言葉がこのポップなメロディーの中に潜んでいるというね。ただこのミスマッチさが凄いんだよな。マッキーは詞先で曲を書くことで知られており、言葉の大切さを相当に感じながら詞を書いていると思うのですが、正直ですよね本当。綺麗事で終わらせない正直さや素直さが感じられますよね。生き方、性格なんでしょうね。大好きですこういうの。全編にわたってパンチラインの応酬ですよねこの曲。最高なんだ。

そしていつか誰かを愛し その人を守れる強さを

自分の力に変えて行けるように

泣けます。

時代を超越する曲とはこのことなのです。凄過ぎます。今後もこの曲は次の時代また次の時代へと引き継がれていくのでしょう。

 

自分はこの曲を仕事に行く時や趣味のランニング中に聴いております。マジで背中を押されます。ランニング中は、いつも決まったコースでこの曲を再生してテンションを上げており、そこを通称“どんなときもロード”と心の中で称しております。

余談ですが、マッキーのTwitterも好きなんですよね。写真にいつもタバコが映っているのが愛しいんですよね。笑 覆い隠さないところ。それでよくあんな美声が出るな…と。

 

というわけで、是非皆さんも改めて聴いてみてください!アッチが愛してやまない1曲でした!ではまた!

 

 

サブスクリプションサービスと著作権、音楽市場への影響を考えるーサブスクリプション考察その2

どうもー!アッチでございます!

まずはTwitterからによる以下のつぶやきをご覧くださいませ。

これらのツイートは僕のTwitterのアカウント(@attchkatasumi)からによる、とある日の連続的なものでございます。

以前、音楽定額制配信サブスクリプションサービスについて、僕が思う事をいくらか語らせていただき、「いやー書けてスッキリしたー音楽最高ゥ!」なんて良い気持ちになっておりまして、とりあえず出し切ったつもりではいたのですが、ここのところまた思うことが出てきてしまいまして。上記のツイートの真意について深く話す感じにはなるのだけれども。この間の続編という位置としてまた書いていきたいなと。

前に投稿した記事はコチラ。

www.atsudays.work

 

 

 無料音楽アプリは悪である。けれどもだ

で、今回お話していく内容を考える事の発端となったのが、私アッチが敬愛してやまないASIAN KUNG-FU GENERATION(何度もブログで語っていますね)のボーカルゴッチのTwitterでのツイートを見ていたことです。

ゴッチも本当に音楽バカ人間(=確固たる信頼)なので、色々日々音楽について思うことを呟いてくれており、僕自身もそれを読んで日頃勉強させていただいていたり、またそれらに対して思うこともあるわけなのです。

で、ゴッチもサブスクについては様々な言及をしており、僕もまたサブスクについては気になって、実際に触れてもみて、でまた色々と感じることがございまして、以前のような記事を書くに至ったわけではございますが。

で、(前置き長くてすいません)その中でゴッチのリツイートや引用から少し引っかかるものを目にいたしまして。

事前に言っておきます、今から話すことはこれらの件に該当する方々を中傷したり否定するものでは一切ございません。むしろまた僕に考えるきっかけをくれた感謝と、また共に考えていきたいという気持ちの表れでございます。

何かというと、「無料音楽アプリを使う人への警鐘」ですね。

代表的なアプリは「Music FM」でしょうか。他にもあると思いますが、そういった無料の音楽アプリを使う人々への懸念や、そういったアプリを使える社会への懸念が伺える内容の文章を目にしたのですね。

いや、実際良くはないわけですよ。一切良くない。だって違法だもの著作権もクソもなければ、アーティストやレコード会社のことも一切考えられていないですからね。

無論、私アッチ自身も音楽が無いと息絶えてしまう人間の一人でございまして、こういった無法地帯な現状は嫌だねェと感じているわけです。

ただ、こういったメッセージを放つ我々自身に非常に違和感を感じることがありまして。それが冒頭のツイート②で言っていることです。

「無料音楽アプリを使うな」とは言えども、他はどうなの…?ということです。

 

 著作権で守られない場所

勿論、アッチ自身違法配信反対!の姿勢を崩さずにお話していきますが、一旦ここで記憶に新しい最近の事例を挙げてみましょう。

少し前にメディアでも取り上げられ話題となった漫画村ですね。人気のタイトルが違法でその漫画の紙面が無料で読めてしまうという言うまでもなく悪質なサービスですね。僕も漫画は好きですし許せないところではございますが。

漫画村」はその悪質なサービスにメスが入り、見事にBANされましたよね。(確かアクセス不可になったとかなんとか) 非常に良いことだと思います。でなければ漫画家さんや出版社も死んでしまうし、行為としても良くないですから利用できなくなって然るべきです。

これは、実際に法的な措置が取られたことによる進展ですよね。で、今まだ現存する無料音楽アプリにはこういった措置が行われていないわけですよ。それが問題点その1使える環境がある、しかも無料で!っていうね。

そういった悪質なアプリやサービスを摘発していかねばならない負の現状にある今の社会に問題があるのは間違えないのだけれども、自分達はどうだろう?ということも考えなければならないのではないかなと。それが問題点その2。

