アッチの街の片隅から愛を込めて

迸るほどの愛を込めて、濃厚かつ丁寧に音楽その他色々を語ります。

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夏の奇跡~A Miracle In The Summer~

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長ーい梅雨が明けてからはシンドイくらいに暑い真夏の日々が続くが、これが非常に堪らないのである。待っていたよと。夏、待ってましたよと。そんな気分である。夏を抱きしめたいのである。夏が好きである。というよりも、夏が好きになってきている自分がいるのである。特に理由は分からないが、ハッキリと昔は夏が苦手だった。眩しい夏の日々こそ、閉じ籠っていたかったのである。

 

時代の変化もあるだろう。手元には便利すぎるほどのスマートフォンがあって、人と連絡を交わしたり、刺激的な情報を得たり色々とできる。自分が子どもの頃に比べると、可能性という意味では1と100くらいの違いで広がったと感じる。

 

とは言え、精神的な変化もあったのだろう。外に出れば一気に眩しい日差しが全身に襲い掛かるわけだが、それを受けては「チクショー!あっちぃなー!最高!」みたいな心境になるのである。まあ夏は短いのである。とても短いのである。普段無い季節なのだから、浴びていきましょうよと。熱中症に気を付けながら。しかし今年はあちこち行けませんですけど…クソコロナ!!

 

 

 

ある日、ブログ用の資料探しの為に図書館へと向かった。まだ陽が明るい夏の夕刻。夏を肌に感じながら、軽快に自転車を漕いでいたのである。

 

目的の図書館近くの住宅街を走っていると、目の前に犬の散歩をする人がいたのである。それは別になんてことのないありふれた光景であるが、一つ確実に違和感を覚えることがあったのだ。

 

犬が物凄くデカいのである。もはやbigを越えてhugeである。つい心の中で「デッカァ!」と言ってしまった。散歩していたのは女性の方であったが、犬を直立させて比べようならば、その人と同じくらいの大きさはあるだろう。あまり見慣れない犬で、自分は犬種に関してはあまり詳しくないので何犬かは定かでは無かったが、全身がフワッフワもといファッファの白い毛で覆われ、非常にキュートな犬であった。可愛らしく、のんびりと飼い主さんと街を闊歩していた。

良いものを見たなと。ちょいとばかしテンションが上がったのである。

 

 

 

やがて図書館に着く。子どもの頃から通っているので、慣れた足取りで目的のコーナーに向かい本を物色する。一応しっかりと記事として書く前に資料の再確認をしているわけですよ。まさに抜かりの無い男である。目的の本はすぐに見つかり、借りて帰ることにした。

 

 

ついでで買い物を済ませ、自宅へ戻る。家に着こうとした、その時であった。

 

 

近所の家の扉が開き、そこから出てきたのはまたもや物凄くデカい犬であった。しかもほんの数十分前に遭遇した白い犬と殆ど同じような見た目の犬であった。一瞬、同じ犬が再登場したのかと目を疑うレベルであった。

 

 

 

一日に二度、くそデカい犬に遭遇する奇跡…夏だね。

 

 

 

ではまた!(終わりかよ!)

 

 

夏こそ読書だ!2020 岸川悦子「青い部屋」

青い部屋

 今回ご紹介させていただく一冊は岸川悦子「青い部屋である。

 

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なんか夏っぽいでしょ?と言いたい。タイトルからまず惹かれるのである。そしてどこか物憂げで意味深な表紙。確か中学生の頃に地元の図書館でたまたま見つけて借りて読んだ記憶がある。以降、ふと読みたくなった時に図書館で借りては読んでいる。

 

カテゴリーとしては児童小説である。子どもが読解しやすい言葉遣いとボリュームであり、かつ多感な思春期の少年少女たちに捧げられるメッセージ性の利いた内容となっている。しかし、重厚かつ綿密に書き上げられた一般小説よりも、児童小説こそがよりストレートに刺してくるものがあるのである。柔らかな語りかけと、逆に深くは語り過ぎない物語、そこに我々の心情が自由に入り込む余地があるからかもしれない。そして何よりも、文字が大きいので読み易いのである。活字が不得意な方は児童小説から入ってみるのも良いだろう。

