アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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困った時のオムニバス〜2020年、梅雨入り

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よく言う“◯◯中毒”。その人にとっての嗜好品に対するのめり込み度合いが非常に高い状態を表すこのワードではあるが、私もここ最近とあるモノの“中毒”状態となっている。

 

 

 

ズバリ、アロエ&白ぶどう中毒」である。

 

 

コカ・コーラ ミニッツメイド アロエ & 白ぶどう 280ml缶×24本

 

ジュース「ミニッツメイド」のシリーズの一つである。

 

 

コンビニやスーパーではほぼ売っておらず、主に自動販売機での購入となるこのドリンク。もう、これが馬鹿美味い。

白ぶどうジュースのスッキリとした優しい甘味に、柔らかくぷるぷるとしたアロエ果肉の食感が混ざり合う、最高に爽やかなドリンクである。

 

ここ最近はこれを毎日飲んでいる。とっても美味しい。とはいえ昔から知っていて、好きな飲み物の一つではあったが、最近はその“好き”が揺るぎないものとなってきている。LOVEである。毎日飲んでも飽きないのである。むしろ飲まないと1日が終わらないレベルになってきている。軽い病気である。

 

そんなわけで毎度自販機で買っているのだ。いよいよ箱買いも検討している。ただ、自販機でわざわざ買う手間もなんだか愛おしいもので、困っているところである。どうしたものか。

 

 

アロエ&白ぶどう」、最高です。是非皆様にもその味と食感(飲感)を体感していただきたい。私は中毒である。

 

 

 

 

 

“相棒”、という言葉がある。このワードで世間的には水谷豊氏の顔が思い浮かぶことが殆どだと思われるが、誰しもが自分にとっての相棒というものがあるのではないのだろうか。例えばその人にとっての恋人や配偶者であったり、ミュージシャンであれば愛用の楽器、画家であれば愛用の筆であったりと、肌身放せないものや人を表すのに、“相棒”という言葉を使うことがあると思う。

 

 

そう、私にも“相棒”が存在する。

 

 

 

その相棒は「メラミンスポンジ」だ。

 

 

 

「激落ちくん」なんていうキャッチーかつ受験生には絶対に渡してはならないネーミングで発売されているものが有名であるが、私にとってはこのメラミンスポンジが手放せない。

家の掃除が割と好きな私であるが、メラミンスポンジの活躍っぷりと言ったら凄まじいものがある。大体の汚れはコイツが落としてくれるのである。水回りは勿論のこと、ガスコンロ回りの頑固な油汚れにもガンガン使うのである。その他、気になる汚れにはメラミンスポンジをスクラッチさせるのである。ほら、ピカピカでしょ?

 

 

メラミンスポンジ、凄い!

(適当にやんな)

 

 

 

 

ふと思い出したのが、中学一年生の頃に当時同じクラスにエンドウくんという子がいた。中学二年生に上がり、それから今日まで全く疎遠になってしまった人ではあるのだが。

同じクラスだった時は仲が良かったのである。当時そんな彼が私にこんなことを言ったのだ。

 

 

「なんかアッチといると楽しいんだよなー」

 

 

確か、言われたのである。今思えば、こんな嬉しいことあるだろうか。彼がどんな精神状態で、どんな真意を持って言った言葉なのかは今となっては分からないが、ありがたいことだなと今もふと思う。

そしてそういう気持ちを素直に、しかも思春期真っ只中で、他人に対する照れや恥ずかしさ等がある年齢の時期に言えることが非常に素晴らしいことだと感じたのである。

 

まあだから何なのか、というところではあるのだが、もし今エンドウ君に会えたならば、その時のお礼を言いたいと思ったのである。

 

 

素敵やん?

(だから雑やて)

 

 

 

 

日々ブログは書いているのだが、遂行&ストック状態である。ズバリ音楽系の記事を書いているわけなのだが、私の熱量故に神経質にもなってしまうところでもあり、中々中途半端なものは出したくないところなのである。

武者修行、しております。

 

更新しましたら、そちらも是非よろしくお願いいたしますね!

 

 

困った時のオムニバス!たまにはこのスタイルやらせていただきます!

ではまた!

