アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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とある忘れることのない出来事

それは私が小学1年生の時のことである。

 

以前に当ブログで書きましたが、現在私は埼玉県在住でございます。しかし、元々自分は東京生まれであり(この“東京生まれ”という肩書きは我ながら好きである)、小学2年生の二学期まで東京都内のとある小さな市に住んでいた。なのでこれから話すのは東京時代のことである。

 

当時自分が通っていた幼稚園が、その頃住んでいた家からはやや離れたところにあり(どういった理由でその幼稚園に通うことになったのかは分からないが、良い幼稚園だった)、それなりに楽しくは過ごしていたのだが、小学校に上がるとなると必然的に自分の家の最寄りの学校(信号を一回も使うことなく行ける程に激近)に通うことになったので、同タイミングで入学する同級生に自分の友達がほぼいないという、中々にアウェイな状況に若くして挑むことを選ばざるを得なくなった。

(尚、当時住んでいたマンションに同じ学校に通う同級生の友達が一人いたので、その子が心の支えではあった)

 

自分が暮らしていた東京某市の小学校は、その数が約11個程に分散されており、第一、第二…と名前が続いて付けられている。自分は第九小学校であった(ヴェートーベンか!というツッコミが聞こえる)。そのせいもあるのか、入学時のクラスは1クラス。各学校の児童数が少ないのだ。なので、何としてもそのクラスで上手くやっていかなくてはならない。

 

ドキドキの新1年生!不安や緊張が入り混じる面持ちのアッチ6歳。ただやっぱり当時は子どもですし、皆も同じ心境だ。初めましてでもなんとかなるんだよね。自然と溶け込めるもので。

 

入学初日のことである。どういった経緯だったかは完全に忘れたが(おそらく初期設定の席が近かったのだろう)、一人の女の子と友達になった。この少女の名をまゆみ(仮名)としよう。初対面ながらも親しく話すことができ、非常に安心感を得たことは言うまでもない。とりあえず翌日以降もこの子とは話せる、という揺るぎない実感を得ていた。幸先の良いスタートであった。

 

 

入学二日目のことである。

登校し、彼女を見つけた私は「おはよう、まゆみちゃん」と元気良く挨拶をした。すると、まゆみちゃんはこう言い放った。

 

 

「貴方、誰?」

 

 

え?どういうことだ?ちょっと待て、昨日の今日だろう。俺は知らぬ間にパラレルワールドに迷い込んでしまったのか?もしくは俺みたいなYOSOMONOへの仕打ちか?戦慄が走る。完全に頭はパニックだ。

 

その間も無く、別の一人の少女が横から出てきて話しかける。

 

 

「アッチ君、その子はまゆみじゃないよ。私だよ。」

 

 

え?どういうことだ?パニック状態から我にかえり、しっかりと自らが置かれている状況を見返す。するとどうだ、最初に自分が話しかけた少女と、横から入ってきた少女の顔が同じである。

 

 

もうお気付きのことであろう、彼女達は双子の姉妹だったのだ。完全に虚を突かれたのである。

 

 

私がまゆみちゃん(仮)だと思っていた少女が言う。「私はまなみ(仮名)よ。」と。

 

つまり、私がまゆみちゃん(仮)と思って声をかけた少女はまゆみちゃん(仮)ではなく、まゆみちゃん(仮)と双子の姉妹のまなみちゃん(仮)であったのだ。

 

これが私の人生で初めてであり、以降体験することのない双子パニックである。現在の日本の中学教育における歴史の教科書の年表にもアッチ、双子姉妹パニックになる(1996)」と記載されていることは言うまでもない。この具体的な説明を持ってすればしっかりと覚えられることは間違いない。いざテストで出てもバッチリ回答できるだろう。

 

この衝撃と驚きは、きっとこれから先の人生でもきっと忘れることのないものだろう…。

 

 

 

いやー、マジですよこれ。笑 本当にビックリしましたからね。ましてや当時小学1年生ですよ。すげー怖かったです。

多分ですが、入学二日目のこの出来事の後に、クラス一人一人の自己紹介の件があったのでしょうね。覚えてないけど。

とは言え、現在情報過多かつ情報拡散が早い時代ですから、こういった直球で双子の人で驚く経験というものは中々出来ないと思いますからね。新鮮でオモロい経験させていただいたものです。こんな愉快な経験、この先あるだろうか。(いや、ない)

 

またこの姉妹の名字がわりかし珍しいんですよね。そしてその名字の人とやたら縁があるのですよ。笑 なので余計に深く記憶にも刻まれているわけで、そのせいかこうやって思い出したりもしている次第でございまして。

 

ではまた!(ドン!急に終わらせる!笑)

 

BOSEの日米欧全店閉鎖にショックと衝撃を隠し切れないアッチ

掲題の通りですが、2020年1月16日に「BOSE 日米欧の全119店閉鎖」という個人的に超衝撃なニュースが舞い込んできました(Yahoo!ニュースのリンクを貼っています)。今回はこの件について話をしていきたいと思います。

 

BOSE、読みは“ボーズ”ではございますが、言わずと知れた世界トップを誇る米オーディオ機器メーカーですね。卓越した科学者達の創造力と技術を持ってして生まれるBOSEの製品は、音質・機能性・デザイン性と非常に優れており、かつ唯一無二。その歴史は1964年設立から50年以上の時を刻み、音楽・映像コンテンツを愉しむ世界中の人々の圧倒的なパートナーとして、今日まで至っております。

ついでに、2012年より日本武道館の音響システムはBOSEですよ!どうりで音良くなったと思ったよ!