音楽が好きな人たちがこぞって「無料音楽アプリなんか使ってんじゃねーよ」と言うのは、勿論賛成なんですよ。ありがとう、とも思える。しかし世の中には様々のサービス(YouTube等)が溢れていて、実際その恩恵受けちゃっているよね?ってことなのです。

例えば、違法な音楽配信がCDセールスや配信等の売上減少(またはサブスクでのマージン減少)に加担しているとすれば、YouTubeで一般のユーザーがアップロードしているライブ映像は、そのアーティストの映像ソフトの売上減少にまた加担していますよね、ってことです。お笑い番組やバラエティ番組、ドラマや映画の違法アップロードにも同じことが言えるでしょう。

果たして、それらを絶対に利用していないって皆言えるの?ってことです。

 

音楽が好き、だけで音楽は守れない

音楽が好きな人が、そういった非合法な音楽の聴き方をする人に怪訝な顔で見るのは分かる、ただそこでマウントは取れないよ、ってことなのです。そりゃキミの方が思い入れがあるんだから、っていう。

センシティブな問題ではあるとは思います。ただ、気持ち悪いんですよね。それが③のツイート。その人自身(もしくは自分自身)が特定のモノの魅力に取り憑かれ過ぎて、その周りにあるモノに目を向けられないのが怖いのです。

音楽はこの地球上にありふれたものの一つなんですよ。本当悪い言い方をすれば、無くたって生きていけるもの。

音楽のことしか考えられない音楽ファンの人が一番イタいですからね。音楽ではないものを信仰して生きている人沢山いるよ。と。むしろ音楽だって様々な世界との関わりで生まれているんだから、と。

無料アプリでも音楽聴きたいんだな…音楽好きで嬉しいね、って思う。

良くないけどね、絶対。ただ、そのくらいありふれた文化なんですよ。そんなに強く言えない。これまでの話も踏まえてね。

少しスケールが大きくなってしまいましたが、要はもっと周りを見て自分の襟を正していこうぜ、ってことです。

気を付けていきたいですね。無料音楽アプリを使う人に対しても「ふざけんな馬鹿ヤロウ!」なんて言い方はせずに、「そんなにお金もかからんし、せっかくなら良い音でもっと色々な音楽聴きたくない?」って感じで良さをアピールして伝えたいですよね。サブスクは楽しいですから。

ともあれ、法規制がもう少ししっかりすれば良いなとマジで思います。そしたらYouTubeとかも死ぬと思いますけれどもね。

 

マキシマム ザ ホルモンという聖域

で、一つ例に挙げるべきなのは、マキシマム ザ ホルモンですね。皆さんご存じ。最高ですよね。「これからの麺カタコッテリの話をしよう」買いました。

彼らのセールス戦略や、また上記の違法性の高いサービスへの規制・抑制が完璧なんですよね。成功しちゃっているのよね。

違法アップロード反対という強いメッセージを掲げ、それに伴う行動を起こしているわけです。配信・CDレンタル一切無し、あくまでも「CDと映像ソフトは買ってね!手に取ってね!」「違法で聴くなよ!観るなよ!」という確固たる姿勢。また、買っても損はない、むしろ買うしかない充実のパッケージ。流石すぎるのですよ。そしてそれを成功させちゃってるのよね、このご時世で。メンバー及びスタッフの努力に尽きますよ。そしてそのやり方についていく腹ペコの方々の心。素晴らしい環境を創り上げていますよね。

どのアーティストもここまでやれとは言えないけれども、同業者のみならずあらゆるコンテンツを取り扱う業種の方々は見習うべき姿勢ですよね。やってのけているバンドがいるのだから。

 

流行歌が聞こえる世界は素晴らしい

で、ちょいとサブスクの話に戻ります!

上記違反アプリ含めてサブスクを利用する人が増えておりますが、改めて“個別で販売されている音楽”に目を向けてみたいのです。

以前投稿したサブスク考察記事と、上記①のツイートにも同じようなことを書いておりますが自らチョイスして音楽を買うことの尊さはいつまでも訴えかけて行きたいんですよね。

サブスクでは無限大に新しい音楽と出会うことができますが、一つのアーティストや音源に対して特別にお金をペイすることには大きな意味があると思うのですね。以前に書いたことと重複いたしますが、アーティストへの還元や応援の意味と、音楽に対する思い入れの芽生えですよね。あとはお金を払うことによる自らへのトライアルですよね。“自分が本当に好きな音楽はコレなんだ”という確固たるものを作る機会でしょう。(ついでに、ペイの究極はライブに行くことだと考えております) 言わば信仰心、もとい愛情ですね。(旧い考えで申し訳ないですが…)

そしてもう一つ大きな意味があると考えております。それは“世間への影響力”でございます。

と言うのは、CDや販売における配信の売上が一番分かりやすいのではないか、と感じるんですよね。それは“音楽を普段聴かない人々に対しても届く”といった意味でもですね。音源が売れることによってTVやラジオ等のメディア露出も増えて、耳にする機会が増えますよね。全然大したこと言っていないですが、これまでこのようなサイクルによって流行歌というものがその時代その時代で生まれてきたわけですよね。

