アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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思い違いは空のかなた


仕事の昼休憩に職場近くの中華料理店の弁当を買って食べることが多々ある。値段もさることながら、ボリュームも十分。日替わりで様々なおかずが入っており、本場の中華料理人が日本人向けのテイストに仕上げた料理は辛みや甘み等が奥深く存在し、とても美味しく、日々私の舌を喜ばせてくれるのだ。

ある日、おかずの一つに厚焼き卵の一切れ分みたいな見た目の物が入っていた。それをぱくり。すると、それは卵焼きではなく謎のパン?のようなものだった。言うなれば、肉まんあんまんの生地の、生地だけを凝縮したようなものであった。恐らくだがデザート的な立ち位置なのだろう。しかし私はとても呆気に取られた。完全に厚焼き卵だと思っていたからだ。本場の中華料理にはこんなものも存在するのか、するんだろうなぁとよくわからない気持ちになった次第である。

 

このように、自分の勝手な思い込みが実は本質とは違うということはたまにあるものだ。人間はいかに先入観で生きているのだと分かる。

 

これもつい数日前の昼休憩の出来事であるが、食事を終えて一服していると急な腹痛がやってきた。しかも中々の激痛。むむっ、これは耐え難い。トイレに行かねば、と。

このような状況に陥った場合、トイレまでの距離にもよるが、一旦放屁を行い腹に溜まったガスを抜き痛みを和らげるという、熟練の技がある。我が人生これまで幾度となくこういったケースに遭遇しては、何度もこの技で窮地を潜り抜けてきた。今回も行くぞ、と。

 

そしてゆっくりと放屁をする。これで少しは楽になるだろう…と。タイミングを見計らい、スゥ……。ほーら、今回も余裕だったな…。

 

 

しかし、どうやら様子がおかしい。なにやら気色悪い違和感があるぞ。

あれ、なんかケツが冷てえぞ?

これ、やったな。

やっちまったなぁ

オォォイ!

 

 

お察しの通りだ。私が屁だと思い込んで放出したそれは屁ではなかった。完成系の、中でも特に柔らかいそれであった。

 

恐らく“大人”になってからは初だろうか。

高校生の時にウイルス性胃腸炎を患った時は、あまりのお腹のユルユルさに漏れ出てしまうことがあった。病気以外で言うと、小学6年生の頃に2日連続で下校中に漏らしたことがある。しかし、記憶にあるのはそのくらいだ。

 

こうなると話は変わってくる。焦りを感じた私は、お尻が濡れている気持ち悪さとこれ以上被害を広げたくないという考えであまり素早くは歩くことが出来なかったが、一目散にトイレに向かった。

 

脱ぎ履きするために広いスペースが欲しかった。あまりよろしくはなかったが、多目的トイレを使うことにした。

すぐさまパンツを確認する。

しっかりと“彼”(Gerry Ben氏)が付いている。なんてことだ、と。クールポコさながらのやっちまったなぁ感である。

 

なんとか冷静さを取り戻せと自分に言い聞かせ、便座に腰掛け腹の中の全てを出し切る。なんとかスッキリとする。そして私は迷った挙句、脱いだパンツをトイレのゴミ箱に捨てた…。

(脳内BGM「aiko/カブトムシ」

♪生涯〜忘れる〜ことはないでしょう〜♪)

 

ズボンまで染み入っていなかったのが不幸中の幸いであった。

その後、終日ノーパンで過ごし事なきを得た…。

 

これもまた経験だろう、と私は思う。確実に私は自分を過信していた。思い込みをしていたのだ。弘法も筆の誤りとはまさにこのことではあるが、私はあの瞬間屁をこくというギャンブルをすべきではなかったのだ。

学び、である。今後はより一層気をつけていかねばならない。そう、同じ過ちを繰り返さないために。

 

 

しかしまぁ、

参ったネどうも…

(恥ずかしいよ!)

 

 

ではまた!

