アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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安藤裕子「サイハテ」アッチが愛してやまない1曲その6

 

誰しもが、心の中にずっと残っている思い出の一曲があるはず…音楽とは人生だ…。

 

ーアッチ・カタスミーノ(1989~)

 

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今回ご紹介させていただく1曲は、安藤裕子「サイハテ」である。当コーナー初の女性シンガーソングライター楽曲である。

 

サイハテ

サイハテ

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暖かく、どこか幻想的な浮遊感を纏った雰囲気が魅力の安藤裕子である。正直私はそこまで詳しく知らない(結構こういうパターンはございます)。ただ、「サイハテ」という曲に関しては非常に狂おしく好きなのである!

 

 

2013年リリースのアルバム「グッド・バイ」の収録曲である。

ピアノ・ドラム・ベースのトリオ編成を基調としたアンサンブルをバックに繰り広げられるアップテンポなナンバー。編成自体はシンプルでありながらも、シンプル故に個々のサウンドが力強くぶつかり合い、生々しいグルーヴがビンビンに感じ取れるのである。

 

イントロ、ピアノの一音目で脳天がヤラれるのだ。まるで鮮烈な真夏の閃光が差し掛かるような、眩しい光とともに一気に新世界が開いていくような感覚になるのだ。そして、このサウンドとどこまでも行けるような気分になるのだ。

鍵盤がハネッハネなのが最高に気持ち良い。こういうの完全に私のツボです。躍動しているのである。ハネてればハネてるだけ良いですからね。

 

1曲を通して繰り広げられる“静と動”もとい抑揚がまた美しいのである。これもまたシンプルな編成で一つ一つのサウンドが明瞭だからこそより活きてくる部分であり、まさに生物のような“呼吸”がそこには感じられるのである。

そして安藤裕子のボーカルが激情的に刺さる。儚さと力強さが共存した幻想的な楽曲の世界観を見事に表現しているのである。

 

とにかく全体的に雰囲気が最高。センチメンタルでありエモーショナルであり、どこか覚束ない子どもの頃に還るような気持ちになれるのである。

 

 

安藤裕子自体はそんなに聴かないのだが、この曲をこんなに愛すようになったのは出会いが素晴らしかったからである。忘れもしない、2014年のROCK IN JAPAN FES.に一人で参戦した時のことである(一人フェス参戦はデフォです)。初めて観た矢沢の永ちゃんが圧倒的なオーラとカリスマ性でシビれさせ、我がアジカンNUMBER GIRLの「透明少女」をカバーし、正直そんな周りがあまりピンと来ていない中、心の中で私を大興奮をさせたあの日だ。(イントロ鳴ったコンマ0.2秒でシビれたわ)

 

自分はフェスに関してはあまりフェス的な楽しみ方をしないというか、かなり目的のアーティストを絞ってから観に行くタイプなので、その場での新しい音楽との出会いみたいのものはそんなに求めていないところがあるのだ。しかしそんな中、たまたま移動中に心地良いピアノの音と、それをバックにパワフルに歌う安藤裕子の歌が耳に入り、「むむっ、何だこの曲は」となったのである。揺さぶられたのだ。そして後日セットリストを確認し、この「サイハテ」に辿り着いた次第である。出会えて良かったなと。

 

そんな出会いもあり、また曲の世界観もあり夏のイメージが強い1曲である。

是非ともご一聴あれ!

ではまた!

 

グッド・バイ

グッド・バイ

  • アーティスト:安藤裕子
  • 発売日: 2013/10/02
  • メディア: CD
 

 

 

夏こそ読書だ!2020 森博嗣「奥様はネットワーカ」

 

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読書のどこが好きなのかと言うと、あらゆるエンターテイメントの中でも文学は“能動的な姿勢を持って臨まなければならない”からである。

音楽、映画・ドラマといった映像作品、またはお笑いや演劇。それらは音と言葉と画(絵)という情報によって生み出されるものであり、人間が持つ感覚に直に訴えかけて入り込んでくるものである。情報の具体性がハッキリとしているのだ。

