アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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最近の心掛け

“丁寧な暮らし”というものを意識している。

仕事にプライベート、そして休息。日々は忙しく、時間はいくらあっても足りない。その中でついつい自分の所作や行動がどこか焦りがちになって雑になってしまうことがある。

 

しかし、そんな時こそ丁寧に事を行うのが大事だと私は考えている。適当にこなした結果後々二度手間になってしまったり、例えば怪我をしてしまったり、何かを傷つけてしまったり、諸々の後悔をするようになってしまうのが嫌であり、何より勿体無い。

 

なのでなるべく、どんな時でも冷静さを忘れず、落ち着いて丁寧に生きたい。この心掛けはきっと物事が良い方向に転がるためのものだろう。そう信じたい。

 

 

 

話は変わるが、最近はとある作り物をしている。

追々、それについてはこのブログでも発表ができれば良いと考えている。コツコツでも良いから、少しずつ頑張りたい。

 

 

 

久々の投稿の割にクソ真面目な内容かよ!

ではまた!

 

 

 

心底どうでも良い密かなマイブーム

ペットボトルのお茶やジュースをよく買って飲む。そして飲み終えた後のペットボトルは当然後処理をする。ラベルを剥がして捨てて、ペットボトルは洗ってリサイクル用に分別する。至って普通の行為であるが、今までの私は特に何も考えずにそれを行っていたと思う。というのも、空のペットボトルがすぐにポリ袋に溜まってしまうので、置いておくスペースだったり捨てる回数が増えたりと、そういう細やかなところが地味に悩ましい。ただ、これまでその問題を放置していたのである。しかし、ここにきて最近の私は進化したのである。

 

それが掲題にもあるマイブームというものなのだが、「ペットボトルをくっちゃくちゃに潰す」ブームが訪れており、新たな世界が見えてきたのだ。

今まではおざなりにペットボトルを洗っては軽く潰してポリ袋に纏めていたが、“いや待てよ、ちゃんと潰してみよう”とふと思ったのである。

最近のペットボトルは環境にも非常に配慮され、かなり柔らかくなっている。1本あたりの素材の使用量を減らすことにより、以前よりも資源を大切にしているのだ。そして何を言おう、昔よりも潰しやすくなっているのだ。それが何をもたらしてくれるのかと言うと、くっちゃくちゃに潰せることでペットボトルの容積が減り、余分にポリ袋を圧迫しなくなる。より多くの本数が一度に捨てられるのだ。今更な話であるが。

 

ただ、この昨今の柔らかペットボトルを潰す作業がまあ楽しいのだ。「めっちゃ潰れるやん」と思いながら、力の限りを込めて潰す。これが地味にストレス発散にもなるし、上記の通り一度に沢山捨てられるようになるから、イイ。

特に某飲料水い○はすのペットボトルなんて凄い。ミッチミチにくっちゃくちゃにできる。雑巾かよ、と思う。あれを潰すのは本当に気持ち良い。病み付きにすらなる。

そんなマイブームが訪れている。小さくてクソ程にどうでも良いことだが、楽しい。

 

日々それとなく過ぎていくが、少しの考えの変化でどうにでも楽しくなるんだな、と思った最近の自分である。皆さんも是非ペットボトルくっちゃくちゃライフを。

 

 

ではまた!

 

 

 

思い違いは空のかなた


仕事の昼休憩に職場近くの中華料理店の弁当を買って食べることが多々ある。値段もさることながら、ボリュームも十分。日替わりで様々なおかずが入っており、本場の中華料理人が日本人向けのテイストに仕上げた料理は辛みや甘み等が奥深く存在し、とても美味しく、日々私の舌を喜ばせてくれるのだ。

ある日、おかずの一つに厚焼き卵の一切れ分みたいな見た目の物が入っていた。それをぱくり。すると、それは卵焼きではなく謎のパン?のようなものだった。言うなれば、肉まんあんまんの生地の、生地だけを凝縮したようなものであった。恐らくだがデザート的な立ち位置なのだろう。しかし私はとても呆気に取られた。完全に厚焼き卵だと思っていたからだ。本場の中華料理にはこんなものも存在するのか、するんだろうなぁとよくわからない気持ちになった次第である。