これまたついでに「BOSE」という名は、創設者のアマー・G・ボーズ博士が由来となっております。(ボーズ博士マジ神)

 

で、何故私アッチが今回この件について熱弁を振るう、またはそうならざるを得ないのか。より信憑性や説得力を増すべくここでぶっちゃけてしまいますが、私つい数年前まで国内BOSEの某直営店のセールススペシャリストとして勤めていたのです。

 

ということもあり、いやぁBOSEへの愛情は深いぞ!笑 本当にBOSEの製品はえげつない凄いですよ!音質は当然めちゃくちゃに良いとして(この“音質”という言葉一つの中にある実際の深みですよ…語ると長くなるので辞めますが。笑)、我々が生活・日常の中でいかにエンターテイメントをより親しみ易く取り込んでいくかという命題を実直に果たしているメーカーこそBOSEなのです。海外のクリエイター・科学者の方々頭良すぎるんだよ!笑 とにかく製品に用いられる技術が凄いですから。アンド情熱ね。

 

BOSEロゴですよ、ロゴ。あのロゴのカッコよさと誇りですよ。皆様も街中で一度はお目にかけたことあると思います。

 

私レベルになると、例えばお店で「あれ、なんかここ音良いな」と思ってスピーカー見ると案の定BOSEのロゴがドーン!ですよ。聞いただけで分かる。低音が違うんだ、深い。あとは圧倒的にクリアな音像だよね。

 

で、働いていたわけなんですよ。当然最初はBOSEの凄味なんてものは知りません。ただ、働きながらBOSEの歴史と製品について真剣に学び、向き合い、知り得ます。そして徐々に膨らみ抱くBOSEへのリスペクトと愛情!染まっちゃうんだよ、これが。引き込まれていくのです。それがBOSE

 

BOSEで販売員として勤める者は“セールススペシャリスト”として、より多くの感動をお客さんに伝え、理解していただき、やがて製品をお持ち帰りいただくために訓練を重ねます。練習をします。勉強をします。恐らくですが、BOSEに勤め販売をした人は、他の並大抵の販売業はぬるく感じることでしょう。高度なレベルの知識・姿勢・立ち回り・誠意をそこで身につけるのですから(そういう自分はどうだっただろうか。笑)。

と、多少手前味噌ですいませんな感じで話してまいりましたが、十分アッチの熱が伝わったところでこの度のニュースに触れていきます。

 

 

日米欧全店閉鎖というナニコレ的な事態ですよ。え?お店無くなるの?っていう脳内クエスチョンマーク×100。

その理由は「ネットを介した販売スタイルへの移行」ということで、まあ解りやすい。まあそうだよな、っていう。

いやー、実際Amazonのセールなんかでは、実店舗の存在意義を抹殺する価格で製品が出されていたりするわけですよ。いやいや待て待て(汗)、っていうね。

便利な世の中!何でもネットで手軽に買えますから。しかも安いし。たまったもんじゃないよね、現場の方は。

 

にしてもだ!舵切りが大胆だよアメリカ人!(苦笑) 急すぎるでしょ!しかも今年数ヶ月以内にて…大胆!中国やインドなどの実店舗は除外というところは、該当国のインターネットに纏わる環境の進展の差や、店舗数の違いによってのものでしょうかね。推測ですが。これだから外資企業は恐いよ。リスペクトと恐怖の表裏一体。マジなんなん。

色々思いますよマジで。ショック!おかしいだろ!ってか少なくとも日本に関してはまだまだ実演販売の需要十分にあるだろ!笑 自分を含めですが、信頼を買いたいんですよ日本人は!そうだろ日本人!この目で見て、この耳で聞いて、感じて選びたいんですよ!その道標であるのがダイレクトストア、直営店ではないのか!?それをやってくれる素敵な場所、素敵なスタッフ達だぞ!とてもじゃないが量販店じゃそこまでは厳しいぜ。本当に書いていて瞳が潤んできそうですよ…。マジで虚しい。

 

そして、大切な僕の仲間達のことを想います。今でも仲良くさせていただいて、BOSEは気の良い人々の集まりですから、今日までも楽しくやらせてもらっているんですよ。そんな場所が無くなってしまうことが最悪だし、役割を全うした仲間のその先がシンプルに心配です。

 

やれAIだやれネットだ、みるみる内に世界は便利になっていきますよ。この先の世界で人間はどのような役割が必然のものとして残るんだろうね。本当に謎。便利すぎることは本当に素晴らしいものですか?人間というモノの進化の文明が止まりません?恐いよね本当。

そんなことまで考えると、例えば様々な資格を取ったり、自分にだけしかできないことを身につけるのは必要なんかなぁ思いますよね。よく分からないけど。AIって言葉は個人的に正直ウンザリ気味。“SNS疲れ”なんて最近よく言うけど、“AI疲れ”なんかも後々出てくるんじゃないの?そんな気がするよ。

 

ともあれ、BOSEの大英断ってわけで、これでビジネスが大成功するのならもう何も言えないわけでね。ってかそうしろよ!この先未来永劫にBOSEの名を轟かせ続けるための決断なのだろうから。にしても悲しい、辛いね。

別にそんな聴いてるわけではないけど、Mrs.GREEN APPLEインフェルノの歌詞が頭に浮かぶね。永遠は無いんだと 無いんだと云フ…ってね。

 

BOSE、僕は大好きだよ!今回も愛とリスペクト込めたったよ!どうか良い未来が皆にあれ!でもまだ凹み続けるし、仲間の話も色々と聞きたいと思います!こんなことも吐けるためにこのブログがあることを改めて実感。とりあえず本日はここらへんで!ではまた!

 

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BOSEの素敵なProducts

 

目玉焼きにかける調味料に関しての我が思想

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どうも、最近また風邪をひいてしまいまして心身共に参っておりますアッチです。どうぞよろしくお願いいたします。

 

「目玉焼きにかける調味料論争」はどの時代においても絶えず行われてきました。“醤油派”“ソース派”の二派による正義と誇りをかけた争いは今もなお日本中で巻き起こっております。例えばこのブログの読者の方もいずれかの流派なのではないかと考えております。

 

そもそも人間という生物である以上、各々の思想や意見も持つことは当然であり使命でありまして、その思想の食い違いや些細な擦れ違いによって争いは繰り広げられてしまうのです。“どちらが正しいか”という命題を証明したい人間の闘争本能が働くのでしょうか。こうしてこれまでも世界では戦争が起きてしまい、“人間”である故に残酷な道筋を辿ってしまったのであります。