 

 

家族間のすれ違いによる軋轢と、その再生を描いた物語である。小学六年生の徹という男の子が主人公である。彼は、厳格な父親とのコミュニケーションが上手くいかず、やがてノイローゼとなり心身ともに朽ち果ててしまう。性格や考え方の不一致が生じながらも、やがて少しずつ歩み寄り徐々に互いの気持ちが分かってきて…といったところである。また、それらを取り巻く徹の母親と妹、徹のカウンセラーらが彼の心を右往左往に揺さぶり、動かしていくのである。

 

青い部屋」なんていう爽やかで夏っぽい内容を想起させるタイトルであるが、実際のところは割と暗いものなのである。現実において私は小学生時代より母子家庭で育っており、一般的な父親という存在についてあまり理解していないところがあるが、主人公・徹の心の孤独感や不安感といったものには非常にシンパシーを覚えるものがあった。私自身の精神が不安定だった時期もあったので、たとえ徹と立場や理由が違くとも胸に押し寄せてくる感情の波があったのである。

 

当然ハッピーで楽しく愉快痛快な物語を味わった方が、精神的には良いと思う。しかし、こういった陰の要素も含み取ると、より自分の考え方や人生に起伏が生まれて良い意味で複雑なものになってくるのである。色々な感情が生まれ混ぜこぜになることが刺激的であるのだ。実際、単純に好きなだけなんですけどね。笑

 

読んでいて自然と泣けてしまうのである。胸にチクリとくるものはあるが、やがて垣間見れる希望の光と少しずつ開いていく徹の世界に、いつの間にか私の涙は垂れ落つるのだ。あまり解らねえやって方も当然いると思うが、ちょっと一人で物思いに耽りたいような、そっとしていて欲しいような気分の時にはこの作品から何か得られるものがあると思う。

 

 

というわけで「青い部屋」、全年代にお勧めでございます。ご興味があれば是非とも御一読をば!

ではまた!

 

 

青い部屋

青い部屋

 

 

安藤裕子「サイハテ」アッチが愛してやまない1曲その6

 

誰しもが、心の中にずっと残っている思い出の一曲があるはず…音楽とは人生だ…。

 

ーアッチ・カタスミーノ(1989~)

 

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今回ご紹介させていただく1曲は、安藤裕子「サイハテ」である。当コーナー初の女性シンガーソングライター楽曲である。

 

サイハテ

サイハテ

  • provided courtesy of iTunes

 

暖かく、どこか幻想的な浮遊感を纏った雰囲気が魅力の安藤裕子である。正直私はそこまで詳しく知らない(結構こういうパターンはございます)。ただ、「サイハテ」という曲に関しては非常に狂おしく好きなのである!

 

 

2013年リリースのアルバム「グッド・バイ」の収録曲である。

ピアノ・ドラム・ベースのトリオ編成を基調としたアンサンブルをバックに繰り広げられるアップテンポなナンバー。編成自体はシンプルでありながらも、シンプル故に個々のサウンドが力強くぶつかり合い、生々しいグルーヴがビンビンに感じ取れるのである。

 

イントロ、ピアノの一音目で脳天がヤラれるのだ。まるで鮮烈な真夏の閃光が差し掛かるような、眩しい光とともに一気に新世界が開いていくような感覚になるのだ。そして、このサウンドとどこまでも行けるような気分になるのだ。

鍵盤がハネッハネなのが最高に気持ち良い。こういうの完全に私のツボです。躍動しているのである。ハネてればハネてるだけ良いですからね。

 

1曲を通して繰り広げられる“静と動”もとい抑揚がまた美しいのである。これもまたシンプルな編成で一つ一つのサウンドが明瞭だからこそより活きてくる部分であり、まさに生物のような“呼吸”がそこには感じられるのである。

そして安藤裕子のボーカルが激情的に刺さる。儚さと力強さが共存した幻想的な楽曲の世界観を見事に表現しているのである。

 

