アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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“変態”って、何なのさ

ニガミ17才(というロックバンド)の岩下優介(Vo.&Gt.)と平沢あくび(Syn.)が深夜のテレビ番組に出演しているのをたまたま観た。まず始めに言うが、私はこのバンドへの興味は殆ど無い。所詮「ただし、BGM」の一発屋だと思っている。今回このバンドを紹介するために名前を出しているわけではないので、気になった読者の皆様は各々でお調べいただけると有難い。

(愛を込めていればこのようにちゃんと書きます)

 

俗に言う、“一般的な感覚とは多少ズレた奇怪”な音楽性のバンドである。簡単に言うと“変態”さをウリにしている、と言ったところだろうか。直球ではない、って感じかね。

 

世間的な知名度はまだ並以下と言ったところでしょう(それが「悪い」ことではないことは説明無用でよろしく)。まあ勿論、ロックファンや音楽好きな方々は当然チェックされていることでしょうが。ただ、ここのところは平沢あくびの独特な恋愛観や、そのルックスを全面に出して、彼女が音楽とは関係ないテレビ番組に出演しているのを見かける。そんなんでテレビに出る前にまずバンドで売れろよ、と率直に思う。売れるためには“卵が先か、鶏が先か”的な話でもあると思うのだが、貴方達の場合なら音楽が先だろう、と。しかも平沢は最近はちょっと太ってきているようにも感じる。そのやり方で名を挙げるなら、せめて己の美は保てよ、と言いたい(ルックスの好みは人それぞれだろうが)。

 

その番組で、MCが岩下優介に対してこう質問をしていた。「“変態”とはなんですか?」と。そして岩下はこう答え始める。「僕はこれまでずっと変態をやってきたのですが…云々…」

そこまでしっかりと耳を傾けていたわけではないので、質問への回答についてはぼんやりとしか覚えていないが、その語り出しに私は「あぁ、所詮そんなもんなのね」とかなり残念に感じたのである。岩下は「ジャズがー、オシャレがー」とどうたらこうたら話していたが、一向に私には響かなかったのである。

 

 

 

さて、“変態”とは何だろうか。

 

変態それは「(一般とは)違う・異なる・特殊」という意味であることには間違えない。

例えば今回の件で言うと、音楽性が“変態”であったり、他は性的趣向が“変態”であったり、感覚が“変態”、行動が“変態”、思考が“変態”と、様々な“変態”が数多く存在する。そりゃそうだと。変態もといHENTAIは世の中に溢れているのである。

 

では、何故ニガミ17才岩下の“変態”への解釈が私に響かなかったのか。

 

いやぁ、“変態”って自分で言うものじゃなくない?えぇ?

 

 

“変態”なこと(今回で言うと音楽または音楽性)をやっている自覚があるうちは、“変態”じゃないと思うんですよね。結局は周りからどう見られるかで決まるものだと思うんですよ。

 

「変態でしょー変態なことやってるでしょー」の感覚で、あたかもウケを狙っているようでは甘いかなと。ぶっちゃけイタいわ。周りから「うわ、これ変態だわ」となるのが本当の評価よね。価値観は人それぞれ違いますから。そして、それを天然で、自然発生的に行う者こそが真の“変態”なのではないかと。己を俯瞰で見たときに、説明が可能であるほどに冷静に遂行して、それが周りから“変態”と受け入れられてこそ初めて“変態”と言えるのではないかと。

 

えー、書いていて訳分からなくなっております。笑 

 

具体例を挙げていきます。私はZAZEN BOYSが大好きである。愛している。令和になってから既に2回ライブ観ている。彼らの音楽は変態そのものだ。面倒だから説明はせん!笑 変態変態変態!堪らん!と、私はなる。

しかし、彼らの“極極(キワキワ)”な音楽性に裏打ちされるのは卓越したテクニックと、複雑な演奏をあたかも自然にこなす冷静さ。向井秀徳の凛とした立ち振る舞いと、和の精神ならぬ礼儀をわきまえたステージング。彼らはいたってナチュラなのである。そこがカッコ良いのであって、シビれて、堪らないのだ。唯一無二なのだ。そこに私は真の“変態”を見る。彼らは自らを「変態やってます」なんて語らない。これなのだ。

 

少し論点をズラすが、私は俗に言うサブカル厨が好きではない。彼らは自分に浸っているからだ。“人とは違う”という主観を盾にして、己を特別だと、ズレていると思ってならない。それが私にしたら実に面白くないのだ。“人とは違う”ことを考えてる時点で、それ造っているよと。成り切れてないですね、と思う。まぁ妄想ですが。

 

また、惡の華という漫画がある。これも説明面倒なのでしないが、やたらと“変態”を取り扱う内容のストーリーとしては、その捉え方には非常に辟易とした。全裸の主人公に対して冷静なヒロインなんて、現実世界じゃおらんでしょ。途中で読むのやめました。面白くなかったから。“変態”じゃないの、それ。変態の押し売り。何がしたいのかと思った。

 

やたらと“変態”というワードが横行するエンターテイメントの世界だとは感じるが、本来の“変態”というものは醜く、気持ちが悪く、不安なものである。違和感または嫌悪感でしかないのだ。それを忘れてはならない。ただ、“変態”に共鳴や感動をする人もいるわけで、その合致によってそこにグルーヴが生まれ、新たな文化が作られるのである。それは時として美しく綺麗なのである。

簡単に“変態”という言葉を用いてほしくはない。“普通”を知らなければ変態なことは出来ません。その“普通”こそが実に深い。本当にそれは面白いですか?と。知恵を振り絞り、自らを客観視し、冷静に判断し、取捨選択し、生み出されるもの。それが“変態”なものである。それをやっている人は、自らを“変態”とは言わないだろう。それが通常運転なので。 

 

長々と話しましたが、伝わったでしょうか?笑 

「自分変態です!」はダサいって!それがエンターテイメントであるならば尚更!

そんなことを感じた私アッチでした!ではまた!