「目玉焼きにかける調味料論争」という言わば答えの出ない争いに終止符を打てるのか。これも我々人間、そして日本人の命題でございます。ここで本日は、この論争を終焉に向かわせる為の一つの手掛かりとなり得よう私の思想を発表して参りたいと思います。

 

 

“醤油”にせよ“ソース”にせよ、いずれも個性的かつ万能な調味料であることは間違えがございません。和の風味を香り立たせ日本の食材とのマッチングによりキレを生み出す醤油。かわって洋風のモダンでエキゾチックな甘味と酸味により、とりわけ揚げ物との抜群の相性を誇るソース。どちらも我々日本人の食生活には欠かすことが出来ない調味料であり、突出した個性を放っております。

そして議題となっている「目玉焼き」という料理。卵をフライパンに直に割り入れただ焼くだけというシンプルな調理法で生み出されるものですが、シンプル故に多くの人々に親しまれ、またシンプル故に様々な調味料によるアレンジが効くというところが、このような思想の衝突や亀裂をもたらすのである。そして言わずもがな、醤油・ソースどちらも相性が抜群なのである。争いが起こるのも無理はない、ということである。

 

私アッチ自身、目玉焼きにかける調味料としてどちらがより秀でてるのか、というのは非常に決め難いところである。しかしこのまま横一線の議論の果てに血を見る展開になってしまうのは平和的観念から回避したいと考えている。そこで、そのための道標の一つとするべく私の考えをいよいよ発表したい。

 

私は定義する。それは「使い分け(TSUKAIWAKE)だ。

 

日本の誇りであるお米。白飯のおかずとして目玉焼きを食する際は醤油を使用する。白飯の上に目玉焼きを乗せ、醤油をかけて食べることが大好きな私であるが、半熟の黄身と醤油が絡み合い、またそれがトロリと米粒一つ一つの間に染み込み、この上ない至福の味を生み出すのである。お分かりだろうが、白米と醤油の相性は抜群であり、その関係性はまさにロミオとジュリエット(?)である。間違いないのだ。

 

そして、トーストと共に目玉焼きを食する際はソースを使用する。こんがりと焼かれたパンの上に目玉焼きを乗せ、ソースをかける。マヨネーズを追加するのもまたご一興だ。これもまた半熟の黄身とソースが奏でるハーモニーが堪らなく、洋のエッセンスである小麦とソースの関係性の良さは言うまでもない。美味すぎるのだ。パンの時はソースなのだ。またソースである効率性も存在する。仮にここで醤油を使用するとあまりのその液体の瑞々しさにより、艶やかな目玉焼きに対して「はじき」の現象を起こしてしまうのである。よって、とろみのあるソースの方が手で持って食べるトースト的には食べやすくて理にかなっているとも言えるのである。

 

いかがだろうか。どちらが正しいか、などはもう終わった話であるのだ。この「使い分け」を実践している私はもうネクストレベルに達している。今となっては完全に俯瞰の目である。どちらも正しいのだ。みんな違ってみんな良い、これである。

このように、お互いの良さをリスペクトし合うことが大切である。サザンオールスターズ「ピースとハイライト」の一節にも、

“色んな事情があるけどさ 知ろうよ 互いのイイところ!! ”

とあるが、まさにこの精神が大切なのである。互いを知り合い、歩み寄る考え方が平和への近道なのである。希望の苗を植えていきたい次第である。

どうか皆さんにも「使い分け」を推奨したい。行かないか、次の時代へ…

 

 

ってなんなんすか本当。笑 評論スタイルで文章書くの疲れるんですよ。笑

ともあれこれ本当にやってますからね。どっちもマジで美味い。結局醤油もソースも相性抜群なんですよ。食べ物で揉めるの止めましょうよ。どちらも最高なんだから。

 

ついでに“犬派か猫派か?”と聞かれたら、どっちも好きと答えますからね。だってどっちもカワイイですもん。決められんですわ。

 

ついでにたけのこ派きのこ派か?”と聞かれたら、

 

圧倒的にたけのこ派です。

(ズテーーーー!!!!!!!!!)

 

以上アッチでした!ではまた!

 

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION「ホームタウン」が私にとってイマイチであることへの考察

どうもアッチです!ついこの間投稿した「30歳こわい」の記事が、我ながら名言連発であったなと自己評価をしているところでございます。笑 本日もよろしくお願いいたします!

 

以前書いたサブスクの記事を、どうかゴッチにも読んでいただきたくて、ドキドキしながらもTwitterで直リプを送ってみたのですが、反応無しです…。読んだのか読んでないのかすらも分からないが…。まぁ忙しいのだろう、ツアー開幕直前ですしね。

今回はまたまた私が愛してやまないASIAN KUNG-FU GENERATIONについて語っていきたいと思います!

彼らの最新アルバム「ホームタウン」についてでございます!

で、割とネガティブな感想を書いてしまっております。ゴッチ!仮にこれを読んでくれたとしても、Twitterのリプへの反応が無かったことへの腹いせではないからな!笑 本当そこだけはお願いします。1月末くらいにはほぼほぼ書き終わっていましたからね。

今回も最大級の愛を込めて、愛があるからこそ書ける内容だと自負しております。どうか皆さまご了承お願いいたします。批評ではないですよ、とだけは言っておく。批評になったらおしまいです。

 

www.atsudays.work

 

まぁタイトルで“イマイチ”なんて言ってしまいましたが、申し訳ございません今現時点での率直な感想でございます。

アジカンは本当に言葉にならないくらい愛しているバンドでございまして、作品もライブも十二分に堪能させていただいておりますが、うーんホームタウン、ピンと来ないぞぉ!!

音楽、アート、お笑い、それらなんでもそれぞれ個人個人の価値観と物の見方があって宜しいのでございます。それありきで愛を込めて語る、私アッチの信念でございます。当然彼らの最新作「ホームタウン」最高やないかい!ってファンの方も勿論いらっしゃるはずです。

ただ、私アッチ最大級の愛を込めて今作に感じた印象をつらつらと書き綴っていく所存でございます!どうぞお付き合いくださいませ!