 

 

コカ・コーラ ミニッツメイド アロエ & 白ぶどう 280ml缶×24本
 

 

変口

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「変口」、読みは“へんぐち”である。現在のところそこまで世間一般には浸透していない用語であるが、恐らく今後日本中、いや世界中で一大トレンドを巻き起こすであろうものであるので当ブログ読者の方々にはいち早くこの魅力をお伝えしたく思う。尚、変口に関しての一切のソースはこの私にあるので、インターネット検索をしたところで全くヒットしないことだけはまずご了承いただきたい。

 

 

新型コロナウイルスの影響により、マスクの着用が絶対的なものになっている昨今である。元々日本では風邪が流行る冬に、予防の為にマスクを着用する人が増加するのがごく当たり前の光景であったが、今はそうではない。季節の概念や人々の年齢、身体的能力を問わずマスクをしなければならない状態となっている。先行きの見えない不透明な現状。非常に閉塞感漂う世の中のムードである。

 

そんな今だからこそ、私は「変口」をここでご紹介したい。日々を強く楽しく過ごすための活力の一つとなれば良いと思う。

 

 

「変顔」という、初歩的でありかつ伝統的ともされている芸事については誰もが良くご存知だろう。顔中の筋肉を使い己の顔面を歪ませ変形させることで異端な表情を作り、見る者のひと笑いを誘う王道の手段である。時折、手や洗濯バサミ等の外的要素を用いて顔面を変形させる変顔er(ヘンガオワー)も存在するが、彼らは自らを反則スレスレのグレーゾーンの中にその身を置いていることを自覚していただきたい。アイテム利用は笑いを取るには実に強すぎるからだ。変顔とはシンプルな故に、非常に奥が深いものなのである。

 

そこで出てくるこの「変口」であるが、恐らくもうお分りであろう。

 

マスクを着用した状態で、マスクに覆われている口及び口周辺の頬を変形させる行為である。

 

 

この変口の重要なポイントは、マスクで覆われていない目や眉等の部分を変形させてはいけないところである。ついつい力が入ってしまい、全体変顔と同様の変形をしてしまう初心者の方もいるが、あくまでも“変な顔面を作っていることを悟られない”ことが重要なのである。

 

つまり「変顔」という行為における、他者の笑いを取るという意味合いからは正反対のものとなるこの「変口」であるが、どんな場所、どんな状況でも一部的に変顔を作ることができ、己の心身を解放できることが大きなメリットである。

 

「ほら、マスクで隠れて見えてないけれど、今オモロい形の口をしとるんぞ」と、ロックンロールかつパンクな気持ちになれるのである。その明と暗のギャップそしてコラボレーションこそが至高なのである。私に関しては、仕事の勤務中に変口を実施している。非常に爽快な、アッパーなテンションになっているのである。とても心地が良いのだ。

 

 

現在のこんな世の中だからこそ、少しでも楽しめる心の余裕というのを持つべきである。その一助となり得るのがこの「変口」ではないのだろうか。見えないところでコソコソと。さあ皆も変口の世界へ行ってみないか…?

 

 

 

 

 

 

 

割とやってる人いると思いますよ。

 

ではまた!

 

私はそれを許せない 〜ちょっと萎えさせんといてくれる?

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“ギャップ萌え”なる言葉が存在する。この言葉が果たしていつ頃からこの世に誕生し、世間に浸透したのかは知らないが、今や当然のように人々(主に若い女性たちのイメージ)の会話の中に出没し、また誰彼の人間性を知り得るための感覚そして現象の一種として居座っているものだと感じる。

 

私はこの言葉が好きではない。懐の問題だと感じているからだ。“ギャップ”が生じ、萌えを感じられるということは、その特定の人に対する勝手な先入観が存在している状態である、もしくは単純にその人に関して無知であることが大きな条件であり、つまりギャップ萌えとは「勝手に想像して勝手に感動している」現象であると私は思っているからだ。

または単純に、ギャップ如きで萌えるほど私の心は忙しなくないからだ。勿論、人に関して思いもよらなかった性格の部分や、趣味趣向が発覚した時に、感動を覚えたり感銘を受けることはあるが、それは決して“萌え”ではない。悶え興奮し、はたまた恋愛感情さえ生まれてしまいそうな脳内お花畑なものではない。素直な感動である。わざわざ萌えてもいられないのである。

という、今回の主題への前提である。

 

 

私にとって許せない、もしくはそれを許すためには非常に寛大で豊かな心を持つ必要があるものがある。それは何か。

 

 

ヤンキーが手帳型スマホケースを使うこと、である。

 

こんなにも虫唾が走ることがあるだろうか?このことについて具体的に掘り砕いていく。 

 

 