例えば、昨年世間に大きくその名を轟かせた楽曲は米津玄師の「Lemon」ですよね。元々大人気であった彼ですが、ドラマの主題歌であったことも相まって世間の認知も更に広まり、またメロディアスな楽曲の世界観は多くの人々の心に響き、フィジカルCDの出荷枚数40万枚以上、配信ダウンロード数が200万以上と大ヒットとなりました。結果的にこの楽曲で彼は紅白歌合戦出場も果たし、まさしく“2018年の代表曲”となったわけです。

この数字は、米津玄師がサブスク進出していないことで出た“分かりやすい数字”ですよね。買うしかないっていう。その結果として、“こんだけ今売れているんだ、人気なんだ”という誰にでも見て分かる座標が生まれたわけです。僕としては流行歌が生まれる世界が健康的だと思っております。時代を映し出す楽曲があるのは面白いことですよ。たとえその曲をちゃんとは聴いていなくても、ふと耳にして「あの頃はこんな音楽あったなー、あんなことあったなー」みたいな感じでその時代を思い出したりできますもんね。売られている音楽が手に取られ売れるサイクルというのは少しでも残ってほしいなと思うんですよね。でなければいつまでも過去の音楽にすがる時代が来てしまうのではないかと危惧しております。

フレッシュな音楽がより多くの人々の耳に届いて新しい音楽の時代を作る文化、消えないでほしいですね。

とはいえYouTube発信でバズったDA PUMP「U.S.A.」もありますけどね。うーむ、YouTubeの影響力は凄まじい。

オリコンのランキングに「ストリーミングランキング」なるものがあるのを知りまして、覗いてみたのですが、結構アーティストが偏っているんですよね。サブスクに関しては“結構音楽好きな人”のものだと思っているので、世間への影響力的な意味では少し内向きなのではないかなと感じております。まあ影響与えれば良いってものでもないですが。ただ、音楽はあくまでも皆のものなのでね。音楽を耳にする機会が増えることが楽しい社会を作っていくきっかけなのではないでしょうか。説明下手ですいません。

 

うーむ、今回も語ったな。時間かけた。笑

恥ずかしながらこのブログも同じ気持ちでやっているんですよ。音楽好きの人にだけ届きたくない、ってね。そう思えるくらい音楽好きですよ。多くの人に音楽の素晴らしさを。

というわけで今回も長々とすいません!アッチでした、ではまた!

 

 

 

何故三郷市文化会館がライブツアーの初日で使われるのか?〜「翔んで埼玉」ブームにあやかってみる男

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どうもアッチでございます!ばくれつけん!というわけで今日も元気にやっていきたいと思います!

 

映画「翔んで埼玉」が大ヒットしているようですね。実は僕も埼玉県民でございまして、少し気になっている今日この頃でございます。GACKTの役が気になりますよね。

で、本日はそんな埼玉ブーム(?)にあやかりまして、僕が以前から抱えている埼玉に関するとある謎についてお話していきたいなと。あとは皆さまのプチ知識ともなれば。

 

埼玉県は三郷市、ここに三郷市文化会館というホール会場があるのですが、多くのアーティストが全国ツアーを敢行するにあたって、初日の公演でこの場所が選ばれることが非常に多いんですよ。光栄なことですよ、正直嬉しいです。

私アッチはこの三郷市文化会館に何回も訪れております。ただ、全て仕事でです。実際にライブが行われる会館内の大ホールにも何回も入ったことはありますが、これまでにしっかりとしたアーティストのライブは観たこと聴いたことはございません。

ただ、前々からこの件については気になっておりまして、思ったことや分かったことを、色々書いていこうかなと。

 

三郷市文化会館でのツアー初日公演実績

過去にツアー初日に三郷市文化会館でライブを行ったアーティストと、直近でライブを行うアーティストを挙げてみたいと思います。

□過去にツアー初日公演を三郷市文化会館で行ったアーティスト

GLAY(2010年)

ポルノグラフィティ(2010年,2017年)

SILENT SIREN(2015年)

家入レオ(2016年)

及川光博 (2016年)

・高橋優 (2017年)

・the GazettE (2018年) etc…

■直近でツアー初日公演を三郷市文化会館で行う予定のアーティスト

及川光博(2019年3月)

UNICORN(2019年4月)

 

ということで、そうそうたる方々がツアーの初日公演を三郷市文化会館で行っております。ミッチーは度々ここでライブを行っている記憶がありますね。もしかすると上記の開催年以外にもあるかもしれないですね(情報収集不足ですいません)。この実績は本当に凄いですよね。

 

何故三郷市文化会館を初日に選ぶのか

知り合いの方から話を聞いたことがあって、三郷市文化会館は音が良いから初日の音確認を兼ねたライブにはもってこい」ということです。凄いですよね。で、実際に文化会館のホームページで機材関連を調べてみましたが、どのメーカーのどのスピーカーを使っているか等は詳しく記載されておらず分かりませんでした。すいません。