 

 

「ホームタウン」に期待をしすぎた!?

オリジナルアルバムで言うと前作「Wonder Future」から実に約3半年ぶりのリリースでございます。

ゴッチもリリース以前に仰っていたように、「サーフブンガクカマクラ」の抜け感を踏襲するような、アジカンらしいパワーポップさが前面に押し出された楽曲陣がアルバムを固めております。

まぁ本当その通りなんですよ。彼らは作品毎にその肌触りも異なっていて、制作する上でのモチベーションやベクトルも変容していっているわけで。

前々作「ランドマーク」で2011年に起きた東日本大震災以降のバンド及び音楽的モチベーションの復活を掲げインパクトと希望溢れる音楽を鳴らし、前作「Wonder Future」ではこれぞパブリックイメージのアジカン印ならぬ実直なエイトビートナンバーを改めて世にブチかまし、そして今作「ホームタウン」ではそれらを踏まえてきた(2ndAL「ソルファ」再録も含め)彼らが回り回って“らしくいこうぜ!”ならぬパワーポップ回帰したといったところでしょうか。(WFにおける低音の重心の置き方等、サウンドは常に変化しておりますね)

ホームタウン以前の「BEST HIT AKG2」と骨芋ベスト施策にはガッカリを通り越し呆れてしまった私でございますが(笑)、直後の骨芋ツアーの演奏力、バンドの雰囲気、ライブの空気感が思った以上に良く、これは新作期待できるなと待ち遠しいも待ち遠しい心境でございました。

アルバムに先立って発表されたタイトルトラックの「ホームタウン」が素晴らしい曲だったので、さらにその期待は高まりました。個性的でキャッチーな建さんのギターフレーズ、キヨシらしい独特な刻み方のドラミング、ゴッチの思惑通りならぬズ太く輪郭を固める山ちゃんのベースライン、そして“これよ!”と言わざるを得ないゴッチメロディ!そしてやっぱ低音違うなぁ!クッソ出てる!ゴッチの言う通りや!

 

ホームタウン

ホームタウン

  • provided courtesy of iTunes

 

これはアルバムキタなと。めっちゃええの来るわ、思っていたわけです。

しかーし!!蓋を開けてみたらそうでもなかったぁ!!!なんだこの消化不良な感じは!!!心に響いてくるものがないぞ!?なんじゃこりゃ!?

なんか思ったよりも普通じゃね?みたいな。ってかゴッチソロっぽくね?みたいな。

うーん、もちろん良いは良いんですよ。でも期待しすぎたんですかね、越えてこない。アジカンがただアジカンしただけ、という印象。なんだろうこのモヤモヤは。

では分析していこう。

 

欲しいのは音質じゃない、曲そのもののクオリティだ

彼らのオリジナルアルバムでは「マジックディスク」をNo.1フェイバリットに掲げる私アッチではございますが、単純に前の曲の方が頑張ってたよね?ほじくり出してたよね?っていうところがまずございます。

アジカンは冒険してナンボ、新しいモノを生み出してナンボだと思うんですよね。

例えばマジックディスクにしても「新世紀〜」や「迷子犬〜」のアジカンとしての新機軸の打ち出しであったり、音楽的新鮮さというのは非常に我々を驚かせてくれましたし、何より完成度も高く素晴らしかったのよね。よくこれ作ったなみたいな。それが、無い!笑  のっぺりしてんのよ。

僕はUCLAがフェイバリットなのですが、サビがモロに前作でやってるやん…っていう。まぁあれが抑揚あって正解だけども。辛いのがWFでもフェイバリットが「街灯のシグナル」なんですよねぇ。笑 どうやって俺のアジカンプレイリストにUCLAブチ込めば良いんだ…と。笑

 

UCLA

UCLA

  • provided courtesy of iTunes

 

で、今作「ホームタウン」で必ず挙げなければならない“進化”といった意味での項目はズバリ音、音質なんですよね。 ゴッチがあんだけTwitterでもブログでも口うるさく言っているから。

今日世界的に鳴っている音楽、主にヒップホップの重低音の振動感、音域感をどうかロックミュージックで、アジカンで鳴らせないかという挑戦があったわけです。そこに気付いて取り組む姿勢は最高のミュージシャンよな、ゴッチは。このままじゃいけねぇんだと、ね。

その想いは今作にしっかりと反映されていて、先程も話したようにリードトラックの「ホームタウン」では初聴から低音のズムズム感に驚かされたわけだし、他の楽曲でも低音域をグッと下に降ろしたことによって、より一つ一つの楽器の音と歌が鮮明に入ってくるようになったわけですよ。

ただ、ぶっちゃけ欲しいのそれじゃねえんだ。

良い曲、驚く曲、衝撃を与えてくれる曲が欲しいんすよ。それはゴッチ(らメンバー)が作るメロディと歌詞!楽曲そのものの良さであり、クオリティなんですよ!!!やってたじゃんそれを今まで!

ゴッチが某インタビューで「正直音が良ければ曲自体はどうでもいい(笑)」みたいなことを言っていてオイお前さんそれ冗談でも言うなやと。アンタそんなこというソングライターちゃうやったんか…と。私アッチはガッカリしてしまったわけです。

他のインタビューでも、低音のメリハリをより際立たせるために山ちゃんとキヨシにプレイングの指示をした的なのを見たけど、作戦としては良いけども自由度としてはどうなの…って思っちゃったよね。

ホームタウンのインタビュー読むたびにホームタウン嫌いになっていくんですよね。笑 ごめんなゴッチ。

そんなゴッチのソングライティングへの向き合い方であったり、音楽への向き合い方が顕著に出たアルバムなんじゃないでしょうか、ホームタウンは。音は相当拘っていたらしいですけどね(これ言う。笑)。

ミュージシャンでもなく評論家でもなく、ファンを喜ばせる曲を作ってくれ…と思います。

とはいえ、ゴッチ本人的にはかなり今楽しいんだろうけどね。ちょいと昔はある種の責任感や何か担うものをもって曲を作っていた気がするんですよね。今は肩の力を多少抜いているのか、もしくはアジカンへの気持ちが少し散漫になっているか。笑(未だにあのトリビュートアルバムを根に持っています。笑)