とにかく全体的に雰囲気が最高。センチメンタルでありエモーショナルであり、どこか覚束ない子どもの頃に還るような気持ちになれるのである。

 

 

安藤裕子自体はそんなに聴かないのだが、この曲をこんなに愛すようになったのは出会いが素晴らしかったからである。忘れもしない、2014年のROCK IN JAPAN FES.に一人で参戦した時のことである(一人フェス参戦はデフォです)。初めて観た矢沢の永ちゃんが圧倒的なオーラとカリスマ性でシビれさせ、我がアジカンNUMBER GIRLの「透明少女」をカバーし、正直そんな周りがあまりピンと来ていない中、心の中で私を大興奮をさせたあの日だ。(イントロ鳴ったコンマ0.2秒でシビれたわ)

 

自分はフェスに関してはあまりフェス的な楽しみ方をしないというか、かなり目的のアーティストを絞ってから観に行くタイプなので、その場での新しい音楽との出会いみたいのものはそんなに求めていないところがあるのだ。しかしそんな中、たまたま移動中に心地良いピアノの音と、それをバックにパワフルに歌う安藤裕子の歌が耳に入り、「むむっ、何だこの曲は」となったのである。揺さぶられたのだ。そして後日セットリストを確認し、この「サイハテ」に辿り着いた次第である。出会えて良かったなと。

 

そんな出会いもあり、また曲の世界観もあり夏のイメージが強い1曲である。

是非ともご一聴あれ!

ではまた!

 

グッド・バイ

グッド・バイ

  • アーティスト:安藤裕子
  • 発売日: 2013/10/02
  • メディア: CD
 

 

 

夏こそ読書だ!2020 森博嗣「奥様はネットワーカ」

 

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読書のどこが好きなのかと言うと、あらゆるエンターテイメントの中でも文学は“能動的な姿勢を持って臨まなければならない”からである。

音楽、映画・ドラマといった映像作品、またはお笑いや演劇。それらは音と言葉と画(絵)という情報によって生み出されるものであり、人間が持つ感覚に直に訴えかけて入り込んでくるものである。情報の具体性がハッキリとしているのだ。

比べて活字となると、そこには文字の羅列しか用意されていないのである。読み手は自らで情報を汲み取り、咀嚼していかなければならない。

また“時間の支配の有無”が、文学とその他のエンターテイメントでの大きな違いである。音楽や映画は時間を支配する。始まれば、音や映像がその輝きを放ちながら終着点に向けてひた進むのである。反対に、活字は時間を支配しない。ページを捲りだす意思とその手がなければ、始まろうともしないのである。そんなある意味で無愛想な文学という芸術に、私は面白みを感じるのである。それを紐解く行為こそが読書である。結果として、読書は私に大きな充実感と恍惚を与えてくれるのである。

 

 

読書って本当に素晴らしいものですねぇ~!

(滲み出る無理矢理感)

 

 

 

 

今回ご紹介する一冊は、森博嗣奥様はネットワーカである。

 

奥様はネットワーカ (ダ・ヴィンチブックス)

 

森博嗣も日本を代表する作家の一人である。著書のすべてがFになるは日本ミステリー界の名作としてよく話題となり、ドラマ化にアニメ化といったメディアミックスもされている。

 

言うてそんなに森博嗣作品は読み漁ってないのである。

工学博士でもある森博嗣の文体は非常に独特で、私は「読んでいると自分の頭が良くなっている気にさせる作家」と勝手に捉えている。脳を捏ね繰り回されるような比喩表現と叙述トリック、そして聞き馴染みのない理系的専門用語の数々が待ち受けているので、慣れがないと難しいというか嫌になってしまうのである。笑 気合いを入れる必要がありますよ、と。逆を言えば、インテリジェンス満載で小難しい内容が好きな人は大好きだろうし、それがもたらす充実感は半端がないのだろうと思う。時間と気持ちの余裕がたっぷりある時に読み進めたい作家である。

 

とは言え、この「奥様はネットワーカ」はめちゃくちゃ読み易いのである。これもまた私が高校生の時に、学校の図書室で発見して、タイトルと表紙に惹かれ読み始めたのが出会いである。