比べて活字となると、そこには文字の羅列しか用意されていないのである。読み手は自らで情報を汲み取り、咀嚼していかなければならない。

また“時間の支配の有無”が、文学とその他のエンターテイメントでの大きな違いである。音楽や映画は時間を支配する。始まれば、音や映像がその輝きを放ちながら終着点に向けてひた進むのである。反対に、活字は時間を支配しない。ページを捲りだす意思とその手がなければ、始まろうともしないのである。そんなある意味で無愛想な文学という芸術に、私は面白みを感じるのである。それを紐解く行為こそが読書である。結果として、読書は私に大きな充実感と恍惚を与えてくれるのである。

 

 

読書って本当に素晴らしいものですねぇ~!

(滲み出る無理矢理感)

 

 

 

 

今回ご紹介する一冊は、森博嗣奥様はネットワーカである。

 

奥様はネットワーカ (ダ・ヴィンチブックス)

 

森博嗣も日本を代表する作家の一人である。著書のすべてがFになるは日本ミステリー界の名作としてよく話題となり、ドラマ化にアニメ化といったメディアミックスもされている。

 

言うてそんなに森博嗣作品は読み漁ってないのである。

工学博士でもある森博嗣の文体は非常に独特で、私は「読んでいると自分の頭が良くなっている気にさせる作家」と勝手に捉えている。脳を捏ね繰り回されるような比喩表現と叙述トリック、そして聞き馴染みのない理系的専門用語の数々が待ち受けているので、慣れがないと難しいというか嫌になってしまうのである。笑 気合いを入れる必要がありますよ、と。逆を言えば、インテリジェンス満載で小難しい内容が好きな人は大好きだろうし、それがもたらす充実感は半端がないのだろうと思う。時間と気持ちの余裕がたっぷりある時に読み進めたい作家である。

 

とは言え、この「奥様はネットワーカ」はめちゃくちゃ読み易いのである。これもまた私が高校生の時に、学校の図書室で発見して、タイトルと表紙に惹かれ読み始めたのが出会いである。

 

舞台は大学の工学部。教授や秘書等、6名の登場人物がそれぞれの視点で一つの事件を追っていくミステリーである。

一般的な小説と異なるのは、構造上各登場人物の視点が次々と切り替わりながら、小間切りでストーリーを読み進める形となってので、長い文章をひたすらに読むのが苦手な方でもイケるのである。読み易い。

 

そしてもう一点、イラストレーター・コジマケン氏の素敵なイラストとのコラボレーションが大きなポイントなのである。カラフルでポップで、しかしどこか不思議さを感じさせるタッチが、森博嗣が作り出す物語の奇妙な雰囲気と抜群にマッチしている。細かい線の描き込みで成り立つ絵、非常に好きだ。最高のコラボなのだと感じる。

 

そして読み進めていくと、途中しっかりと叙述トリックが効いていて、思わず“あれ?”ということになるのだ。これが楽しいのだ。しっかりと騙されてください。

 

 

活字とイラストのダブルの刺激で楽しめる、独特な一冊。是非とも!

ではまた!

 

 

 

Janne Da Arc「feel the wind」アッチが愛してやまない1曲その5

 

誰しもが、心の中にずっと残っている思い出の一曲があるはず…音楽とは人生だ…。

 

ーアッチ・カタスミーノ(1989~)

 

今回ご紹介させていただく1曲は、Janne Da Arc「feel the wind」である。

 

 

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言わずと知れたヴィジュアル系ロックバンドの雄、Janne Da Arc。特に活躍した2000年代は彼らの時代と言っても過言ではないだろう。ルックスの良さもさることながら、メンバー5人それぞれの卓越された演奏力と歌唱力、そしてVo.yasuによる、V-ROCKとJ-POPの垣根を越えたキャッチ―なメロディが光る楽曲は、音楽ファンのみならず多くの人々の心を掴んだのである。

 

代表曲の「月光花」や、「霞ゆく空背にして」「ダイヤモンドヴァージン」等、誰もが聞いたことがあると思われる曲が多く存在するが、特に私が狂おしく愛おしい曲が「feel the wind」である。