 

調べていて出てきたのは、東京都内からアクセスが良い(近い)ので、セットや照明、バンドセットなどを搬送・搬入して前日からの通しリハーサルが出来ることが都合が良い、ということですね。これはごもっともですね。とにかく長期的な全国ツアーを回るにあたっての最終的な感触を確かめるのには丁度良いと。理に適っております。

 

個人的に感じるのは、お客さん側としても都内からのアクセスが良いのでチケットが捌け易いというのもあるのではないでしょうか。初日をソールドアウトすることによってツアー自体も活気付くのではと。アーティストの気持ちも乗りますよね。

 

音の良し悪しについては確認が出来ていないのですが、観客席からステージが非常に見やすく、ステージから見ると前方から後方に向けて緩やかな傾斜で上がっていく形になっているんですね。なので、ステージから見ても観客の反応や表情が確かめやすいのではないのかと。その反応を基に、より完成度の高いライブにしていくべく微調整をしていくのかなぁなんて。

 

ともあれ、三郷市文化会館、本当によく出てくる会場でございますのでチェックしていただければと思います。埼玉の誇りです。

 

アッチ的“埼玉指南”

ただ、例えば遠方であったり埼玉の土地勘が無い方がライブ等の用事でこちらに来られる場合は注意が必要です。

 

まずは今回のテーマでもある三郷市文化会館。電車でのアクセスはJR武蔵野線三郷駅のみという極めて不便なパターンでございます。そして、駅を出てから文化会館までの距離が地味に遠いです。そこそこ歩きます。

「せっかくの埼玉でのライブだから、少し埼玉満喫しちゃおっかな!」なんて気持ちでライブの開場時間よりも早く三郷駅に着いたとしましょう。文化会館界隈では時間を潰せるところマジで無いです。そもそも埼玉は何もないのですから。(「翔んで埼玉」のHPのあらすじ紹介にも「“何もない場所”埼玉県」と書かれております。笑)

ともあらば、三郷駅から1つ隣の新三郷駅に一時着陸することをお勧めいたします。ららぽーとがございますので、時間を潰すのにはもってこいです。そこから少し歩けばIKEAコストコという外資系ストア2大巨頭も待っておりますので、楽しめるはずです。

ただ、万が一早めに三郷駅に着いてしまったとしましょう。三郷駅南口を出て歩いてすぐのところにBOOK OFFがございます。そこそこ時間は潰せるはずです。そうしても時間が余っているようであれば駅近くにドトールがあるのでそこで一旦チルアウトしましょう。珈琲に舌鼓を打ちながら、その後に観る予定のアーティストの音源を改めて聴いて予習を行い、ライブ前のテンションを高めるのが吉ですね。非常に建設的な判断でございます。

 

ついでに、私アッチは今月よりスタートするASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2019「ホームタウン」の5月越谷サンシティホール公演に参戦予定でございます。

同じような境遇の方、お気をつけください。越谷もマジで何も無いです。

開場まで時間を持て余すようであれば、ここはサンシティホール最寄駅のJR武蔵野線南越谷駅から1つ隣の駅で一時着陸しましょう。埼玉県そして我々埼玉県民が誇りに誇る一大テーマパーク「イオンレイクタウンがその壮大な姿で皆様方の御来場を心よりお待ち申し上げております。ショッピングからお食事まで一通りは何でもございますので、時間潰しにはこの選択が最も建設的ではないのかなと。館内には日本一大きいと言われるヴィレッジヴァンガードも常設しておりますので、プラプラとしていれば間違いはないでしょう。

 

さいたまスーパーアリーナもしくはHEAVEN'S ROCKさいたま新都心が目的で、JR京浜東北線さいたま新都心駅に上陸される方々。万が一ライブ前に時間を持て余すのであれば、迷わずに駅から歩いてすぐに位置するショッピングモールのコクーンを目指しましょう。とりあえず時間は潰せることでしょう。映画を観てしまうのもアリですね。コクーン館内にはヴィレッジヴァンガードもございます。言わずもがな建設的な判断でございます。

 

大宮ソニックシティ目的で大宮駅に上陸される方々。まぁ大宮はそこまで問題はないですね。なにせ大宮は埼玉の東京ですから。新幹線も通っておりますし、百貨店にデパート、レストランに飲み屋、オフィス街にゲームセンターと一通りは揃っており、東京と言う名の仮面を被った街としてその名を轟かせておりますから。なんと!BOOK OFFもございます。間違いないですね。また、電車や鉄道関連に興味のある方は鉄道博物館に足を運ぶのも一つの手でしょう。極めて珍しい、埼玉の独自性を感じられる施設でございます。是非。

 

埼玉県民の悲しい性

というわけでですね、自らタイトル回収をしましたよ!笑 ちゃんとあやかってやりましたから。

埼玉は本当に何も無い場所なのです。何も無さが全体を占めながらもそこに凛然と秩父長瀞大自然が織り混ざっただけの土地なのです。草加煎餅深谷ねぎの二大巨頭でやっているんです。熊谷の真夏の猛暑で注目を浴びたいだけなんです。免許センターが鴻巣にあるという世界七不思議の一つがあるだけなんです。何も無いんです。こんなことは言いたくないのさ〜♪ですよ。(by くるり「青い空」)

くれぐれもライブ参戦や気紛れなお出かけの際はご注意を。肝に命じていただければ幸いです。

 

とは言えな、

こんな埼玉が大っ好きやねんなぁ…!