 

このように、自分の勝手な思い込みが実は本質とは違うということはたまにあるものだ。人間はいかに先入観で生きているのだと分かる。

 

これもつい数日前の昼休憩の出来事であるが、食事を終えて一服していると急な腹痛がやってきた。しかも中々の激痛。むむっ、これは耐え難い。トイレに行かねば、と。

このような状況に陥った場合、トイレまでの距離にもよるが、一旦放屁を行い腹に溜まったガスを抜き痛みを和らげるという、熟練の技がある。我が人生これまで幾度となくこういったケースに遭遇しては、何度もこの技で窮地を潜り抜けてきた。今回も行くぞ、と。

 

そしてゆっくりと放屁をする。これで少しは楽になるだろう…と。タイミングを見計らい、スゥ……。ほーら、今回も余裕だったな…。

 

 

しかし、どうやら様子がおかしい。なにやら気色悪い違和感があるぞ。

あれ、なんかケツが冷てえぞ?

これ、やったな。

やっちまったなぁ

オォォイ!

 

 

お察しの通りだ。私が屁だと思い込んで放出したそれは屁ではなかった。完成系の、中でも特に柔らかいそれであった。

 

恐らく“大人”になってからは初だろうか。

高校生の時にウイルス性胃腸炎を患った時は、あまりのお腹のユルユルさに漏れ出てしまうことがあった。病気以外で言うと、小学6年生の頃に2日連続で下校中に漏らしたことがある。しかし、記憶にあるのはそのくらいだ。

 

こうなると話は変わってくる。焦りを感じた私は、お尻が濡れている気持ち悪さとこれ以上被害を広げたくないという考えであまり素早くは歩くことが出来なかったが、一目散にトイレに向かった。

 

脱ぎ履きするために広いスペースが欲しかった。あまりよろしくはなかったが、多目的トイレを使うことにした。

すぐさまパンツを確認する。

しっかりと“彼”(Gerry Ben氏)が付いている。なんてことだ、と。クールポコさながらのやっちまったなぁ感である。

 

なんとか冷静さを取り戻せと自分に言い聞かせ、便座に腰掛け腹の中の全てを出し切る。なんとかスッキリとする。そして私は迷った挙句、脱いだパンツをトイレのゴミ箱に捨てた…。

(脳内BGM「aiko/カブトムシ」

♪生涯〜忘れる〜ことはないでしょう〜♪)

 

ズボンまで染み入っていなかったのが不幸中の幸いであった。

その後、終日ノーパンで過ごし事なきを得た…。

 

これもまた経験だろう、と私は思う。確実に私は自分を過信していた。思い込みをしていたのだ。弘法も筆の誤りとはまさにこのことではあるが、私はあの瞬間屁をこくというギャンブルをすべきではなかったのだ。

学び、である。今後はより一層気をつけていかねばならない。そう、同じ過ちを繰り返さないために。

 

 

しかしまぁ、

参ったネどうも…

(恥ずかしいよ!)

 

 

ではまた!

悲しい

www.atsudays.work

 

今とは文体が違うが、過去に私なりの愛を込めて書いたものである。とにかく好きだし、思い入れは非常に強い。

 

正直今もまだ受け入れられていない。三浦委員長はずっとこの先も飄々と生きて、音楽を続けてくれると思っていた。

 

ライブを観に行くほど好きなアーティストが亡くなってしまう経験は初めてかもしれない。こんなにも虚しくて寂しいのかと思う。

 

病気を隠しながら、そんな素ぶり一切見せず活動していた委員長は凄い。全然知らなかったし、全く分からなかったから。

 

もうこんなことで年齢を知りたくなかった…。

病気、お前ふざけんな。

 

 

三浦委員長のご冥福をお祈りいたします。

これからもあくまでも普通に、委員長の作った音楽を聴いていきます。