 

feel the wind

feel the wind

  • provided courtesy of iTunes

 

 

2001年12月avex traxよりリリース。Vo.yasu作詞・作曲のポップナンバーである。リリースから数年後、私が高校生くらいの頃に確か弟の影響でこの曲に出会った記憶がある。

 

非常に堪らない1曲である。爽快で澄み切ったストリングスの音色が楽曲全体を彩る。「別れと新たな始まり」が表現されている曲であるが、ストリングスの音色の美しさと力強さによって、より一層“旅立ち”を歌う楽曲の世界観が鮮明に浮かび上がってくるのだ。

 

軽快な四つ打ちのリズムと見事に絡み合う。裏打ちのハイハットの音がまた綺麗なのである。これは一種のフェチポイントであるが、是非聴いてご理解いただければ嬉しく思う。

そしてBメロやサビ前におけるリズムのキメが良い味を出しているのである。この曲の主人公の、心揺れ動きながらも前へと進む切ない心情をドラマチックに表しているのである。

 

リズムとテンポ感、メロディに演奏どれもが私のツボを突いてくるのである。先述のように、まさに“V-ROCKとJ-POPの垣根を越えた”1曲なのである。一般的なヴィジュアル系バンドの曲では、マッドでブラッディでセクシュアルでどこか危険な雰囲気が漂うことがよくあるが、ここまで爽やかでポップで、淀みないメジャースケールで作られたこの曲はその要素を全く感じさせないのである。そのような曲を生み出せることがJanne Da Arcの魅力であり、強味であるのだが。

そして何よりもyasuの歌声が素晴らしい。堪らない。

 

ラストのサビにおけるダメ押しの半音上げで、いよいよ絶頂を迎えるのである。もはや卑怯なレベルである。しかし、最強すぎるのだ。半音上げ転調は、いとも簡単に更なる盛り上がりを作れる一種のドーピングアレンジだと私は思っているが、「feel the wind」に関しては正しいと言わざるを得ないのである。ドハマっているのである。

そしてカラオケでこの曲を歌う私の喉も絶頂(と言う名の絶望)を迎えるのだ。高いよ…。

 

ポップソングは“歌いたくなる”という要素もとても重要だと感じるのだ。

故にサビの「I feel in the wind, the wind in the sky Without your love」における語感の良さ、声に出したさみたいなところが名曲たる所以をより色濃くしているのだ。耳に残るメロディと歌詞、素晴らしいのでございます。

 

しかしながら、長い活動休止期間からの2019年突然の解散劇はショックなものがあったわけで…ファンの方は心底ガッカリだったのではないだろうか…。

 

ともあれ「feel the wind」夏にもピッタリな1曲ではないでしょうか。是非とも皆さんもご堪能あれ。

ではまた!

 

 

Singles by Janne Da Arc (2003-09-18)

Singles by Janne Da Arc (2003-09-18)

 

 

 

 

モノ申す「チー牛とnote」

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ここ最近急激にブームとなっているネットスラング「チー牛」という言葉がある。私もそこまで深く詳しくは理解していないのだが、冴えない風貌の男性が「三色チーズ牛丼の特盛り、温玉付き」を注文しているという、どこの誰が描いたのか分からんイラストがネット上で一部的にハネてしまい、「(略)チーズ牛丼を注文するような人間は大体陰キャ」みたいな風潮が生まれてしまったのである。(詳しくは各自でお調べいただけると助かります。)

 

いやはや、クソですよねこれ。

 

 

まず言えるのが、この現象はネットの悪いところというか、嫌なエグみが出てしまっているのである。無責任な投稿とその場の適当な共感。なんだろうか、俗に言う陰キャってものはそんなに世間にとって歪な存在ですかね、と。見知らぬ誰彼たちが嘲笑すること自体が可笑しいのではないかと。見えていない社会の底の部分に潜む、誰が生み出したのか分からない身勝手な優劣がネットを介して顔を現してしまったような、妙な気持ちの悪さを感じる。

 

そもそも別に誰が何を食べようが自由なわけであって、好きなものを好きな時に食べる幸福を侵害しているような表現が腹が立つのだ。

 