数多く存在するスマホケースの中でも、手帳型ほど機能性と防御力の高さに富んでいるものは無いと言えよう。蓋となる表紙を閉じることによって、たとえスマホの画面側を下にダイレクトに地面に落としたとしても液晶が割れることは殆ど無いと言える。また、大抵の手帳型ケースの蓋の裏面には、カードを複数枚収納できるポケットが存在し、Suica等の定期券や免許証、社員証等をそこに仕舞うことで、それらの手軽な利用と出し入れを可能とする。スマートフォンという現代における我々にとっての身近な存在を有効に活用した方法である。

そんな利便性に優れた手帳型スマホケースを使うヤンキーが私は許せない。

 

ヤンキーとは至って攻撃的であり、どちらかと言えば反社会的である。どういった経緯でその生き方に至ったのかは分からないが、社会で真面目に規律を守って生活する人々にとっては迷惑極まりない存在であろう。

そのヤンキー、もしくはヤンキー風の男が手帳型スマホケースを使い、己のスマホをガチガチに保護し、かつ計画性に溢れた行動をすることが理に適っておらず、許せないのだ。

 

 

守るなよ、と言いたい。何故守る?ヤンキーは破滅的に生きることが世の常であり、そんな彼らが自分のスマホの液晶が割れることを恐れることがあってはならないのだ。

 

そもそもヤンキーは頭の悪そうなスカルマークのデザインのものや、派手めな色に染め上げられたプラスチック製のケースを使うことが関の山である。お洒落なデザインで丁寧に作られた革製の手帳型スマホケースを使うことなどはあってはならない。柄ではないのだ。もしくは潔くノーケース。故に液晶に関しては過去2,3度の落下によってバキバキに割れているくらいが丁度良いのだ。保護フィルムに関しては甘んじて着用を許可するものの、完全に封印されて取り出せない気泡が1,2個程度画面上に無くてはならない。

またSuicaや免許証をケースに入れて便利に携帯してはならないのだ。合理的なヤンキーなど存在してはならない。如何なる時でも刹那的に生きる、そんなヤンキーであっていただきたいのだ。

 

ギャップ萌えという言葉に関して多少の嫌悪感を抱き、やれスルーを決め込む私ではあるが、この“ギャップ萎え”に関しては酷くダメージを受けてしまうのである。痛みを超えて苛立ちを感じてしまう。辛いのだ。それであるならば、せめて萌えていたい。

 

私は言いたい。「手帳型スマホケースを使いたいのであれば、真っ直ぐな人の道を歩め」と。

世の手帳型スマホケースユーザーには、それに似合う生き方を心掛けていただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

仮想敵シリーズ来ましたね。笑 長々と何をほざいているのか、自分でも困っておりますが。

とは言えですね、結構本気で許せないんですよこれ!笑 なので世の中のヤンキー諸君!私を萎えさせんといてな!

 

 

 

でも本当に一番許せないのは、

人の不幸をネタにして甘い蜜吸おうとしている底辺YouTuberなんだよなぁ…。

本当に腹ただしい。人間の屑め。

 

 

っていう本気の怒りを最後に。

ではまた!

 

 

奥田英朗「イン・ザ・プール」-活字初心者・苦手な人にも本気でお勧めできる1冊

イン・ザ・プール ドクター伊良部 (文春文庫)

音楽以外にも読書が一つの大きな趣味である私である。今回は私が敬愛する小説家とその著書をご紹介させていただきたい。

 

奥田英朗がこよなく好きである。イン・ザ・プール」「オリンピックの身代金」「ナオミとカナコ」等、多くの代表作品を持つ、日本を代表する小説家の一人である。

正直に言うと、自分の文章の書き方もかなり奥田英朗の影響を受けていると感じております。

 

ミステリーにファンタジー、青春群像劇にヒューマンドラマまで多彩に幅広く書きこなす腕前は天下一品である。作品本来のストーリーの面白さもさることながら、登場人物のキャラクターや舞台のディテールを大切に組み上げていく作風が非常に魅力的であり、圧巻である。ズバリ書き込みの濃さ、である。“痒いところまで手が届く”、という表現をしたい。毎度綿密なディテールを持って物語が進み伝わってくるので、それにより読み手の作品への入り込み方が濃厚に変わってくるのである。脳内で登場人物が動く動く、景色が浮かび上がり描かれる。グワグワ感情が揺さぶられる。ページを捲る指は止まらない。圧倒的で重厚な読後感。気が付けば奥田スタイルの虜となっているのだ。

そういった脳内映像化のし易さであったり、エンターテイメント性溢れるストーリー展開がある作風だからこそ、作品の映画・ドラマ化といったメディアミックスも非常に多いのである。世間の非日常欲を満たし続ける、紛れもないビッグヒットメーカーである。しかし私が声を大にして言いたいのは、それとは対象になんてことのない些細な日々の中にある温もりや幸せも表現できる懐の深さを兼ね備えているのが奥田英朗の素晴らしさなのである。