アッチでした、ではまた!

 

 

次世代ロックシーンはKANA-BOONが天下を獲るべきだ!

どうもアッチです!本日も愛を込めて音楽のこと話してまいりますっと!

今日も次から次へと新世代若手ロックバンドが世に頭角を表していくご時世ではございますが、2010年以降デビューのバンドで僕が1番好きなのはKANA-BOONでございます。

そしてタイトルにもございますように、是非ともKANA-BOONには次世代ロックの天下を獲ってもらいたいのです!

何故僕がここまで彼らのことをプッシュするのかお話しさせていただきたいと思います!

 

ご存知KANA-BOONですが、4人組ロックバンドで出身は大阪府堺市でございます。

僕も当ブログにて散々愛を語っているアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)への強いリスペクトを掲げておりますね。そんなアジカンのイズムを受け継ぎながら、いやもうむしろ越えていくくらいの骨太なロックを鳴らしてくれているバンド、KANA-BOONでございます。

とにかく早くKANA-BOONはスゲエってことを書きたくていじらしいのですが、まずどこまで説明してから始めていけばいいものか。ってかこれ読む人は大体知ってますよね。

アッチとKANA-BOONの出会い

KANA-BOONは一気に売れた。そりゃもうドカーンと。

今日まで続く“若者が引っ張る”J−ROCKブームみたいなものは、あくまで僕の体感ですが10年以上前くらいからあったと思うんですね。時代に順応していくように時には“踊れるロック”ならぬダンスチューンを前面に打ち出した楽曲を得意としたバンドであったり、また時には古き良きブルースやロックンロールの空気感を踏襲したTHE BAWDIESのようなバンドであったり、そして現在進行形とも言えるアシッドジャズやシティポップのお洒落なコード感や曲調を意識したSuchmosのようなバンドであったり、様々なバンドが日々その姿を世間に表してきたわけです。

KANA-BOONに関してはその中で言う“踊れるロック”部門出身と言っても良いですかね。まあ当初のイメージですが。このイメージは後に見事僕の中で覆されていきますのでお楽しみを。

 

まあとにかくKANA-BOONは一気に売れたんですわ。

ないものねだり

ないものねだり

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インディーズ時代からの代表曲「ないものねだり」を筆頭に、2014年のキューンミュージックからのメジャーデビュー後すぐの「盛者必衰の理、お断り」「1.2.step to you」「ウォーリーヒーロー」「結晶星」四つ打ち裏打ちハイハットナンバーを連発し、それはもうケダモノのように踊り狂いたく悶える聴衆の鼓膜を見事ブチ抜き、高速ダンスナンバー「フルドライブ」で完全にトドメを刺したわけですね。完全にKANA-BOONとキューンの圧勝。作戦勝ち。勢いがヤバかった、マジで。アジカンを過去にした、言われてましたからね(と言うか、その通り!笑)。

フルドライブ

フルドライブ

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しかしこの頃のKANA-BOONは嫌いやったでえ?「クソがよお毎回変わり映えのない分かり易い四つ打ちばっかやりやがって日和ってんじゃねえぞオラ!」思ってましたからね。

だけどね、言うて僕も四つ打ち裏ハットは大好物でございまして、ヨダレジュルリなってしまう性分ではございますが、なんだかんだ聴いちゃうのよね、KANA-BOONを。

クソやなあ思いながらYouTubeで聴く。何回も聴く。おやおや完全にクセになってますねアッチさん…。

クソやなあ思ってはいたけれども、上手いな凄いなとは重々感じていたわけですよね。谷口鮪って奴名前謎だけど少年みたいでめちゃ良い声してるな。ギターの古賀氏はめちゃくちゃ弾ける人やなあ、とか感じておりまして。しかもメロディはキャッチーだし音もカッコ良いし。センスヤバイよね実際…っていう。

シングル「フルドライブ」以降、2ndアルバム「TIME」までの流れが良かった。彼らのパブリックイメージを一蹴するミディアムナンバーの「生きていく」、そして大本命超絶名曲のストレートなロックナンバー「シルエット」と、徐々に四つ打ちバンドのイメージをズラしながら、新たなバンドの一面(というかむしろ本質かもね)も世にさらけ出していったわけです。(元々インディ盤「僕がCDを出したら」にもそんな名曲ありますけどね)

シルエット

シルエット

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そして2ndALの「TIME」もめっちゃ売れたな!からの単独武道館公演!瞬く間に完全にトップ走っていったわけですよ。