例えばだが、見るからに美と健康に命かけています的な意識の高い女性がいたとして、周りから「あの人はオーガニックな物しか獲ってなさそうよね」みたいなことを言われるのとでは訳が違うと思うのだ。つまりは「確立されたオーガニック女性像」である。その印象を周りにもたらす為の条件がその人に備わっているか否か、といったことである。これはあくまでも例え話である。諸々をイーブンにする為にわざわざ書いている。

 

つまり、ただ陰キャっぽい男性を捕まえて「所詮こういう人間がチー牛食うんでしょ」といった見解が暴力的に見えてしかたないのだ。そこにストーリーが無いのである。“筋肉隆々の男性は鶏ササミとゆで卵を愛食している”といった、人物と食べ物の関連性がまるで感じられない。全く的を得ていなければ、面白くないですよと。そう、面白くないのだ。

 

あと自分は食事がとても好きなので、余計に解せないのである。ある種の自由を奪うようなネット上の盛り上がり方であるなと。本当に解せない。

 

 

 

話は変わるが、noteと言うクリエイター向けのコンテンツ投稿サービスが存在する。こういったブログの文章や写真に動画等をnoteを介して投稿し、場合によっては“販売”といった形で利益を得ることができるというものだ。流行ってきているのか、目にすることが多くなってきている。

 

人それぞれではあると思うのだが、私はnoteなんかやりません。

 

価値観的なところもあると思われるが、ブログなんてものは無料で誰でも好きな時に読めてナンボですよね。文章のプロでも有名人でも無ければ尚更で。

例えば、少し文章書くのが得意であったとして、それ使ってちょいとばかし小銭稼ごうなんてことはどうも違うと。勿論、それによるモチベーションの変化等々はあるとは思うが。

 

まあこれもわざわざ書くことでもないと思うのだが、生きていると色々思うことがどうしてもあるのである。

 

あくまでも一つの意見として。ではまた!

 

 

夏こそ読書だ!2020 恩田陸「まひるの月を追いかけて」

まひるの月を追いかけて (文春文庫)

 

“読書の秋”という、我々日本人に非常に馴染みの深い粋な言葉があるが、私にしてみれば“読書の夏”の方がしっくりくるのである。例えば誰もが幼い頃、夏休みの宿題の読書感想文を書くためにわざわざ課題図書を読んだ経験はないだろうか。突き刺さる真夏の日差しから逃れるために、近所の図書館を避暑地にしたことはないだろうか。そのような場面を思い出すだけでもエモーショナルな気持ちになれる、夏の記憶の一片である。

 

そもそも当時の私はそこまで活発な少年ではなかったので、夏休みと言えば冷房の効いた自宅か図書館で一人大人しく読書を愉しむのが関の山であった。むしろそれを望んでいた側面もある。そもそも自分は一人の時間が好きである。そこに綴られた文章に脳内による思考と想像を巡らせ、作品の世界に浸る時間は、私にとって至高であり、今もなお上位ランクの一人行動だと感じている。今思えば、少年だったあの頃の読書の時間はこの上ない贅沢だったなと思う。冷房の効いた部屋で時間を気にせず読書。読書とは贅沢な“活動”なのである。

そんなこともあり、「夏こそ読書だ!」ということで、いくらかの本について(特に夏場は注力的に)語っていきたい。尚、読書は一年中いつでも良いものだ。

 

 

 

今回ご紹介する作品は恩田陸まひるの月を追いかけて」である。

 

 

恩田陸は日本の女流作家である。代表作は六番目の小夜子」「夜のピクニック」「ネバーランド等が挙げられる。そして、2017年に直木賞本屋大賞を受賞した「蜂蜜と遠雷」によって、更に日本を代表する作家の一人として確固たる地位を確立したことは言うまでもないだろう。(失敬、自分は実はまだ「蜂蜜と遠雷」は読めていないのである。必ず読む。)

 