フィクションからノンフィクションまでの幅広い器用な書き分け。そしてどこにも一貫して溢れるのは“人間味”である。時に優しく時に儚く悲しい。そして温かい。極め付けには笑える。もうこれが私には堪らないのだ。

 

 

奥田氏の作風について、もう少し具体的に説明したい。それは各キャラクターにおけるバランスの取り方の妙である。

例えばAとBの2人の登場人物がいるとする。Aにフォーカスを当てる場面とBにフォーカスを当てる場面をそれぞれ平等に設け、どちらにも“言い分”を持たせてあげるのだ。Aを立たせれば次はBも立たせる、といった形で絶妙なバランスを取りながら、各キャラクターに読み手の感情が入り込む余地をガンガンに作っていくのだ。また、そのバランスが綺麗に取れているので、物語の進行とそれに対する読み手の受け容れ方も滑らかになるのである。

上記のことは実際に奥田氏がインタビューで発言していたことでもあるが、この奥田氏のディテールへの美学こそが作品の本質を浮き彫りにし、やがて我々を読書の恍惚へ誘うのである。丁寧に表現する卓越されたスキルとテクニックは流石。

 

故に「オリンピックの身代金」や「ナオミとカナコ」といった作品のメイン登場人物は、一般的な考えを持ってしては必ずや咎められるべき存在であるが、読み進める内に不思議と彼らを全力で応援し、スリルを共にする自分がそこにいるのである。これが奥田マジックである。人間味、全開である。是非堪能していただきたい。

 

 

 

そしてご紹介させていただく作品はイン・ザ・プールである。言わずと知れた奥田英朗作品の中でも最も有名なものでないでしょうか。

 

精神科医・伊良部シリーズの第1作目。2002年刊行。この後2作目「空中ブランコ」、3作目「町長選挙」と続き、「空中ブランコ」では直木賞を受賞。大ヒットシリーズである。

 

私自身、この「イン・ザ・プール」が奥田英朗作品との最初の出会いである。しかも読み始めたのは人生的には割と最近で、7年前程である。どういった出会いだったかは覚えていないが、その時はブックオフでたまたま目に入ったので買ったのである。何となく作品名は知っていたと思う(多分)。気付けば本当に良い出会いをした。

 

 

色白でデブの奇抜な精神科医・伊良部一郎。そしてその精神科に訪れる、奇妙な症状や悩み事を抱えた患者。伊良部の突拍子も無い治療の数々に患者は戸惑い呆れながらも、不思議なことにいつしか伊良部の術中に取り込まれていく…。

 

 

イン・ザ・プール」という題名の作品であるが、5つの短編で構成されている短編集である。1話読み切り型なので非常に読み易いのである。何と言ってもこれが活字初心者にもお勧めの第1ポイント!ついでに表題作は第1編に登場する。

 

 

とにかく笑えるのである。マジで笑える。楽しい。これを読めば読んでいる間は嫌なことを忘れられるのである。

 

何と言っても伊良部のキャラクターが最高だ。どう考えても常人ではないのだが、みるみる内にその滑稽さと破天荒な振る舞いに惹かれていってしまうのだ。そしてそのやり方はどこかしっかりと理に適っているからまた面白い。癒されてしまうのだ。

 

そして各患者のキャラクターも魅力的である。「こんなことあるわけねえだろ」なんて思いつつも、実際人間と言うものは分からないもので、自分でも誰にもいつどこで常軌を逸するかは未知数である。患者にも立派な言い分やそれなりの理由があり、その状態に達してしまっているのである。そういった人間の本質の捉え方もまた巧みで、これまた引き込まれてしまうのである。ただ、「勃ちっ放し」(2編目タイトル)には流石にそうはなりたくないが…。笑

 

サブキャラのマユミもまた良い味を出している。この女キャラがいるといないで作品の味の奥行きが変わってくる。料理で言うところの料理酒である。バランサーが随所で絶妙に活躍してくれるのだ。

 

改めてになるが、本作はニヤケて笑えてほっこりも出来る物語の数々である。爽やかな読後感が待っていることであろう。

 

 

 

と言うわけで、とてもサクサクと読み進められる一冊でございます。小説に興味がある人、活字が苦手だけど読書に挑戦したい人にはまず奥田英朗イン・ザ・プール」をお勧めさせていただきます。とにかく読み易いです!