例えば、向井秀徳が歳を取るにつれて、歌をどんどん前に出した表現に変化していって、ZAZEN BOYSというバンドの雰囲気もみるみる柔らかく味があるものになっていって、Number Girlの頃のギラついた感じが薄れていくことに対して嫌悪感を示すファンの方もいらっしゃると思うんですよね。気持ちは分からなくもない。ただワイは今の向井の方が好きだ。そんな感じでゴッチの変化も受け入れなくてはならないのかな…とか思ったり。

とはいえ、ゴッチに関しては“やれるのにやってない感”も感じられるんだよな…。(本当ごめんゴッチ)

それでもって改めて“あれ、Wonder  Future良いアルバムだったなぁ”ってなってます。ソウルフルやったなぁと。あれ良い曲多いぜマジ。

 

「ホームタウン」は「サーフブンガクカマクラ」になれない

で、もう一点。ホームタウンが第2のカマクラになれていない!というところです。まだまだ語るぜ俺は。

アジカンファンであれば皆愛しているだろう名盤「サーフブンガクカマクラ」を超越できてないんです。

何故か。

「サーフブンガクカマクラ」は一発録りメインの勢いとラフさ重視のアルバムですね。

おそらくゴッチとしては、カマクラよりも演奏やミキシングを練った今作ホームタウンの方が当然クオリティは高まると感じたのでしょう。

違うのだ。確かにクオリティはそこそこ高い。

しかしだよ、カマクラは2度生み出すことの出来ない珠玉かつ奇跡の名盤なのだよ!

アルバム「ワールドワールドワールド」まで激動の日々と制作活動を過ごしてきた彼らが骨休め的に作ったアルバムが「サーフブンガクカマクラ」でございますが、あれがなんでこんなにも我々ファンに愛されるのか。

それは

  • 江ノ電をモチーフとした楽曲陣とコンセプトの面白さ
  • 鎌倉と江ノ島界隈を舞台にしたゴッチのフィーリングと妄想溢れるソングライティング
  • そもそも我々日本人が心の中で好きな古都・鎌倉を舞台にしているという親近感
  • その上で乗っかったラフな演奏によるパワーポップ

これらの要素が相まってのしっかりとした理由があっての奇跡の名盤なんですよ!同じようなものを狙って作れるレベルじゃないんですよ!まあ同じの作ろうとはしてないけど。

なので、仮にゴッチが「カマクラっぽいの皆待ってるだろうし、俺らもやりたいからやろっか」的なところで作っていたとするならば、あの感じは到底出ていないんですよ!あー伝われ〜!笑

カマクラは、メンバーがラフに作ったという苦労感以上に、完成された大名盤です。何度も聴いてしまいますし、僕は江ノ電に乗りながら駅名に合わせた楽曲を再生する「リアルサーフブンガクカマクラ」を敢行したほどですよ。笑 名盤なんです、奇跡すぎるくらいの。

なので、カマクラっぽいをやるよりも、新しくてビックリするような冒険をした新曲が聴きたかった…。

 

その他感じること

「ホームタウン」本編は10曲ですが、内2曲が既発シングルなので、もう少々濃い中身を期待しておりました。もう1,2曲“おおっ!?”ってなる面白い曲あっても良かったかなぁと。

キック四つ打ち裏ハットとかやってくれて良いんだぜ。ゴッチはいい加減恥ずかしいとかあまり気分ではないだろうけど。ただ、別にもう四つ打ちそんな流行ってないから!アジカンの四つ打ち名曲多くて好きなんだよ。

他アーティストの楽曲提供やコラボは新鮮で大賛成ですね。初回盤Disc2「Can’t Sleep EP」の「はじまりの季節」は本当心に響くしビックリしてしまった。ゴッチが曲書いたんじゃないの?っていう。THE CHARM PARKさんの憑依力すごすぎ、みたいな。

 

はじまりの季節

はじまりの季節

  • provided courtesy of iTunes

 

最後に言いたい

とまあね、滅茶苦茶書いちゃったけれども、これから咀嚼することでまた印象も変わるかもなので、聴いていきます「ホームタウン」。すいませんね、あくまでも僕の私的な感想であり、全て愛あってのことですので、どうかよろしくお願いいたします。

最後にこれだけは言わせてくれ…。

ツアー期待してるからな!!!!

ライブ映えするだろう曲だもんね!

以上、愛を込めて。アッチでした!サンキュー!

 

音楽が自粛されることへの考察〜電気グルーヴの件で思うこと

どうもアッチです!

最近サブスクをぼちぼち使い始め、電気グルーヴモノノケダンスを聴きまくっていた私でございます。(アルバム「20」は持っているんですけども、バージョンがなんか違うんですよね。)  墓場鬼太郎のアニメも観ていたこともあり、マジで好きな曲なのでマジで聴きまくっておりました。その矢先での今回の騒動である。

 

とにかく急すぎたのと、意外性があったので本当に驚いた。やっちまったなぁ、馬鹿過ぎるなぁと心底残念な気持ちである。

とはいえ、正直なところを申し上げるとピエール瀧への興味や、好きの気持ちは特にこれといって無い。ピエール瀧が出ている映像作品をそこまで観ているわけでもないので。どちらかと言えば自分は石野卓球が作り出すサウンド・楽曲が非常に好きである。分かりやすくてキャッチーだけれどひとクセある踊れるテクノ。ツボを突いてくる音使い。実に心地良いんですよね。本当好き。なので、自分はピエール瀧どうこうよりも、卓球の精神状況が今はとても心配である。少し前にアナザースカイに電気グルーヴ2人で出演した回を観たが、本当に仲良しでここまでやってきたのだなと感心した。相方に裏切られたショックは計り知れないだろう。