この頃のアッチさんの心はまだ半開き、いや7分開きといったところでしょうか。まだファンにはならんぞ〜!みたいな。笑 だけどめっちゃ聴いてましたけどね。

アッチ、KANA-BOONの虜へ

その後もちゃんと聴くのよ。完全に気になってるから。気になるあの娘的な存在だから。笑 で、インディーズ時代のもう廃盤になってる曲をYouTubeで漁ったりしていたんですね。するとどうだ、“いや、才能ヤバくない?”みたいな。“「スノーエスカー」とかマジなんだよ、才能怖いわ”みたいな。

なんだ、彼らの今世に出ているクオリティは昔からのホンマもんなんだね!スゴッ!っていう。

当初あんだけ毛嫌いしていたのに、ここで完全心パカーン開いたんですね。

2016年3rdAL「Origin」が発表されます。本編自体も非常に高いクオリティと新たなバンドの一面を出すものばかりで良いのはもちろんなんだけど、これの初回盤のDISC2KANA-BOONが人間をつくります。」ってやつ。

なんでもインディーズ時代に連続的にリリースして行っていた企画みたいなのだが、これに対する僕の印象“インディーズの頃からどエライことやってるな!感心しかねえ!”っていうね。そういう目線で音楽やってるのね!そういうこと歌おうとしてるのね!っていう。だって「人間をつくる」ですよ?“あぁ、人を歌いたいんだ”、っていう感心と感動。残る音楽作ろうとしてるやん、っていうね。その姿勢素敵やん、っていう。

この「KANA-BOONが人間をつくります。」ラストトラックの「Construct Connect」私、涙を流します。良い曲過ぎるんだよ…歌詞良過ぎか…ラストのサビ鳥肌立ったわ…!!どんだけ俺の背中を押してくれていることか!!

ハイッ!KANA-BOONファンの出来上がりです!笑 以降ぜーんぶ聴いています!

KANA-BOONにこそ天下を獲ってほしいワケ

ではではアッチさん、アンタがKANA-BOON好きなのは分かったけれども、天下を獲れなんてのは言い過ぎじゃない?って話になってくるわけですよ。ここからがいよいよ本題ですが。

別にファンだから贔屓で見てるんでしょ?って声もあるかと思いますが、まあ多少はありますよ。笑

でも、KANA-BOONの音楽には未来を感じているわけですよ。と言うか、KANA-BOONが残ってくれないと日本の音楽界、ロック界終わるで?くらいに思っております。

何故か。

  • メンバー全員がハイパフォーマンスで、かつ大衆に受け入れられるキャッチーなメロディが掛け合わされたバンドである

谷口鮪、彼は天才よ。なんでこんなに良いもの作れるのかなってレベルのメロディのキャッチーさ、ポップさ、語感の良さとチョイスの良さ。鬼キャッチー。

4thAL収録の「ディストラクションビートミュージック」なんてその集結みたいなものよ。初めて聴いたとき自然と笑みがこぼれましたからね。

J−POP的な展開や分かりやすさが全体的な楽曲の特徴でもあり、彼ら自身もそう言った音楽を血肉に変えて吸収してやっているんだろうと思うのだけれど、ぶっちゃけそんな音楽聴かない人にでも自然に届きますよね。KANA-BOONの音楽は。

僕自信が割と分かりやすい音楽が好きで、とか言いつつZAZEN BOYSなんかもライブ行き倒すレベルで好きなんだけれども、分かりやすさ=良さ・強みでしかないわけ。

さらに先述の「〜人間をつくります。」でも感じたけれども、彼らは残る音楽を作りたい人たちですよね、根本的に。そこよね、人々の心に残るっていうのは。

皆が好きなのが好きなのだろうし、実際それに敵う楽曲のクオリティなわけですよ。

とは言え実際キャッチーであったり、耳に残る曲を作る人は他にもいるわけで。ただ、それでも僕がKANA-BOONを推す理由。それは、彼らが本格的なバンドの上手さがあるから。

日々目まぐるしく流行が変わるものだから、近年のロックってどうしても若い人向けの文化だと思うんですよね。おそらく現在、そんなロック界と一般的な大衆の世を結び付けているのはback numberやRADWIMPS,米津玄師あたりなのかなと。売れてるしな。

だけれどKANA-BOONみたいなのはいないのよね。大衆に届くべきキャッチーな詞曲で後世にも残るべき楽曲と、プロフェッショナルな技術があるバンドっていうのが。上手いんだ。演奏力もあるし、楽曲のアレンジも上手い。

キャッチ―+クオリティ+残っていく音楽性=最強なんです。これは僕の中の定説。

それを現在進行形でやっているのがKANA-BOONなのだよ。

だから、KANA-BOON消えたら音楽界終わるぜ、マジで。つまんねーよそんなんは。

だから担ってもほしいなとか思っちゃうんですよね。ロックの格好良さも伝えられるし、楽器触る面白さも伝えられるし(これ重要!)、ダンスできる楽しさも伝えられるし、しっかり沁みるように心に届けることもできるし、っていう。