 

映画化もされておりまして、その映画の伊良部役は松尾スズキなのですが、自分の脳内イメージでは芋洗坂係長なんだよなぁ…。笑 

 

ついでに個人的には2作目「空中ブランコ」収録の「義父のヅラ」がもう可笑しくてしょうがないです。笑 そして同じく収録されている「女流作家」では、今でも思い出し泣きしてしまいそうな温かい展開が待っております。こちらもご興味あれば、是非。

 

皆さんの人生にも豊かな読書ライフを!ではまた!

 

 

正直者のセレナーデ

新型コロナウイルスの影響で停滞する社会と人々を横目に、次々と季節が移ろいゆく今日この頃である。つい先週くらいまでは、まるで初夏の訪れを感じさせるように暑い日が続いた。

世の中絶賛ステイホーム期間であるが、様々なことを考えたり普段出来ないことを実践したりと、人々がそれぞれが思い思いに過ごしているのではないだろうかと思う。

 

 

普段は健康と体型維持のためにランニングを行うことを生業とする私であるが、ここ2ヶ月は外を走っていない。万が一のことがあるのを危惧して止めている。ランニングとはThe有酸素運動。息を吸ったり吐いたりしなければならないからだ。

 

代わりとして、ここ最近はYouTubeでトレーニング動画を観て自宅で体を動かしている。「滝汗トレーニング」なるものだが、筋トレと有酸素運動、ストレッチを一纏めにしたものである。これが正直10㎞走った方が楽だとすら思えるものである。日頃どれだけ筋肉を使っていないのかが丸分かりである。非常に良く考えられているメニューである。とてもキツイ。体の節々が悲鳴を上げる。しかしそれが良い。賃貸なので近隣部屋の住人の方にも気を遣いながら、じっくりと体を動かす。シバく。汗をかくことが気持ちが良い。運動って素晴らしい。鬱屈した今だからこそ尚更である。

 

レーニングの後は当然シャワーを浴びる。ここ最近は暑い日もあり、湯の温度も初春に比べて下がる。火照った体には尚更だ。熱湯に冷水を含ませて、肌に心地の良い温度に調整する。この温冷のバランス取りが難しい。

それは音楽における楽曲制作と似ていると、ふと感じたのである。音が割れずに出力される(できる)音量には限度がある。またそれを聴き入れる人の耳の感覚もそうだ。各楽器の音やそれぞれの音域がバランス良く聞こえるように調整しなければならない。分け合わなければならないのである。なので、聴覚を研ぎ澄ましてツマミを上げ下げしなければならない。

また、中学生の頃に理科の授業で習ったガスバーナーを思い出した。送り込むガス量を調整して、炎の色を適正の青色にする。当時この作業には自信があった。班で率先してガスバーナーを操り、絶妙なバランス取りを炸裂させていた。

そんなことを思ったのである。

 

 

元々料理はする方であるが、この機会に敢えて時間のかかるものを作ってみたりもした。もはや食くらいしか楽しみがないのだ。なので、豚の角煮やチャーシューを作って、食った。

カレーもよく作った。冷凍のシーフードを使ったり、豚バラブロック肉を厚切りにして贅沢に使ってみたりしたが、様々試して結果分かったことがある。結局カレーは薄切りの豚バラ肉を使って作るのが一番美味い。旨味的なところが違う。そう、何の捻りも変化も要らなかったのだ。シンプルかつ王道がベストである。これはガチだ。このことが分かっただけでも、カレー狂の私としては得たものが大きいステイホーム期間となったのだ。

 

ある意味欲望に従うのが、今の上手な生き方なのかもしれないと思う。何かをすることも良いし、気分が乗らなければ何もせずダラダラと過ごすのも良い。そこから何かが見えてくる。何かしら考えは浮かんでくる。正直な気持ちで生きていくのが良いのではないかと思う、今日この頃である。

 

そして俺は素直になって、

 

 

再び煙草に火を点けているのであった…!

 

 

(えー、1ヶ月はマジで止めてました!でもまた吸っちゃってますゴメンナサイ!でも本数は以前の半分になりました!)

 

ではまた!

 

 

【ご報告】

ブログ開設から約1年5ヶ月が経過しましたが、累計1000PVを突破いたしました。皆様ありがとうございます!