電気グルーヴの音楽はカッコいいが、発言やスタンスがあまりにも独特でアウトローなところがありますよね。危うくて変態で狂ってる世界観。合法ドラッグさながらの“訳が分からないようでよくよく考えれば少し理解できるような気もするけどそんなのどうでも良いくらいとにかく変態”な彼らに心酔するファンも多く存在する。どうかそんなファンの人たちも、今回ばかりは心を鬼にしてほしいなとか思ったり。電気グルーヴのガチのファンってイタい人多いと思うんですよね。YouTubeでの電気グルーヴの映像のコメント欄読むと、ベタ褒めの感想ばかりでなんか怖いんですよね。サブカルじみているというか。電気グルーヴが好きな自分が好き、みたいなところもあるのではないかとか思ってしまうわけで。(妄想です、すいません)

まあ何故こんな嫌味をわざわざ書いたのかと言うと、ピエール瀧やっぱやってたかーww」みたいなノリは正直勘弁なのである。まーた良いネタできたな、的な。いやいやいや、犯罪やっちゃったからね、ってことですよ。そこはちゃんと怒ってやろうぜ、って思うんですよね。とはいえ、そんな冗談言ってないとやってられないくらいファンの人はショックなんだろうな…とか考えたりね。ともあれ、常識あるファンの人が正しい声を上げていることを願いながら、今回のテーマに参りたいと思います。敢えて事前にこう書かせていただくことで自分の気持ちを清算させていただきました。ファンの人たちがこれを読んでいただける可能性もありますからね。なのでしっかりと向き合いたいのです、真面目な性格なもので。ちゃんと後半にフォローがございますからね。笑 共に考えたいという気持ちももちろんありながら。

 

音楽は何故“自粛”の対象となるのか

こういったミュージシャンの不祥事について大体伴うのが、リリースされていた音源・CDの販売自粛や回収ですね。例によって、今回ピエール瀧の逮捕によって、電気グルーヴのCDの販売自粛と自主回収、配信停止をする旨をソニーミュージックが発表しました。少し前のことですとCHAGE and ASKAの件もですよね。ASKAも今回のピエール瀧と似たような感じのことをやらかしてしまい、それに伴って当時チャゲアスのCDの販売自粛や自主回収が行われたわけですけれども。

こういったレコード会社の対応について「やり過ぎじゃない?」とか「音楽に罪はない」みたいな意見が出ますよね。うむ、確かにその通りですよね。文字通りですが、音楽自体に罪はないわけですし、もう既にこの世に放たれているものですからね。

ただ、以前のサブスクの記事同様、やっぱり音楽ってどこか特別だよなとか思っちゃうところもあるんですよね。良くも悪くも。

こういった騒動が起こると、映像コンテンツに関しては割と速攻で手を打たれますよね。眼に映る、眼で見ることで得られる情報量や受ける印象の大きさみたいなところなのでしょうか。臭いものには蓋をしろ、じゃないですがとにかく世の中にその対象が晒されないようにテレビ局や映像コンテンツの制作会社が気を遣いますよね。

罪を犯してしまった人を見てしまうことで気分を害す人がいるかもしれない、そこからクレームが来るかもしれない、という様々な観点からの自粛ですよね。まぁ本当に最近の日本はクレーム社会ですから。手を打っておくだけ損はないのでしょう。

じゃあ音楽はどうなのかと。音楽なんてよっぽどじゃなければ該当のアーティストの音源を聴く機会なんてないですよね。聴きたい人が自分でチョイスして聴く、聴きたくない人は聴かない。もはやそれだけの話なのではないかと。なので、音楽に関してまで“自粛”するとはやり過ぎなのではないのか、と。そういった意味から現れる意見なのではないかと思います。こういう考え方の違いだけでも、“耳に入る音楽”と“眼に映る映像”の差はあるなぁ…とか思ってしまいますが。

実際、レコード会社だって本来は売りたいですよね。むしろ社会的な問題があればそれに食らいついてくる層もいるのだから、商機っちゃあ商機なわけですよ(凄く失礼な言い方を敢えてしておりますが)。だけれど、やっぱそうはやらないわけですよね。便利な言葉を使うのであれば、“大人の対応”をするわけです。結局はクレーム対策であったり、社会への面目を保つためなのではないのかなと。ベストな判断かと言われればそうではないのかも知れませんが、しょうがない決断ですよね。

 

“自粛”とはケジメだ

「やり過ぎだ」と言いたくなる理由として、罪の重さも関係してくるのでしょう。例えばこれが人を殺めてしまったり被害者が出てしまうような案件であれば、映像・音楽関係なくBANされて然るべきでしょう。世間からしたら大犯罪者ですからね。今回は違法ドラッグという、罪の度合いとしてそこまで凶悪的なものでもないところから、こういった意見を持ちたくなるのも無理はございません。ただ、見方を変えれば罪は罪、犯罪は犯罪。レコード会社の対応は別に普通と言っても良いんじゃないのかと思います、ぶっちゃけ。凄く広く捉えるのであれば、犯罪者が何商売してるんだ(CDが売れることで印税が入ったりすること)よ、ってことですよね。

あとはどのメンバーがやらかしたかにもよりますよね。今回の電気グルーヴもこの間のチャゲアスも、メンバー2人中の1人がやらかしたわけですが、「相方の方は何もしてないんだから酷くない?」ということですよね。いや、マジでそうなんですよ。例えばEXILEパフォーマー1人が同じことやらかしたらどうなるのか?わざわざEXILE全体で自粛するのか?とか思いますからね。そこのところ超曖昧ですよね。とは言え逆にソロの人がやらかした場合であれば、速攻で自粛なんだろうなーとか。結局は該当者の影響力がモノを言うのだろう、と。各会社の手腕が試されるところなのでしょうが、何にせよクレーム社会、まぁしょうがないのかな…と思っちゃいますよね。

社会へのケジメですよね、結局は。ある程度の見せしめと言いますか、とりあえず自粛の姿勢を見せることで社会への誠意を示すわけですよね。罪を犯した者へ、その罪の大きさも理解させるわけです。