 

舞台は大学の工学部。教授や秘書等、6名の登場人物がそれぞれの視点で一つの事件を追っていくミステリーである。

一般的な小説と異なるのは、構造上各登場人物の視点が次々と切り替わりながら、小間切りでストーリーを読み進める形となってので、長い文章をひたすらに読むのが苦手な方でもイケるのである。読み易い。

 

そしてもう一点、イラストレーター・コジマケン氏の素敵なイラストとのコラボレーションが大きなポイントなのである。カラフルでポップで、しかしどこか不思議さを感じさせるタッチが、森博嗣が作り出す物語の奇妙な雰囲気と抜群にマッチしている。細かい線の描き込みで成り立つ絵、非常に好きだ。最高のコラボなのだと感じる。

 

そして読み進めていくと、途中しっかりと叙述トリックが効いていて、思わず“あれ?”ということになるのだ。これが楽しいのだ。しっかりと騙されてください。

 

 

活字とイラストのダブルの刺激で楽しめる、独特な一冊。是非とも!

ではまた!

 

 

 

Janne Da Arc「feel the wind」アッチが愛してやまない1曲その5

 

誰しもが、心の中にずっと残っている思い出の一曲があるはず…音楽とは人生だ…。

 

ーアッチ・カタスミーノ(1989~)

 

今回ご紹介させていただく1曲は、Janne Da Arc「feel the wind」である。

 

 

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言わずと知れたヴィジュアル系ロックバンドの雄、Janne Da Arc。特に活躍した2000年代は彼らの時代と言っても過言ではないだろう。ルックスの良さもさることながら、メンバー5人それぞれの卓越された演奏力と歌唱力、そしてVo.yasuによる、V-ROCKとJ-POPの垣根を越えたキャッチ―なメロディが光る楽曲は、音楽ファンのみならず多くの人々の心を掴んだのである。

 

代表曲の「月光花」や、「霞ゆく空背にして」「ダイヤモンドヴァージン」等、誰もが聞いたことがあると思われる曲が多く存在するが、特に私が狂おしく愛おしい曲が「feel the wind」である。

 

feel the wind

feel the wind

  • provided courtesy of iTunes

 

 

2001年12月avex traxよりリリース。Vo.yasu作詞・作曲のポップナンバーである。リリースから数年後、私が高校生くらいの頃に確か弟の影響でこの曲に出会った記憶がある。

 

非常に堪らない1曲である。爽快で澄み切ったストリングスの音色が楽曲全体を彩る。「別れと新たな始まり」が表現されている曲であるが、ストリングスの音色の美しさと力強さによって、より一層“旅立ち”を歌う楽曲の世界観が鮮明に浮かび上がってくるのだ。

 

軽快な四つ打ちのリズムと見事に絡み合う。裏打ちのハイハットの音がまた綺麗なのである。これは一種のフェチポイントであるが、是非聴いてご理解いただければ嬉しく思う。

そしてBメロやサビ前におけるリズムのキメが良い味を出しているのである。この曲の主人公の、心揺れ動きながらも前へと進む切ない心情をドラマチックに表しているのである。

 

リズムとテンポ感、メロディに演奏どれもが私のツボを突いてくるのである。先述のように、まさに“V-ROCKとJ-POPの垣根を越えた”1曲なのである。一般的なヴィジュアル系バンドの曲では、マッドでブラッディでセクシュアルでどこか危険な雰囲気が漂うことがよくあるが、ここまで爽やかでポップで、淀みないメジャースケールで作られたこの曲はその要素を全く感じさせないのである。そのような曲を生み出せることがJanne Da Arcの魅力であり、強味であるのだが。

そして何よりもyasuの歌声が素晴らしい。堪らない。

 

ラストのサビにおけるダメ押しの半音上げで、いよいよ絶頂を迎えるのである。もはや卑怯なレベルである。しかし、最強すぎるのだ。半音上げ転調は、いとも簡単に更なる盛り上がりを作れる一種のドーピングアレンジだと私は思っているが、「feel the wind」に関しては正しいと言わざるを得ないのである。ドハマっているのである。