KANA-BOONが出す曲出す曲、聴くたびにぶっ飛んでしまうわけですよ、最新epのリードトラックネリネなんてポップ過ぎてホンマこいつら信用できるミュージシャンやな思いましたからね。やりたいことやっちょる。 

ネリネ

ネリネ

  • provided courtesy of iTunes

そして、彼らは華がありますよね。彼ら=KANA-BOONという目を引くところがちゃんとありますよね。これ大事。

どうかねー、KANA-BOONがロック界、音楽界の天下を獲ってほしい、マジで。あっちいってこっちいっての文章で申し訳ないですが、伝わりましたでしょうか。いや、伝わり切らないな。笑 すいません。

 

現在開催中の47都道府県ツアーのZeepTokyo公演も行きました。弟も好きだから2人で行ったよ。初めてKANA-BOONのライブ行ったよ。

悔しいな、フロアはガラガラだった。こんなんなん!?っていう。ちくしょうよ、皆すぐに飽きやがって。喫煙所も誰もいなかった。おそらく10代ばっかなんだな、カルチャーショックだったよ。それでもちゃんと来てる10代最高。人少ない分最高に観やすかったよ。彼らからすると不本意かもしれないけれども、僕にとっては贅沢でしたわ。周りの心配せずに彼らの音楽を浴びられましたからね。最高のライブでしたわ。もっと多くの人にずっと愛されるべきなんですよ。

いやー、本題外れて想い大きくなってきちゃったな。笑 書きながらウルってしまった。

KANA-BOONはマジで今の若いバンドの中だったらダントツですね。

アジカンなんかさっさと越えちゃえばいいんだよ。笑 どっちも愛してるから言うけれども。笑

鮪がテレキャスターを表立って弾くようになったのも感慨深かったなあ。完全アジカン憧れじゃないところ行こうとしてるね、みたいな。

鮪は天才だし、4人なら絶対大丈夫。流行り廃り関係ないで。少なくとも、音楽を愛している自分はKANA-BOONを愛しています。

自分とは学年1個下にあたる彼らですが、本当応援してますわ。最高だぜ貴方達。

 

長々と申し訳ございませんが、今回もバチコリと語らせていただきました!書きたかったことまた一つ書けた!ちゅーわけでまたよろしくです!アッチでした、ではまた!

 

カツカレーに関するとある考察

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どうもアッチです!いつもありがとうございます!

 

これから話すことは全て真実である。

つい最近の話である。ある日の昼、と言っても時間はもう夕刻近かった。とある食堂でカツカレーを食べようと思っていた。私はカレーが大好物である。「好きな食べ物は何ですか?」と尋ねられようならば、パブロフの犬さながらに「カレーです」と答えるほどのカレー好きだ。皆が思う以上にカレー好きである。この日の自分はカツカレーに呼ばれている気がしたのだ。それであれば、応える他ない。

いざ食堂へ。ここのカツカレーは以前にも一度食したことがある。値段は500円ワンコインで収まるリーズナブルさが一つのウリだ。ただ、自分が気に入ったのはその値段だけではない。カツが分厚く、ちゃんとした“カツ”なのだ。いつの日だったか、某オリジナリティ前面に押し出す系弁当チェーンでカツカレーを頼んだ際に、あまりのカツの薄さに閉口した記憶がある。そして値段も高い。味も普通。二度と頼むものか、と非常に残念な思いをしたのだ。

厨房では一人のおじさんが調理をしていた。腹も丁度良く減っており、カツカレーに呼ばれてからはもうカツカレーの口となっていた。テンションも高まっていた私は威勢良くカツカレーを注文した。

すると、おじさんから信じられない一言が返ってきたのである。

 

「すいません、今日カツ無いんです!」

 

えっ?私は一瞬耳を疑った。そしてすぐさまに、「カツ無いんですか?」と聞き返した。と言うよりも既に口からそう言葉が出ていた。

 

「カツ無いんです!」

 

嘘だろう?カツが無いだと?補足しよう。ここの食堂では日替わり定食というその日毎で提供される内容が変わるメニューはあるものの、カツカレーそしてカツ丼はレギュラーメニューとしてその名を連ねている。なんならちゃんとした写真付きだ。いつ行っても常に待ってくれているはずの存在なのだ。

それなのにカツが無いだと?おじさんはそれ以上は何も語らなかった。私は唖然とした。不思議なことに「本日カツ品切れです!」の表示がどこにも見当たらない。それよりも不思議なのは、もう時間も昼食のピークタイムを過ぎたところだ。果たして元々カツが初めから切れているとすれば、今日1日をどう切り抜けてきたのか?カツカレー及びカツ丼の注文の一つや二つは必ずあったはずだ。いずれにせよ、カツ品切れの表示をするべきではないのか?おじさんはキョトンとしていた。尚のこと私は閉口した。

しかし、このままでは食べるものが無い。カツカレーのテンションから上手く移行する手段はもはや一つ、通常のカレーを注文する他なかった。なので仕方なくカレーを注文した。