ノスタルジアの魔術師”という異名を持ち、どこか懐かしく、そしてもどかしく、まるでセピア色の情景を思い浮かばせるような郷愁漂わせる描写が恩田陸作品の魅力の一つである。私は高校生の頃に「夜のピクニック」や「図書室の海」といった作品に触れ、そこから恩田陸の虜となる。冴えない高校生活を送っていた私には、恩田陸の文章が持つ淡く幻想的な雰囲気がどこか心地良く、それは私を美しい仮想と想像の世界へ誘ってくれたのだ。また、その当時メジャーデビューし、よく聴いていたロックバンドBase Ball Bear(めっちゃ好きです)のノスタルジック溢れる詞世界とも相まって、高校時代は特に「文学」といったものが自分の中で重要で魅力的なものとなった。ズブズブとその世界に身を埋めることとなった。当時の私にとって高校の図書室はまさに優雅な海であった。

 

 

ノスタルジアの魔術師”の異名故に、学生の登場人物が主軸となる作品がパブリックイメージではあるが、実際はファンタジーにミステリー、ホラーテイストに恋愛小説等、幅の広い世界観の書き分けができるオールジャンル作家である。そのバラエティの多様さによって、どの作品を読んでもまるで飽きることなく新鮮に楽しめるのである。

 

恩田陸当人も大の読書家ということもあり、いかにも優等生的な“巧い”作家の印象を持たれると思われるが、実験的かつ冒険的な作品もいくつか存在し、物語が作中の登場人物同士の質問と回答のみで展開されていく「Q&A」や、東京駅を舞台に、互いに見知らぬ二十七人と一匹の登場人物が運命の歯車によって一つの終着点へひた走っていく「ドミノ」と、小説というメディアに新たな刺激をもたらしてくれるのも大きな魅力の一つであろう。

 

 

恩田陸は私の中では三本指に入る、とても大好きな作家だ。しかし、あくまでも個人的なところではあるが、作品によって登場人物への感情移入がし難いことが時として存在する。途中で読み止めた作品もある。まあそんなことも中にはね…。

 

 

 

 

そして本題の「まひるの月を追いかけて」であるが、これは特に突出して取り上げられるような作品(またその知名度)ではないとは思う。しかし、私はこの作品の世界観が非常にツボであり、何度も読み直している。

 

奈良を舞台とした、ある種の特殊なヒューマンドラマである。最初に言うと、決してこれは垢抜けたストーリーでは無い。ぶっちゃけた話、クライマックスに関しても読む人によっては脳内にクエスチョンマークが浮かぶだろう。かなり評価が分かれる作品であろう。ただ、私にとってはこの全体的に湿り気のある独特の雰囲気が堪らないのである。

 

これは恩田陸の得意技とも言えるが、登場人物の二名は異母兄妹である。この設定が良い味を出してくるのである。故に物語序盤の不透明さと、徐々に真実が明かされていく展開が面白く、入り込んでしまうのである。決して華があり、特別な何かがある登場人物では無いのだが、彼らについて“知りたくなる”不思議な引力がそこにはあるのである。

 

そして作品を通して、我々日本人にとって共通に大切とするマインドが存在するであろう、古き良き奈良の情景が次々と脳内で再現されていくのだ。これがまた堪らないのである。とは言え、私はそこまで歴史に詳しくは無いし、とりわけ特別な思い入れが奈良にあるわけでは無い。しかし、その文章は引き込まれるものがある。丁寧な描写。魔術師・恩田陸の手腕であろう。奈良に行きたくなってしまうのだ。どこか危うげで鬱蒼とした、ミステリアスな雰囲気を味わいたくなるのだ。

 

そもそもまずタイトルが良いですよね。真昼の月。気にして見上げる人はどれだけいるだろうか。そんなマイノリティさを誘うところが、作品の浮世離れした世界観ともマッチしているのである。

 

 

とにかく、好きで堪らない一書である。雰囲気重視ではあるが、確実に読書における恍惚は味わえることであろう。

 

 

ではまた!