 

 

春風と破裂音

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人の忠告を素直に聞いておけば良かったと思う時がある。特にその人が何かの物事について専門的な人であればあるほど、そうだ。恐らくその人の“経験則”的なものが自信であり、忠告そのものの重みを増させるものなのであろう。

 

普通自動車免許を所有している私ではあるが、現在のところ車の必要性を感じる生活を送っているわけではないので、自転車をメインの移動手段としている。かれこれ自転車とは長い付き合いである。特別感すらある。

 

しかし、そのくせ自転車運というものがない。中学生の頃はしょっちゅう自転車の鍵を無くしてしまい、その都度学校の先生にも一緒に探してもらい、御手数御心配をよくおかけしたものだ。

そしてよくパンクする。これが深刻だ。年2ペースくらいではパンクしている。毎度だがお金がかかって仕方ない。恐らく乗り方の問題もあり、なんでもタイヤ内の空気は常に満ちている状態であることが重要なのだと。本来であれば度々気にかけて空気を入れておかなければならないのだが、私はついついそれを怠ってしまい、結果ちょっとした油断と怠惰が余計なパンクを招いてしまっていると言っても過言ではないのかもしれない。

 

そしてとある日また自転車のタイヤはパンクしたのだ。またか、と。タイヤの空気とともに、私の気持ちもフニャアと抜けてしまったのである。

 

 

近所に2箇所、行きつけの自転車屋さんがある。最近は家からすぐ近くの方に訪れていたが、気分を変えたくなりもう一つの店に行くことにした。

そこは自分が高校生の頃くらいから通っている。おじいさん店主が安定の腕前を愛嬌を見せながら店を切り盛りしている。“信頼と実績”とは彼のために存在する言葉だ。

 

しかし、そんな彼が一点だけ私にとって困るポイントがある。こちらとしてはパンクを直してほしいだけなのに、毎度チューブ及びタイヤ交換を促されるところだ。その都度反応に困るのだ。実際過去に交換をしてもらったこともあるが、今はまだその時期では無いだろうという私の読みである。

 

そして今回もまるでお決まりのように同様の台詞が彼から飛び出した。が、とりあえずパンクを直してほしい、乗れれば良いというこの時の考えの私だ。「(パンクを)直しても、すぐタイヤがイカれちまうよ」と彼は仰っていたが、お金も勿体ないのでパンクのみ直していただいた。何度も言うが、腕は確かだ。見る見るうちに修理は進み、復活。そして我が自転車は再びその息を吹き返し、あの素敵な軽快な走り心地をまた感じさせてくれるのである。

 

 

 

数日前のことである。食料品や生活用品の買い物へと、近所を自転車漕いで移動していた。昨今のコロナウイルスの影響もあり、買い物くらいでしか休日は外に出ないのでちょっとした気分転換でもあるこの時間。春風を感じながら軽快に自転車を飛ばしていたのである。

 

家からはやや離れた、目的のスーパーが見えてきたあたりでのことだ。

急に「パァーーン!!」と、まるで抜けの良いスネアドラムのような渇いた音が響き渡ったのである。私は驚き、自転車を止め周囲を見回した。

 

するとどうだ、自転車の後輪が完全にパンクしていたのである。運転時における破裂パンクは人生初である。やってしまった、と。しかもよくあるいつものパンクではない。自転車を無理にでも手で押すと、後輪のタイヤとチューブがホイールからフニャフニャと外れ、車体自体に絡まってしまったのである。そして後輪は動かなくなった。完全にやらかしたパターンである。自転車を動かすには荷台を持ち上げて、前輪のみで前進するしかない。マジでダルいやつである。

 

なんとかスーパーまで辿り着き、駐輪場に自転車を停める。さて、どうするものかと。

 

しかし、ここで意外にも冷静であった自分が居たのだ。と言うのも、私は1年程前に自転車保険の加入を済ませていたのである。その保険サービスの一環で「自転車ロードサービス」たるものが存在していることを頭の片隅に入れていたのだ。つまり、壊れてしまった自転車を自分の代わりに運んでくれる、というものだ。

 

日々安全運転を心掛けている故に、この日まで自転車保険は“お守り”としての効力でしか無かったが、幸か不幸か、遂にその実力を発揮する時が来たのだ。

 

早速専用のアプリを介し、ロードサービスの出動要請をする。程なくしてサービスセンターの方から直接連絡を頂き、事情を説明する。特に問題もなく、要請完了。40分程で来ていただけるとのことであった。もう、一安心である。有難すぎる。

 

しかし、こちらまでの到着までの時間が中々長いので困ったものである。陽はやがて段々と落ちてきて、気温は下がっていく。春風も強く吹き付け、非常に寒いのである。近くに図書館があるので、本来であればそこで時間を潰すものの、現在は当然休館中である。暖を取るため、仕方なくスーパーの中をひたすらにウロウロしている他無かったのだ。完全無欠の怪しいヤツである。