悲しい

www.atsudays.work

 

今とは文体が違うが、過去に私なりの愛を込めて書いたものである。とにかく好きだし、思い入れは非常に強い。

 

正直今もまだ受け入れられていない。三浦委員長はずっとこの先も飄々と生きて、音楽を続けてくれると思っていた。

 

ライブを観に行くほど好きなアーティストが亡くなってしまう経験は初めてかもしれない。こんなにも虚しくて寂しいのかと思う。

 

病気を隠しながら、そんな素ぶり一切見せず活動していた委員長は凄い。全然知らなかったし、全く分からなかったから。

 

もうこんなことで年齢を知りたくなかった…。

病気、お前ふざけんな。

 

 

三浦委員長のご冥福をお祈りいたします。

これからもあくまでも普通に、委員長の作った音楽を聴いていきます。

 

 

記録は塗り替えられた

“美味いもの”に目がない私であるが、都度都度某グルメ情報アプリを開いては近所に良いお店がないか調べている。自分の嗜好としてはラーメンやカレーがメインだが、評価が高くて自分の好みっぽい雰囲気が出ていると物凄く行ってみたくなるのだ。なんらかの用事があって出掛けることがあれば、その土地土地で食べられそうな美味いものがないか事前にリサーチするのが決まりだ。そんなプチグルメ気取りをカマしている吾輩である。とにかく美味しいものに出会いたいし、食べたい。しかし、いくら星の数が多かろうとも、食べてみないと自分自身が下す評価なんて分からない。それこそがロマンであり面白いところであり、冒険だと思っている。そしてチャレンジした結果お気に入りのお店に出会えれば、それは御の字である。

 

 

そんな自称“プチグルメ”の私であるが、ここ最近お気に入りのお店を発見したのである。と言ってももう一年以上経つのかもしれない。

 

店名等は伏せるが、隣町の某ラーメン屋である。家系ラーメン、というやつである。ご飯が進む濃いめの味の美味いやつだ。

とにかくここのラーメンは全てにおいてクオリティが高すぎるのだ。スープ・麺・チャーシュー・味玉全部美味い。特にチャーシューはどこか香ばしくて柔らかくて美味い。しかもデカい。卓上の刻み漬けニンニクがこれまた美味い。そしてご飯は無料。大食いの自分は毎回大盛りで2杯食べる。ラーメンとの相性は抜群だ。かっ喰らう、という表現が合っている。それはもう夢中にいただく。とにかく美味い。

そして極め付けは店員さんの愛想も非常に良い。このお店に関しては言うことがない。100点。なのでほぼ毎週隣街からわざわざ電車に乗って通っている。完全に虜である。

 

 

自宅から歩いて数分の、これまた美味いラーメン屋がある。もう10年以上そのお店が自分の中の“一位”であった。それはもう確固たる不動の地位であった。

 

しかし、それはいよいよ塗り替えられたのである。新一位が誕生してしまったのである。

これは自分の人生においても非常にショッキングかつ、グレイトな出来事なのである。まさかそんなことがあるのか、と。そして、感動したのである。

 

何が言いたかったのかというと、人生何が起こるか分からない、大番狂わせもあるということだ。

自分はラーメンからそんなことを学んだのだ。

 

 

 

ありがとうございました。(終わりかよ!)

 

ではまた!

 

 

インフェルノ


それは突然のニュースだった。

地元で20年以上も続いていた某温泉施設が1月31日をもって閉館するとのことだった。

 

どういった事情かは全く分からない。経営難なのか、施設の老朽化なのか、はたまた別の理由か。とは言え、自分の街のシンボルの一つとして存在する場所があまりにも急に終わりを迎えるということに衝撃を受けた。

 

自分は小学生の頃からその施設にお世話になっていた。自宅からもかなり近い距離なので度々入浴をさせていただいたものである。

 

最近では「サウナブーム」なんてものがあり、スパや健康ランド的な施設が盛り上がりを見せているが、ここの施設のお風呂はずばり天然温泉。地中から沸々と湧き上がってくる効能たっぷりなそれなのである。遠い記憶ではあるが、20年くらい前に「温泉が掘れたぞ!!」と局所的に話題になっていた覚えがある。ワクワクすることが起きたなと、子どもながらに嬉しくなった記憶がある。温泉がある地元、というのが誇らしくも感じられた。

 

思い出は多い。友と湯に浸かりあれこれと語り合ったこともある。仕事終わりに行って日頃の溜まった疲れを癒したこともある。近年では家の給湯器が突如壊れてしまい、その時も急遽助けてもらったのである。