 

 

まひるの月を追いかけて (文春文庫)

まひるの月を追いかけて (文春文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2007/05/10
  • メディア: 文庫
 

 

その波形が表すものは

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かねてより「自分は睡眠中に物凄くイビキを掻いているのではないのか説」が囁かれているのである。特にここ数年その説の真実味が増してきている。とは言え、自分は一人暮らしをしているので、たとえ実際にイビキを掻き散らかして寝ていたとしても、それを誰かが見聞きすることはなく、教えてもらうこともできない。ただ、体感的に“嗚呼、イビキを掻いていたんだろうなァ”と思ってしまうのである。

 

 

と言うのは、つい数日前に日頃の疲労の蓄積のせいか、11時間も睡眠を取ってしまったのである。流石に寝過ぎたと思ったが、“まあ仕方無えよな”とその時ばかりは自分に甘くしてあげることにしたのだ。しかし、どうも睡眠の充実感が低い。寝ている合間に呼吸が覚束なかった記憶があるのである。呼吸のヌケ感が悪い。寝苦しさが合いまった感じがしていたのだ。そんなことがこれまでにもあり、今回の一件がより先述の説を決定的に立証させるものなのではないかと感じたのだ。

 

 

職場の同僚に自らの「イビキ説(略)」について話し、“いっそ寝ている間の自分を動画撮影してみたいのよね”なんて言っていたら、その同僚がこんなことを教えてくれたのである。

「今はイビキを録音してくれるアプリがあるんですよ」と。

非常に耳寄りな情報である。良いことを知った。便利な時代だ。早速該当のアプリをスマートフォンにインストールしたのである。

 

 

その日の晩、アプリの効果を試すことにした。アプリを起動状態にしたまま就寝する。そしてもし睡眠中にイビキを掻いたのであれば、その音を自動的に録音してくれるのである。

 

イビキに関しては、本当に疲れてしまった時にしか掻かないものだと思っている。これもあくまで体感的な判断であるが、毎日毎日イビキなんて掻いていられないのである。仮にそうであれば流石に危ないぞ、と。真剣に何かしらの対策を講じなければならない。その日はそこまで疲れていなかったはずである。故に何も録音されず朝を迎えることを願った。

 

 

 

翌朝、目を覚ますとともに早速アプリを確認する。するとどうだ、早朝の時間にログが残っている。規則的に配列された波形がそこにはあった。音は波形で表される。

やってしまったか。マジですか、と。中々にショックを受けたのである。

 

 

そして問題はそのイビキの音色である。ガーガー五月蠅くイビキを掻いていたのであれば、たまったもんじゃない。

 

恐る恐る録音された波形を再生する。

 

 

 

バゥッ!バゥッ!バゥッ!バゥッ!

 

 

 

 

外の犬の鳴き声であった。

 

 

 

 

 

 

検証は続く!ではまた!

 

 

鶴の最新アルバム「普通」が最高に素晴らしい作品であることについて

普通

2020年3月4日リリースの鶴の最新アルバム「普通」のCDを購入したのである。このご時世でフィジカルCDを買うことに、私の鶴というバンドへの熱量を感じていただければ幸いである!

 

 

“誰もが好きになる音楽”こそが鶴!

埼玉県鶴ヶ島市出身のスリーピースバンド、鶴。2003年に結成し、2008年ワーナーミュージックよりメジャーデビュー。2013年より自らのレーベル「Soul Mate Record」を発足し、以降音源リリースにライブと、今日まで精力的に活動を続ける。

 

2019年10月には地元鶴ヶ島市鶴ヶ島運動公園にてバンドの念願となる初の主催音楽フェス「鶴フェス」を開催。11,000人の来場者を記録し大成功を収める。

 

 

中学校時代の同級生3人からなる、この鶴であるが、その長年の連帯感と信頼から生まれる音楽は、非常にソウルフルでパワフル、そしてハートフルである。そこには“いつまでも良い音楽を届ける”という図太い芯が存在し、彼らの音楽観や人間性もとい人柄が色濃く表現されている。彼らの音楽はとにかくアツいのだ。そしてそれは火傷しそうな熱さとホットココアのようなほっこりとする熱さ、その両方であると言えよう。

 