 

もう爆裂的に煙草が吸いたくなりましたよ。笑 何なんだ一体、と。「パァーーン!!」じゃねえよ、と。笑 しかし我慢しましたけどね。

 

要請から約40分後、表に出て到着を待っていると、それっぽい軽トラックと、またそれっぽいバンが駐車場へ入り込んでくるのが見えた。「おぉ、救世主の登場じゃ」と、つい安堵の息を漏らす。しかしそのどちらでもなく、別の方向からオレンジ色の作業着を身に纏った愛想と体格の良い男性が私の方へと歩いてきたのである。あれま。ともあれ、現場到着である。作業員の方は後輪が萎れ切った私の自転車を確認し、そして「自宅までで良いですか?」と私に自転車の運搬場所を確認した後、ドナドナ自転車を運んでいったのである。込みこみで1時間程膠着状態の私であったが、こんなにも助かることはない。お礼、感謝。

 

ついでに、防犯上の観点から私自身は運搬車に同乗できないのである。笑 なので一人歩いて帰りましたとさ。

 

 

いやー、参ってしまいましたよ。最初からあの自転車屋さんのおじいさんの忠告を聞いていれば、こんな急なアクシデントは起きずに済んだのかもしれないですね…。

非常にダルかったです。ただ、一番ダルいのは「これもブログのネタになるぞ!」と思ってしまった自分であることは間違いないのである。

 

皆さんもくれぐれも自転車にはご注意を!ではまた!

 

 

 

パエリアに憧れて

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「未来」、それは当然我々には知る由も無い。例えば、その人に特別な予知能力があるのであれば話は変わってくるが、普通の人であればそのような奇跡は存在しないだろう。先のことなど、普通の私達には分からないのだ。

 

ただ一つ言えるのは、「今」とはつまり「あの日あの時の未来」である。幼かったあの日、そして物事を今よりも知らなかったあの時から現在。どんな未来たちが私達を待ち、私達を出迎えたのでしょうか。

 

自分もそうであるが、人は大体の自分自身のことが理解できてくると、自然と物事に対する可能性を途絶えさせてしまうことがあるのでは無いかと思う。単純に言うと向き不向きだ。何となく自分が苦手であったり、相性が悪いと感じられるものには自然と手を出さなくなっていく。それどころか、避けていくようにもなっていく。

その逆も然りであり、得意な分野や好きなものに対しては堂々と足を進み出せる。より知りたい、深くなりたいと思える。これらについてはなんて事のない普通のことであり、本来の人間が持つ建設的な考え方によるものであろう。

 

 

しかし、時としてウルトラCが人生には起こる。予期していなかったことが起こることがあるのである。(ウルトラCとか言っている時点で、自らはもう若くないと思ったりもしている)

 

それはつまりどういうことか。

 

まさか自分が好きになると思っていなかったものを好きになる、という経験はないだろうか?

苦手だと思っていた、知らぬうちに距離を取っていた人と何かの拍子で互いに大切だと思える関係になったことはないだろうか?

まさかハマると思ってなかったものに、急にどハマりをする経験はないだろうか?

道理を越える、という経験だ。

 

 

私の場合、その一つが音楽である。私がとても音楽好きであることはなんとなく当ブログを読んでいる方であれば薄々感づいていると思うが、そもそも自分がこれほどに音楽に夢中になるとは、少なからず子どもの頃は思っていなかったのである。

 

小学生の頃は音楽の授業が苦手であった。たまに訪れるリコーダー演奏のテストなんてものはもう最悪で、緊張はするわ上手く吹けないわ、大嫌いであった。地獄の時間であった。音楽に対して一切特別な感情なんて抱いたことはなかった。とても縁がなく、遠い存在と感じていた。興味自体無かったのである。

 

しかし、小学6年生あたりからそれは一転する。きっかけは当時4人組のDA PUMPだ。自分でも知らぬ間だった。予想不可のスピードであった。何故だか分からないが、一度彼らに触れた瞬間から、その魅力に強力磁石の如く吸い付けられ引き込まれてしまったのである。DA PUMPのカッコ良さに惹かれ、そこからどんどんと景色が広がっていくように、晴れて音楽好き人生が始まったのである。これがまさにウルトラCである。

 

また、前回の記事にも書いた煙草についても、ある種のウルトラCである。大嫌いだったものが大好きになるパターンのやつ。そして、急に辞めてみるってやつ。笑

 

 

そしてここ最近である。新たなウルトラCが私の身に降りかかろうとしている。

 