 

私は地元を愛している。実家時代〜一人暮らしの今にかけて20年以上離れることなく同じ街に住んでいるが、自分の生活圏内に当たり前のように在った場所だ。それが無くなるというのだから、非常に寂しい。

 

 

1月31日最終営業日、仕事の後に向かうことにした。最後に入らなければなんだか後悔しそうだなと思ったのと、今までお世話になってきた義理を果たすためでもあった。ありがとうね、と。

 

22時、閉館1時間前に入館。まず驚いたのは普段では見慣れないその人の多さであった。正直に言うがこんなに人が多いのはかつて見たことがない。恐らく皆同じことを考えて、同じ思いを抱えて此処に来ているのだろう。最後の湯と、この空間の雰囲気を心身に刻もうとしているのだ。それが感じられてどこか嬉しかった。

 

大浴場に行きふと見ると、サウナには順番待ちの列ができていた。少し異様な光景だ。全体的に人がひしめき合っていた。野郎の群れで賑やかであった。今日で閉館という、特別な日の雰囲気をこれでもかと感じさせられる。そしてそれこそがこの場所が終わるという「実感」に直結していることは言うまでもない。

 

「あー、本当に終わるんだな」と切なくなりながら自分もいつものように過ごす。いつものように、大して勢いの無いシャワーを使い全身を洗う。そしていつものように先ず露天風呂に向かう。まあしかし人が多い。「すいません」と人の間をすり抜け、いざ入浴する。はぁ、とため息が溢れ出る。心地が良い。堪らない。お風呂は素晴らしい。とりわけ大きい風呂は。

 

この露天風呂から見える夜空とスーパーの看板が好きだった。全くもって大層な景色ではないが、自分にとっては丁度良かった。「生活の中にある至福」とはこのことを言うのだろうと。

露天風呂のテレビではKing & Princeの永瀬廉くんのドラマが映されていた。彼は良い演技をしていた。話の内容は分からないが、なんか沁みた。しかしキンプリも本当に勿体無いよなぁ、と。突然当たり前のものが終わってしまうのはとても寂しいのである。

 

最後のジェットバスも堪能した。背中に受ける強めの水力が心地良い。並びの列が途切れた頃、ちゃっかりサウナにも入った。特別熱さが得意なわけではないので短めに。だが、少しだけととのった。

 

時間もそこまでなかったので、ひとしきり全体を堪能し大浴場を後にした。やはり来て良かったと思った。「良い湯」と「良い空間」は確かにそこに存在していた。最後に改めてそう感じた。

 

 

やれ感傷である。永遠というものはこうも存在しないものだ。当たり前にあるものはふとしたタイミングでスッと消えてしまうことがある。アニメのポケモンだって、サトシが引退してしまうことに心底精神的なダメージを受けているのだ。サトシはともかく、ピカチュウロケット団はどうなっちまうんだと。あいつらいつまでも居るんじゃなかったのかよ、と。本当人生って寂しいもんだよなと思ってしまう。

 

この素晴らしい温泉施設はどうなってしまうのだろう。一つの歴史は途絶えてしまったが、綺麗さっぱり丸々無くしてしまうのは勿体無いと思う。どうか別の会社が引き継いでまた新たな形で続いてくれないかと切に思う。

 

 

サンキューフォーエバー、グッバイフォーエバー。

素敵な未来がこの先にあれば良いなと思う、何事も。

 

ではまた!

 

 

 

ボクは地球防衛隊だった

 

小学生の頃はゲームセンターのメダルゲームが大好きで、近所のスーパーのゲームコーナーに友達やまたは母親と足繁く通っていた。メダルゲームは誰しもが通る遊びの一つではないだろうか。

ご存知の通りメダルゲームには色々と種類があるが、その中でも当時私が心酔していたものがある。それがウルトラマン「大地球防衛戦」というものである。(「大地球防衛戦」という機種名は今さっき調べて知った)

 

1〜7までの番号がそれぞれ振り当てられた建物が画面上に配置されている。そしてウルトラマンに出てくる怪獣たちがランダムに建物からひょこっと頭を出すのだ。

手元には7つのボタンが画面の建物と同様の配置で並んでおり、ボタンを押すとその番号の建物に向かってウルトラマンスペシウム光線を放つ。つまりモグラ叩きと同じ要領だ。建物から顔を出した怪獣目がけてボタンを押し、倒していくのである。