スリーピース編成、そして鶴ならではの“メンバーの顔がハッキリと浮かぶ”歌とサウンドが癖になるのである。そこには安心感も存在する。とにかく骨太で強靭なバンドサウンドであり、各人のテクニックも秀逸で安定感抜群なのである。故に彼らは“THE ライブバンド”なのである。2013年の自主レーベル発足以降、47都道府県ツアーを3周にも渡って敢行するタフさは並々ならないものである。スクービードゥー先輩よろしくの現場至上主義。まさにミュージシャンシップに溢れているとしか言いようがない活動スタイルである。

 

普遍的なポップ感を大切にしたキャッチ―なメロディ、そして暖かさと力強さが溢れる歌詞からなる楽曲はまさに“誰もが好きになる音楽”である。彼らのライブでの入場SEがJackson 5の「I Want You Back」であることから分かるように、王道を愛し、そして信じ、その普遍的ポップスをこれからの世代へと受け継いでいくと言わんばかりの精神がひしひしと伝わってくるのだ。

とは言え、Vo.&Gt.秋野温の特徴的な歌声と、知識と技量に裏打ちされた拘りを感じさせる演奏が合わさることでそれは“鶴印”の音楽となるのである。これをまさにバンドマジックと言うのではないだろうか。

 

 

鶴の音楽を例えるのであれば「老舗のお弁当屋さんの幕の内弁当」だ。多彩なおかずが多くの人を惹きつけ、老舗ならではの拘りの味付けもピカイチ。そしてそれを出来立てホカホカのままどうぞ召し上がれ、と言ったところではないのだろうか。

 

 

生きる活力を与えてくれる埼玉の誇り

と言った形で情熱を込めて鶴について語っているが、私は彼らがまだ“アフロ時代”であった、2010年のメジャー2nd AL「期待CD」の頃からのソウルメイト(ファン)である。ライブにも沢山足を運んだ。上記の「鶴フェス」にも参加したが、あの多くの鶴ファン・音楽ファンが集い、楽しさを共有する景色は感動ものであった。心から嬉しく感じたと共に、私はこれぞまさに埼玉の誇りだと思ったのだ。

 

余談ではあるが、恐らくライブに行けば行くほど彼らのことが好きになれるだろう。演奏が素晴らしいことは勿論、MCが良いのだ。心に染みるアツいことを言うのである。音楽と言葉のダブルで、人々の背中を押し、生きる活力を与えてくれるのだ。それこそが彼ら「鶴」のモットーなのである。

 

 

 

 

洗練された流れと楽曲のクオリティが圧巻

そして本題の新譜「普通」であるが、これがもう最高でございまして。

 

 

とにかくアルバム1枚通しての流れが美しいのである。各楽曲による抑揚をしっかりとつけた展開で、アルバムの世界観に自然と浸れてしまうのだ。  

 

そして既発曲の存在感がしっかりと立ちながらも、アルバム全体に上手く馴染んでいるのが素晴らしい!よく先発曲(俗に言うシングル曲)のクオリティが際立ちすぎてアルバム全体としての印象がぼやけてしまうパターンがあるが、それが良い意味で無いのである。新曲のキャラクターとポテンシャルがハイレベルで確立されていて、尚且つ曲順もしっかり練られていることにより、これが成されるのである。

 

 

まず1曲目のイントロダクション曲「イントロ~FUTSU~」から非常に雰囲気が良い!わずか31秒のトラックながら、この後始まる素敵なアルバムを予感させる音像である。そしてしっかりと“伏線”も張っているアレンジ。よって是非ともド頭からの通し聴きを推奨したくなる。

 

 

その後間髪入れずに2曲目「歩く this way」でいよいよ本格的に幕が開がる。既発楽曲であるが、これがもう最高に良い曲なのである。スムースな四つ打ちのリズムが軽快なポジティブなナンバー。このクオリティを軽く出せるところが凄い。

 


鶴 - 歩く this way

 

“いくつになってもゴールがないのは生きてる証拠だ

こだわりすぎて始まらないのはもうやめにしよう”

 

本当に背中を押されるのである。最高。

 

 

 