 

空前絶後のサッカーブーム到来である

とりわけ、海外の。

 

 

 

サッカーほど私と縁のないスポーツは無い。小学生の頃は友達と遊びでやっていたこともあったが、所詮は遊び。特別に思うことなど一切なかった。

 

更に、自分は小学4年生あたりから野球に夢中になる。松井が好きだった。世代的にそうですが、松井とイチローですよ、やっぱ。いつのまにか、野球をやるようになるのである。始めたきっかけは忘れたが、単純に楽しいからやっていた。テレビで野球を観るのも好きだった。選手の背番号を覚えることもハマった。コロコロコミックで連載されていた「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」を夢中で読んでいた。プロ野球選手になりたいと思ったこともあった。野球というスポーツが、他のスポーツよりも頭一つ出る、特別なものとなった。

 

その流れで中学の頃は野球部に所属した。まあ結局野球への情熱は中学途中で消え、そこからは音楽やお笑いといったエンターテイメント大好き人間へと相成るのですが。一見明るいが、根は暗い陰キャラ中学生だったと思う。

 

野球とサッカー、どちらとも日本を代表するスポーツであり、その人気を二分している感は否めないだろう。どことなく、それぞれのスポーツに取り組む人間の性質も違うと思う。性格的な部分や考え方の部分だ。

 

野球少年だった自分としては、サッカーというスポーツはまるで縁がなく、サッカーを好む人に関しては、自分と全く正反対のベクトルにいる者なのだと思っているのである。そう思っていたこの30年間であった。

 

 

1ヶ月程前である。時すでにコロナ影響による自粛ムードであり、気軽に遠出で遊びに行くことを憚り、ある日歳下の友達君とゲームのウイニングイレブンをして遊ぶことにした。彼はサッカー好きである。

 

ウイイレに関してはちょいちょい遊んだことがあり、正直好きな部類であったが(好きなんかい。笑)、おおよそ中学生ぶりくらいのプレイである。これが大盛り上がりだったのである。「アッチさん!メッシ使いましょうよ!」なんて言われ、ぶっちゃけ言うとこの時顔すらもピンと来ていなかった、名前だけなんとなく知ってるメッシを使い、勢いに任せて遊んだ。神の子メッシはウイイレでも遺憾無く神の子っぷりを見せるのである。何しろスピードがダンチである。速い速い。どんどんDFを抜いていく。手に汗かきながらコントローラーを握り、まさに少年時代に還ったこの瞬間であった。

 

そして私は単純である。「サッカー楽しいな」と。もっと選手の名前覚えてぇ、サッカー詳しくなりてぇ、となったのである。

 

日本のサッカーも良いが、やはり海外のスピーディかつテクニカルなサッカーに惹かれるのである。しかし全くもって知識ゼロと言って良い自分。もうそこからは全力でWikipediaYouTubeの名プレイ集で猛勉強である。いやメッシは神の子やなと。クリロナ(クリスティアーノ・ロナウド)もヤベーなと。ブスケツスゲーなと。とにかく知識を頭にブチ込んでいくのである。そして覚えたことはすぐ言いたくなる私でえる。すぐエル・クラシコ言いたくなる。単純である。ウルトラC、此処に在りだ。

 

サッカー好きの友人の影響もあり、みるみるハマってきている状態である。それ故に逆に後悔もしている。もっと早くサッカーの魅力に気付いていればと。往年の名選手がもう引退していたりするのである。シャビがいる時代のバルサが観たかった。

しかし彼は言った。「まだメッシとクリロナが現役なんですよ!遅くないですよ!」と。ありゃあシビれたね。良いこと言うな、と。

 

まさかここにきてサッカー好きになるとは、と。これだから人生面白い。

 

まあ言うて一昨年のW杯は、全く興味無いフリをしつつも日本戦はほぼほぼしっかり観るという大ミーハーをブチかましましたが。笑 再来年の2022年カタールW杯までに仕上げていきたいと思っている。勉強をして詳しくなって臨みたい。

 

今現在はコロナの影響で、どの海外リーグもシーズンが行われていない。早くこの状態が緩和されて、無事に再開催されていくことを祈っている。

 

私はもはやスペイン料理が食べたくなっている。そのくらいの熱量(?)である。コロナが収束したら、メッシのユニフォームを着てパエリアが食べたい。見た目から入るスタイルである。そんな日を夢見ているのである。

 

 

ついでに、私が一番得意(自称)な球技は、

卓球だ…!(コリャ一本取られたね…!)

 

 

ではまた!