私はまたもや驚かされたのである。通常のカレーは390円である。

もうお分かりだろう。通常のカレーとカツカレーの価格差は実に110円だ。あろうことか、カツ1枚の価値は110円でしかないのだ。

否、逆である。カツが付いていないのに110円しか値段が変わらないのだ。つまり圧倒的にカツ無しのカレーの値段が高く感じられるわけだ。オーマイガット。

 

このような学説があるのはご存知だろうか。

通常時のカレーとカツを乗せた場合のカレーとでは、最低でも値段を150円は差を付けなければならない

 

ーアッチ・カレーノグ・ゴロゴローハ(1989〜)

 

 

多くのスパイスが溶け込んだカレーさながら、深みのある説である。

今回の私のパターンでは、カツが無いという条件下で仕方なく通常のカレーを注文したものの、カツ1枚がプラスされた場合における価格との差の無さに、物凄く損をした気分になってしまったのだ。

カツカレー及びカレーの値段設定は各店舗によって異なるのは当然である。この食堂のスタンスは恐らくだが、「カレー頼むならカツカレーの方がお得感あって良いよ!」といったところだろう。良心的とも言えよう。

かわってカツをトッピングすることで値段が200円程変わってくる店は多く存在する。それは相応と言えよう。カツだからだ。そのくらいのカツ…ではない、価値はあるはずだ。

上記の学説を今回のパターンに当てはめるのであれば、通常のカレーは350円が相場である。そのくらいのインパクトがあっても良いものだ。でなければ、カツが無い時のダメージがあまりにも大きい。この食堂のカレールーは殆ど具が溶けていて食感は感じられない。トッピングの必要性は極めて高い。しかも、自分はあのカツの厚みを知っている。この舌で味を覚えている。涙を流しかねなかった。

なので改めてこの学説を世に謳いたいのだ。

 

カツカレーの値段に対して通常のカレーの値段を相応に下げよ、と。でなければまた私のような被害者が生まれてしまうはずだからだ。

 

この日私は仕方なく通常のカレーを美味しく完食した。心には深い傷を残して…。

 

 

 

なんやねんこれ。

学者シリーズ出ましたよ!笑

これ本当の話なんですけど、即効ネタ行きやな思いましたからね。笑

というわけで本日もありがとうございました!アッチでした!ではまた!

 

焼き鳥の塩味を敢えて注文する人についてのとある一説

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アッチでございます、どもども。

焼き鳥、美味しいですよね。(唐突)

焼き鳥は一般的には“タレ”と“塩”の2つの味がありますよね。僕は昔から断然タレ派なんですよ。美味しいじゃないですか、甘くて。塩も美味しいけどタレの方が絶対美味しいと思うんですよ。

そんな焼き鳥に関する、とある学説があるのはご存知でしょうか。

 

「居酒屋等で焼き鳥の塩味をわざわざ注文する人は、自分がいかに大人であるかとカッコつけたいだけだ」

 

ーアッチ・トリカワスキー(1989〜)

 

これ非常に的を得た説ですよね。(尚「暴論ではないのか?」と一部学者は反対の意を表している模様)

要はタレの甘さと言うのが子ども的な幼さを感じさせてしまうため、敢えて格好つけてしょっぱい塩を注文している、と言うもはや心理学ですよね。自分は大人だと。大人の味を知っているのだと。いつまでもお子ちゃまでは無いのだと。

本当クソですよこれ。タレの方が美味しいでしょ普通に。そもそも鰻が美味いのも基本タレのお陰だからね。タレ命なんですよ。いやね、本気で塩の方が好きで食べやすいという理由で注文しているのであれば全然OKです。それはもう自由ですから。

ただ、大人に成り立ての20代のHIYOKKOさんがこれやってると嫌なんですよ(一応自分もギリ20代ですが)。なんばしよるの?って話ですよ。「本当に食べたいのはタレ味だろう?あの甘い感じ本当は好きだろう?」って思っちゃうんですよね。特に男、彼らは女性の前とか同僚の前でカッコつけたいだけなんです。マジでクソ。

という妄想ですが何か?笑 仮想敵と戦っておりますが。

僕はブレないですよ、特に食に関しては。否、ブレてはならないんですよ。曲げてはならないんですよ。

食は生き方ですからね。己自身を写す鏡なんですよ。自分が本当に美味しいと思っているもの、好きなものを好きなように食べれば良いじゃないか、っていうことですよ。(誰だお前)

でもね、私の地元にこじんまりとやっている焼き鳥屋さんがあって、なんとそこは1本70円〜80円という超絶お財布と近隣の子どもたちに優しい価格で提供してくれるんですよ。小学生も自分のお小遣い持って買いに来ちょる。

安いのも凄いんだけど、ここの焼き鳥は本当に美味しい。肉が柔らかい。豚タンなんかはプリップリ。

ここの鳥モモに関しては、塩が美味いんだ。マジで衝撃受けましたもん。ベストバランスな塩加減。(尚、たまにしょっぱ過ぎる模様。笑)だから、ここだけは塩も有り。それ以外は基本タレ推奨です。

というわけで、今回の学説いかがだったでしょうか。皆さんも良い焼き鳥ライフを!アッチでした、ではまた!