「冬の魔物」は、元々鶴の人気曲であるサマーナンバー「夏の魔物」のセルフオマージュ曲である。同一のコード感をベースにし、その共通項からも遊び心を感じさせる構成であるが、見事に冬の煌びやかを想像させてくれるウィンターナンバーと昇華している。

これもまた軽快でキラキラとしたナイスなポップソング。冬の空気感を連想させる音色を用いたアレンジが冴えている。これから冬になってから聴くのが楽しみである。

 


鶴 - 夏の魔物

 

 

 

アルバムのリードトラックである「ペインキラー」もまた鶴らしい男気を感じる四つ打ちのロックナンバー。全体的に柔らかな雰囲気で進むアルバムに一つずっしりと、大きな抑揚を付けている。非常にライブ映えしそうなナンバーである。

 


鶴 - ペインキラー

 

 

Dr.笠井“どん”快樹作曲の「36.1℃」「きっとそう」といった、彼らしい暖かい雰囲気の楽曲がアルバムに一花を加える。緩やかなテンポの中、空間を上手く利用した音の埋め方が心地良い。また、Ba.神田雄一朗作曲の「Waiting Mother」は鶴らしい遊び心と笑い所が詰まったへヴィなファンクナンバーとなっており、アルバム通してメンバー各人の魅力が余すことなく発揮されている。

 

 

 

終盤でズシリと構えるのは、先述の「鶴フェス」のテーマソングでもあった既発曲「バタフライ」である。この曲の存在がアルバム「普通」の土台を固めてくれていることは間違いがないだろう。

 


鶴 - バタフライ

 

名曲である。シンプルかつ骨太なバンドサウンドに美しいストリングスの旋律、そして秋野温の力強い歌声が絡み合うミディアムナンバー。とにかく必聴の1曲。

 

“遠回りしたって 近づいているんだ”

 

彼らがこのように歌い奏でるからこそ説得力のある言葉である。そうそう近道はなんてものは無いのだろう。ただ続けていくことで、少しずつでも目標に近づいていくのだと。

 

私が感じるのは、2013年の自主レーベル設立以降ずっとバンドの健康状態が良すぎるのではないかということだ。彼らの中にある伝えたい言葉、作りたい音像、やりたいことが明確となっており、それらが確実に楽曲や活動に表れているのだ。この「バタフライ」も、そういった鶴のメンタルとフィジカルが再現されている1曲だと感じざるを得ない。

 

 

 

その後続く「アナログなセッション」が私は特にお気に入りだ。人と人との“アナログ”な繋がりを大切にしたいと歌うこのナンバーは、時期からして図らずのことではあるが、コロナ禍の今だからこそ響くものがある。

 

そしてラストナンバー「結局そういうことでした」であるが、アルバムを締めくくるにはぴったりの重厚なロックナンバーである。マッドな心情も吐露されているが、言うなれば明と暗が共存こそがポップミュージックであると私は思っている。秋野温らしい、この世にある闇の部分も“放っておかない”赤裸々さこそが何よりも強いところなのである、と私は思う。終盤のコーラスワークがロックオペラを彷彿とさせ、アルバムは最高の余韻を残しながらその幕を閉じるのである。

 

 

 

こう語ってきたが、実際私は普段あまりアルバムの通し聴きということはあまりしないのである。楽曲を絞って、のめり込んでしまう傾向にあるのだが、この「普通」は全体を通して聴きたくなるのである。私個人としては、理想のアルバム像というのは“1周終わった後にすぐ繰り返して聴きたくなるか”というところにある。熾烈かつ濃厚な内容で壮大な聴後感を与える作品やアーティストも多く存在し、そういったものも好きであるが、“お腹一杯でもう食べられない”となるよりは、“まだ足りん!また食べたい!”となる方がどうやら性に合っている。非常に“馴染む”のである。その身近さこそが鶴が生み出す音楽の最大の魅力だ。

 

 

ともあれ、鶴の最新アルバム「普通」は最高のアルバムです!

是非とも機会があればご一聴いただきたい!

 

ではまた!

 

 

普通

普通

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  • 発売日: 2020/03/04
  • メディア: CD