制限時間は30秒くらいだっただろうか。時間内に40体くらい倒すと一応はゲームクリアとなる。クリアするとメダルチャンスルーレットなるものが回転し、最終的にルーレットで出た枚数のメダルが獲得できるのである。

 

ともあれこのゲームは、次々とピョコピョコ出てくる怪獣を素早くボタンを押して倒していかなければならない。大事なのは手元の7つのボタンの位置を把握することと、建物から出てくる怪獣の番号をしっかりと見極めることである。これが初見の人ややり慣れてない人だと中々難しく、クリアに及ばないことがある。

 

しかし私はこのゲームがとにかく大得意であった。(大得意になった、とも言える。)

 

手元のボタンはまず見ない。完全に位置を把握しているので、ノールックで次々と怪獣を倒す。毎プレイパーフェクト得点をしていた。時には両手でプレイすることにも飽きて、片手のみでパーフェクトを出すこともあった。市内の中では(自称)トップクラスの腕前だったのではないだろうか。

 

この「大地球防衛戦」はメダル3枚を投入しプレイするのだが、クリア後のメダルチャンスルーレットで3枚よりも少ない枚数しか当たらないということはザラである。3枚かけて2枚しか貰えない、といった感じで。せっかく頑張ったのに結果的に損をすることがあるのだ。4枚以上当たろうものならば、それはとっても良い方である。

 

しかし、なんと言ってもこのゲームの面白いところは時折“入る”のである。

では、“入る”とは何か。

おそらく50ゲームくらいの間隔だと思われるが、急にメダルチャンスルーレットが毎回10枚〜20枚の高配当を出すゾーンに突入するのである。このゾーンに入ると連続して10ゲーム近くは高枚数のメダルが獲得できるのである。“入る”と一気にメダルを稼げるのだ。これがとてつもなく気持ちが良いのである。入った時の興奮は喩えようのないものであり、今時の言い方をすると「汁が出る」というものだ。

他の誰かがプレイするのを見て、“入る”タイミングを見極めるのも楽しみ方の一つであった。逆を言えば、他の人がそこで“入って”しまったら、それはガッカリこの上ないのである。

 

 

そんなウルトラマンのゲームが大好きだった。

 

 

あまりにも昔すぎて明確な時期は覚えていないが、とある時から「大地球防衛戦」がゲームコーナーから姿を消したのである。喪失感を覚えたのは言うまでもない。

かれこれ20年近く見かけることすらないが、仮に今プレイしたら当時のようにパーフェクトを出せるのだろうか。あの頃の腕は未だ衰えていないだろうか。まだどこかのゲームセンターに置いていないだろうか。どなたか、もし見かけることがあったら教えてほしい。

 

 

そんなノスタルジックな気持ちの今日この頃の私であった。

ではまた!

 

 

雑記2021.11

喫煙者の肩身が狭くなる一方である。受動喫煙対策なのか、この間の東京五輪に向けた(本来多く日本へ足を運ばれる予定であった)外国人観光客への配慮なのか知らないが、昨年4月からファミレスはおろか喫茶店でも安易に喫煙はできなくなった。ましてやこのコロナ禍でいわゆる“密”を避けるために、私の職場を含めあらゆる喫煙所が閉鎖状態となっている。となると、これまで以上に状況に合わせて喫煙が可能な場所を探して足を動きないといけないのである。とは言え、場所によっては一切喫煙を許されないこともある。まったく世知辛いものだ。

 

 

ここのところの私はとある資格取得へ向けた勉強に励んでいる。励んでいるというほど励んでもいないようなモチベーションではあるが、チマチマと1人苦手な記憶学習的なことをやっているのである。覚えては忘れ覚えては忘れの連続である。

自宅だと中々勉強が集中して行えないので、よくカフェなんぞに足を運ぶことがある。

その中で最近は、今の世の中珍しいテーブルでの喫煙が可能なカフェが唯一近くにあり、そこに行っている。そこはもう喫煙者しかいないのである。もう堂々と吸って良いのだ。実に珍しい。

 

 