音楽の自粛はもはや普通なのではないかと。ただそこに深い理由は無いと思うのです。

悲しいかな。けれども、「音楽には罪はない」という言葉の正しさだけは守り抜きたいですよね。そこは変わりはないと思いますから。

だから、ファンの人も辛いだろうけど、待とうや。本人がしっかりと今回の件を反省して戻ってきて、ほとぼりが冷めれば音楽はまた還ってくるかもしれない。還ってこないかもわからないが。

君はCDだってちゃんと持っているはずだ。現状に対しては辛く悔しいだろうけど、音楽自体は死んでいないし、聴けるはずだから。

ともあれ、残された相方の気持ち考えろよバカ野郎ですよ。そしてファンや応援してる人の気持ち考えろよクソ野郎、ですよ。マジで辛いわな。冒頭でやけにキツいこと書きましたけれども、電気グルーヴファンの人の心中はお察しします。だからこそ、心を鬼にしてくれと思うのです。(鬼日か!っていうツッコミは要りませんからな。笑)

ついでに、3/14現時点ではサブスク配信でまだ電気グルーヴ聴けます。笑 何ででしょうか。というわけでまたモノノケダンス聴きたいと思います。笑

ではまた、アッチでした!

 

 

もうすぐ30歳になることについて色々考えまくってしまうアッチ(軽めのご報告あります!)

どうも、平成元年生のアッチでございます。

まずは一つご報告がございます!と言っても大したことではないですが。

少し前ですが、当ブログがGoogle AdSenseの審査に通りました!わーい!

要はこのブログを収益可させるための広告ですね。詳しくは他のブロガーさんがご説明していると思うのでそれをご参考にしていただければと。

ブログ開設から2ヶ月での審査通過は割と調子が良いのではと感じております。とは言えアクセスは全然ないですが…。しかしモチベーションは上がりますよね。嬉しい。

広告収入は平和的ですよね。読者の方からお金をいただくわけではないですし、努力した分がそのまま還ってくる典型ではないのかなと。(記事がバズったりする運要素も多少はあると思いますが…) ともあれ、今後も良い記事、愛のある記事を書いて参りますので、少しでもお楽しみいただければと思います!

 

実際、ブログで収益を上げるなんて本当に難しいことだと感じております。そんなにこの世界は甘くはございません。今まで通りまずは楽しむ気持ちをもって取り組んでいきたい次第です。よろしくお願いいたします!

 

で、そんな意気込みとは裏腹に今回は比較的暗い内容(?)でお送りしたいと思います。特に誰にとっても役に立たないタイプの内容。

 

自分は今年30歳になるんですよね。20代最後の1年を少しでも良いものにしようと日々奮闘している次第ではございます。

時間は何もせずとも過ぎていくわけで、人間は生きている限り歳を取っていくわけでございます。こうして約30年生きてこられたことに関して、家族や周りの人々、環境に対して感謝の想いしかないところではございますが、やはり30代突入となると少しソワソワというかドキドキというか、正直軽くビビっている自分がいるところです。

29歳と30歳って物凄い大きな違いがあるなーと勝手に感じております。20代というもう戻れない領域への決別。ここまで来ちゃったんだなぁみたいなこと思ったりしています。

“30歳の準備”みたいな心の持ち寄り方は、28歳くらいから既に始まっていましたね。あーもうすぐだあーもうすぐだ、みたいな。楽しみにしている的な意味は一切ないです。笑 30歳かぁ…っていう気持ちでここのところずっと生きております。

要は臆病なんですよね。30歳ってもう社会的には大人レベルで言うならばポケモンタマムシシティあたりではないでしょうか。ポケモンの扱い方や街の歩き方にも慣れてきて、旅がノリに乗ってきた状態というか。人生の困難という名のジムリーダー戦もそこそこにこなしてきて、まだまだこれからポケモンリーグ目指してやっていくぞ的な。自転車もあるし、そらをとぶを使えば色々な場所へも行ける(ポケモンはそれまでに行ったことのある場所までしか行けませんが。笑)。自分で言っててよく分かりませんけどね。笑

20代というか、これまでの人生の振り返りみたいなのは脳内で行われておりますね。有難いことに、そこそこ濃かったなと。とは言え良いことと嫌なことがごちゃ混ぜで積み重なるミルフィーユみたいな感じですが。

人生の濃度指数を考えるのであれば、生まれてから成人するまでの間ってめちゃくちゃ濃いですよね。小中高と色々あったなーみたいな。そして20代も終わる。山あり谷あり。そんな濃かった日々が過ぎていくことも悲しいなーとか感じています。

果たしてこれからの人生は、それらを超えられるのか?という課題が自然と自分の中に存在しております。見えないものとの戦い。うーむ。

20代前半くらいまでは色々物事を深く考えがちな人間でした。そんな面倒な自分もどこか好きでした。その都度なんかしらの出口を見つけられたから今こうやってブログを書いているのでしょう。勿論、音楽にも救われたり、仲間にも救われてきました。面倒なことを考えずに生きていきたいと思っていたのに、またその症状が再発しているような気持ちです。しかもなんだか腑に落ちる出口も無い。そんな30歳手前です。

大人とは何なのか、とか考えます。

また、何が正解なんだろうな、とか考えています。正解よりもその都度正しい出口に行きたい。そんな感じです。

あと10年で人生折り返しか、なんてのも考えます。うむ、暗いです。笑

ともあれ、このブログはそんな考えや日々を払拭するための一つのツールではないのかと考えて向き合っております。微かですが、光へと導いてくれるのではないかと希望を感じております。

昔は音楽を作り演奏することをやっていたこともあり、また色々と日々が上手くいかず鬱屈していたこともあり、性格が今よりも多少ギラっとしておりました。やってやるぞ精神。負けてたまるか精神。勝手に感じている周りへの引け目への対抗心。かなりありましたね。昔の自分が切れ味のいいナイフであるならば、最近の自分はバターナイフなのではないかと。まろやかになったけれど、スタイルは曲げないみたいなところでしょうか。これもまたよく分かりませんけど。笑 (現在自分をバターナイフに例えることが個人的にバズっているのです。笑) そんな気持ちにさせてくれるのがこのブログではないのかなと。まだやれるのか自分?のアンサーがこの場なのではないのかと。頑張りたいです。

