“読書の秋”という、我々日本人に非常に馴染みの深い粋な言葉があるが、私にしてみれば“読書の夏”の方がしっくりくるのである。例えば誰もが幼い頃、夏休みの宿題の読書感想文を書くためにわざわざ課題図書を読んだ経験はないだろうか。突き刺さる真夏の日差しから逃れるために、近所の図書館を避暑地にしたことはないだろうか。そのような場面を思い出すだけでもエモーショナルな気持ちになれる、夏の記憶の一片である。
そもそも当時の私はそこまで活発な少年ではなかったので、夏休みと言えば冷房の効いた自宅か図書館で一人大人しく読書を愉しむのが関の山であった。むしろそれを望んでいた側面もある。そもそも自分は一人の時間が好きである。そこに綴られた文章に脳内による思考と想像を巡らせ、作品の世界に浸る時間は、私にとって至高であり、今もなお上位ランクの一人行動だと感じている。今思えば、少年だったあの頃の読書の時間はこの上ない贅沢だったなと思う。冷房の効いた部屋で時間を気にせず読書。読書とは贅沢な“活動”なのである。
そんなこともあり、「夏こそ読書だ!」ということで、いくらかの本について(特に夏場は注力的に)語っていきたい。尚、読書は一年中いつでも良いものだ。
今回ご紹介する作品は恩田陸「まひるの月を追いかけて」である。
恩田陸は日本の女流作家である。代表作は「六番目の小夜子」「夜のピクニック」「ネバーランド」等が挙げられる。そして、2017年に直木賞と本屋大賞を受賞した「蜂蜜と遠雷」によって、更に日本を代表する作家の一人として確固たる地位を確立したことは言うまでもないだろう。(失敬、自分は実はまだ「蜂蜜と遠雷」は読めていないのである。必ず読む。)
“ノスタルジアの魔術師”という異名を持ち、どこか懐かしく、そしてもどかしく、まるでセピア色の情景を思い浮かばせるような郷愁漂わせる描写が恩田陸作品の魅力の一つである。私は高校生の頃に「夜のピクニック」や「図書室の海」といった作品に触れ、そこから恩田陸の虜となる。冴えない高校生活を送っていた私には、恩田陸の文章が持つ淡く幻想的な雰囲気がどこか心地良く、それは私を美しい仮想と想像の世界へ誘ってくれたのだ。また、その当時メジャーデビューし、よく聴いていたロックバンドBase Ball Bear(めっちゃ好きです)のノスタルジック溢れる詞世界とも相まって、高校時代は特に「文学」といったものが自分の中で重要で魅力的なものとなった。ズブズブとその世界に身を埋めることとなった。当時の私にとって高校の図書室はまさに優雅な海であった。
“ノスタルジアの魔術師”の異名故に、学生の登場人物が主軸となる作品がパブリックイメージではあるが、実際はファンタジーにミステリー、ホラーテイストに恋愛小説等、幅の広い世界観の書き分けができるオールジャンル作家である。そのバラエティの多様さによって、どの作品を読んでもまるで飽きることなく新鮮に楽しめるのである。
恩田陸当人も大の読書家ということもあり、いかにも優等生的な“巧い”作家の印象を持たれると思われるが、実験的かつ冒険的な作品もいくつか存在し、物語が作中の登場人物同士の質問と回答のみで展開されていく「Q&A」や、東京駅を舞台に、互いに見知らぬ二十七人と一匹の登場人物が運命の歯車によって一つの終着点へひた走っていく「ドミノ」と、小説というメディアに新たな刺激をもたらしてくれるのも大きな魅力の一つであろう。
恩田陸は私の中では三本指に入る、とても大好きな作家だ。しかし、あくまでも個人的なところではあるが、作品によって登場人物への感情移入がし難いことが時として存在する。途中で読み止めた作品もある。まあそんなことも中にはね…。
そして本題の「まひるの月を追いかけて」であるが、これは特に突出して取り上げられるような作品(またその知名度)ではないとは思う。しかし、私はこの作品の世界観が非常にツボであり、何度も読み直している。
奈良を舞台とした、ある種の特殊なヒューマンドラマである。最初に言うと、決してこれは垢抜けたストーリーでは無い。ぶっちゃけた話、クライマックスに関しても読む人によっては脳内にクエスチョンマークが浮かぶだろう。かなり評価が分かれる作品であろう。ただ、私にとってはこの全体的に湿り気のある独特の雰囲気が堪らないのである。
これは恩田陸の得意技とも言えるが、登場人物の二名は異母兄妹である。この設定が良い味を出してくるのである。故に物語序盤の不透明さと、徐々に真実が明かされていく展開が面白く、入り込んでしまうのである。決して華があり、特別な何かがある登場人物では無いのだが、彼らについて“知りたくなる”不思議な引力がそこにはあるのである。
そして作品を通して、我々日本人にとって共通に大切とするマインドが存在するであろう、古き良き奈良の情景が次々と脳内で再現されていくのだ。これがまた堪らないのである。とは言え、私はそこまで歴史に詳しくは無いし、とりわけ特別な思い入れが奈良にあるわけでは無い。しかし、その文章は引き込まれるものがある。丁寧な描写。魔術師・恩田陸の手腕であろう。奈良に行きたくなってしまうのだ。どこか危うげで鬱蒼とした、ミステリアスな雰囲気を味わいたくなるのだ。
そもそもまずタイトルが良いですよね。真昼の月。気にして見上げる人はどれだけいるだろうか。そんなマイノリティさを誘うところが、作品の浮世離れした世界観ともマッチしているのである。
とにかく、好きで堪らない一書である。雰囲気重視ではあるが、確実に読書における恍惚は味わえることであろう。
ではまた!