ある日そこで勉強をしていると、近くのテーブルでは40〜50代くらいと思われる女性2人が、互いにタバコを燻らせながら談笑を楽しんでいた。ふと、そのうち1人の女性の持ち物であるトートバッグに目がいった。そこからA4サイズくらいの封筒が飛び出て見えていたからだ。

ついつい気になって目で追ってしまうと、その封筒の透明な小窓からは”診断結果「E」”と

いう文字が見えていた。

どうやら健康診断の結果である。

いや隠しなさいよ、と思った。そしてヤバいじゃないかよとも思った。しかし、そんなこと気にすることないかのように、その女性は喫煙を愉しんでいた。

 

どうか自身の健康には気を遣っていただきたいものである。

とは言え、いいね!

 

 

ではまた!

 

 

蝶か、蛾か

我らが埼玉西武ライオンズ、どうやら今年は相当厳しそうである。現在の順位は最下位に程近い5位と低迷しきっている。とにかく勢いがつかない。抜け出そうとする兆しが見受けられないのが事実である。

プロ野球有識者達がかく言うのは、ライオンズの弱点は投手陣であるということ。うむ、それはもうごもっともとしか言えないである。とにかく先発投手陣の安定感の無さが如実である。髙橋光成はもとより、頼りの今井達也と松本航が良い時と悪い時がハッキリとしすぎている。かつては“負けない男”として不敗神話を打ち立てていたニールも絶不調極まりない。ピッチャーで落とす試合が多すぎる。中継ぎの要のギャレットも不安定過ぎる。

 

そして何より打線の爆発力の無さ。チャンスで打てない。この一言に尽きる。点を取るべき場面で無念の残塁祭りなのだ。それじゃ勝てるわけがないですよ、と。

山賊打線などと言われ恐れをなしていたが、今年は見る影も無さそうだ。悲しいがいつの試合もそんな調子なのである。

今年はCSすら厳しそうである。どうか残りの試合を勝ちまくってファンの気持ちを盛り上げてほしいものだ。

 

 

そんな埼玉西武ライオンズの本拠地メットライフドームへ現地観戦に行った時のことである。その日はブルペンが目の前の最前列の席での観戦で、すぐ正面には通路があった。

間も無くプレイボールだという頃、とある物を発見した。

蝶か蛾か、はハッキリと分からないが一匹の虫が私の目の前の通路にいたのだ。その虫は片一方の羽根がもぎれて半分になってしまっており、飛ぶことができずにその場をバタバタとのたうち回っていた。何故羽根がもぎれていたのかは知らない。鳥に食われたのか、どこかにぶつけてしまったのか。

可哀想だ、と私は思った。その虫はその場をどうにか脱出しようとしているのか、とにかく必死にバタバタともがいている。

仮にここが野球場でなければ私はどうにかその虫をまともな場所へ逃してあげただろう。そうしてあげたかった。しかし、完全にドームの中の通路、そして上階の外へも一番離れた最下段の場所である。自分は何もしてあげることができなかった。

試合も始まり、ライオンズの応援にも熱が入るところなのだが、どうもその虫が気になって仕方がない。まだバタバタと必死に動こうとしている。まだ飛ぶことを諦めていないのかも分からない。通路上に居てしまっているので、当然人も多く通るのだが、踏まれそうになると残りの片方の羽根を懸命にバタつかせ、避けようと動いている。

最終的には私から10mくらい離れたところまでバタバタと動いていった。凄い根性だと思った。必死とはああいうことを言うのだな、と。

試合観戦に集中したかったのだが、頭の中では色々なことを考えてしまったのである。その虫を救いたかった気持ちと救えなかったもどかしさ。また、仮にそいつがゴキブリだったら別に救おうともしなかったんだろうなという、選択が生まれている自分とその見解に対する反芻。善とは何か。偽善とは何か。

これもこの自然の摂理と割り切ってしまえばそれまでだが、なんか何なんだろうな、と思ってしまったのである。そもそも深く考えることでもないのかもしれない、というのが率直な気持ちである。

 

そんな纏まりの無い話である。

 

 

 

尚、結局その日も試合は負けた。

 

 

 

ではまた!

 

 

 

(9/23 追記)

サヨナラ勝ちバンザーイ!!!