丁度槇原敬之の最新アルバム「Design&Reason」収録の「朝が来るよ」という曲の歌詞でこんなものがありました。

“50を過ぎた友人にどんな気持ちか聞いたときに

出来ることと出来ないことがわかるから楽しいと笑ってたっけ”

こんな考えで生きられたら良いなと思いました。背伸びしなくていいのだなと。

ただ、もう少し背伸びしたい自分もいるのが本音でして。でなければもっと諦めて生きております。ともあれ、この歌詞のような達観した姿勢もアリだなとか思いまして、まるで並べていたドミノが誤って倒れるのを防止するストッパーの如く自分の心に居座っているような気持ちです。

男は30歳から、とかよく言いますが今のところよく分かっておりません。恐らくは生き様みたいなものに対して当て嵌めている言葉なのでしょうが、“滲み出る”と“滲み出す”は違うと思っているんですよね。この先もう少し歳を取って、見た目や生き方から自然と生き様が滲み出るというよりかは、もっと自らコントロールしてそれを滲み出させていきたいですよね。“30歳ってこういうものだよね”となるよりも“これこそ30歳でしょ”という生き方をしていきたいです。年相応という都合の良い言葉が今後使えるのであれば、その使い所は自らが掌握していたいです。

あとはそうですね、優しい人でありたいです。最後はそこに尽きる。

よく分からないこと書いてすいません。KANA-BOON「オレンジ」が沁みます。

今後ともよろしくお願いいたします!分からないことだらけのアッチでした!ではまた!

 

槇原敬之「どんなときも。」アッチが愛してやまない1曲その4

 

誰しもが、心の中にずっと残っている思い出の一曲があるはず…音楽とは人生だ…。

 

ーアッチ・カタスミーノ(1989~)

 

 

どうもアッチでございます!段々春らしい気候になってきましたね〜。

今回はシリーズ第4弾、私アッチが愛してやまない一曲をご紹介していきたいと思います!

 

今回ご紹介いたしますのは、槇原敬之「どんなときも。」でございます。

どんなときも。

どんなときも。

  • provided courtesy of iTunes

凄くない?この超ドベタで勝負するところ。

ご紹介もクソもないわけですよ。皆知ってるやろ!っていうレベルの超名曲ですよ。

ただ、語るのよ。それがアッチSTYLE。改めて皆さん聴いてみましょうよ、と。本当良い曲ですからマジで。

 

1990年のデビューから現在まで、天才シンガーソングライターとして日本音楽シーンの第一線をマッキーでございます。「もう恋なんてしない」「冬がはじまるよ」「遠く遠く」「僕が一番欲しかったもの」等、言わずもがなこれまでに名曲を数多く世に放っております。そしてご存知なのは、もはや国民の曲と言っても過言ではないSMAP世界に一つだけの花」の作者でもございますね。最新アルバム「Design&Reason」が2月にリリースされたばかりです。そちらもぼちぼち聴いております。是非!

「どんなときも。」1991年リリース(!)の楽曲でございます。当時僕は1歳半ですね…。累計CD売り上げ167万枚以上(wiki調べ)の、「世界に一つだけの花」同様、まさに国民の曲でございます。

本当改めて語るのが恥ずかしいくらいです。当たり前すぎるくらいに名曲ですからね。ともあれ語るのですが。

マッキーの優しい歌声背中をそっと優しく押すような、むしろ“誰もが同じ気持ちを抱えてるのだから共に行こう”と言ってくれるような歌詞が堪りません。

 

毎回聴いてて驚くことがあるのですが、音がめちゃくそ良いんですよね。毎回イントロで驚いております。「音良ッッッ!!」ってなってます。最近の録音と引けをとりませんよ。なんでや、って感じに音良い。とても1991年の発表の音楽には感じられません。まじでなんでやレベル。たとえベスト盤でリマスタリングされた音にしても、良すぎる。

そしてアレンジが秀逸すぎるのよ。イントロの印象的なピアノのフレーズと躍動的なパーカッションで一気に持って行かれますよね。全体的に楽器の使い方上手すぎです。小気味よく入るギターであったり、Bメロのナイアガラサウンドを彷彿とさせるパーカッションの入れ方であったり、気が利きまくっているんですよね。名曲には名演あり。ただ名曲と語るには言葉足らずなくらいに、計算されまくっているクオリティです。さすがマッキーと言わざるを得ない。

そしてマッキーはやはり歌詞なんですよ。ポップかつキャッチ―なこの楽曲ですが、ちゃんと歌詞に目を向けると、案外重たいこと歌われているんですよね。

消えたいくらい辛い気持ち抱えていても

鏡の前笑ってみる まだ平気みたいだよ

うーむ、中々考えさせられますよね。こんな言葉がこのポップなメロディーの中に潜んでいるというね。ただこのミスマッチさが凄いんだよな。マッキーは詞先で曲を書くことで知られており、言葉の大切さを相当に感じながら詞を書いていると思うのですが、正直ですよね本当。綺麗事で終わらせない正直さや素直さが感じられますよね。生き方、性格なんでしょうね。大好きですこういうの。全編にわたってパンチラインの応酬ですよねこの曲。最高なんだ。

そしていつか誰かを愛し その人を守れる強さを

自分の力に変えて行けるように

泣けます。

時代を超越する曲とはこのことなのです。凄過ぎます。今後もこの曲は次の時代また次の時代へと引き継がれていくのでしょう。

 

自分はこの曲を仕事に行く時や趣味のランニング中に聴いております。マジで背中を押されます。ランニング中は、いつも決まったコースでこの曲を再生してテンションを上げており、そこを通称“どんなときもロード”と心の中で称しております。

余談ですが、マッキーのTwitterも好きなんですよね。写真にいつもタバコが映っているのが愛しいんですよね。笑 覆い隠さないところ。それでよくあんな美声が出るな…と。

 

というわけで、是非皆さんも改めて聴いてみてください!アッチが愛してやまない1曲でした!ではまた!