そしてカラオケでこの曲を歌う私の喉も絶頂(と言う名の絶望)を迎えるのだ。高いよ…。

 

ポップソングは“歌いたくなる”という要素もとても重要だと感じるのだ。

故にサビの「I feel in the wind, the wind in the sky Without your love」における語感の良さ、声に出したさみたいなところが名曲たる所以をより色濃くしているのだ。耳に残るメロディと歌詞、素晴らしいのでございます。

 

しかしながら、長い活動休止期間からの2019年突然の解散劇はショックなものがあったわけで…ファンの方は心底ガッカリだったのではないだろうか…。

 

ともあれ「feel the wind」夏にもピッタリな1曲ではないでしょうか。是非とも皆さんもご堪能あれ。

ではまた!

 

 

Singles by Janne Da Arc (2003-09-18)

Singles by Janne Da Arc (2003-09-18)

 

 

 

 

モノ申す「チー牛とnote」

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ここ最近急激にブームとなっているネットスラング「チー牛」という言葉がある。私もそこまで深く詳しくは理解していないのだが、冴えない風貌の男性が「三色チーズ牛丼の特盛り、温玉付き」を注文しているという、どこの誰が描いたのか分からんイラストがネット上で一部的にハネてしまい、「(略)チーズ牛丼を注文するような人間は大体陰キャ」みたいな風潮が生まれてしまったのである。(詳しくは各自でお調べいただけると助かります。)

 

いやはや、クソですよねこれ。

 

 

まず言えるのが、この現象はネットの悪いところというか、嫌なエグみが出てしまっているのである。無責任な投稿とその場の適当な共感。なんだろうか、俗に言う陰キャってものはそんなに世間にとって歪な存在ですかね、と。見知らぬ誰彼たちが嘲笑すること自体が可笑しいのではないかと。見えていない社会の底の部分に潜む、誰が生み出したのか分からない身勝手な優劣がネットを介して顔を現してしまったような、妙な気持ちの悪さを感じる。

 

そもそも別に誰が何を食べようが自由なわけであって、好きなものを好きな時に食べる幸福を侵害しているような表現が腹が立つのだ。

 

例えばだが、見るからに美と健康に命かけています的な意識の高い女性がいたとして、周りから「あの人はオーガニックな物しか獲ってなさそうよね」みたいなことを言われるのとでは訳が違うと思うのだ。つまりは「確立されたオーガニック女性像」である。その印象を周りにもたらす為の条件がその人に備わっているか否か、といったことである。これはあくまでも例え話である。諸々をイーブンにする為にわざわざ書いている。

 

つまり、ただ陰キャっぽい男性を捕まえて「所詮こういう人間がチー牛食うんでしょ」といった見解が暴力的に見えてしかたないのだ。そこにストーリーが無いのである。“筋肉隆々の男性は鶏ササミとゆで卵を愛食している”といった、人物と食べ物の関連性がまるで感じられない。全く的を得ていなければ、面白くないですよと。そう、面白くないのだ。

 

あと自分は食事がとても好きなので、余計に解せないのである。ある種の自由を奪うようなネット上の盛り上がり方であるなと。本当に解せない。

 

 

 

話は変わるが、noteと言うクリエイター向けのコンテンツ投稿サービスが存在する。こういったブログの文章や写真に動画等をnoteを介して投稿し、場合によっては“販売”といった形で利益を得ることができるというものだ。流行ってきているのか、目にすることが多くなってきている。

 

人それぞれではあると思うのだが、私はnoteなんかやりません。

 

価値観的なところもあると思われるが、ブログなんてものは無料で誰でも好きな時に読めてナンボですよね。文章のプロでも有名人でも無ければ尚更で。

例えば、少し文章書くのが得意であったとして、それ使ってちょいとばかし小銭稼ごうなんてことはどうも違うと。勿論、それによるモチベーションの変化等々はあるとは思うが。

 

まあこれもわざわざ書くことでもないと思うのだが、生きていると色々思うことがどうしてもあるのである。

 

あくまでも一つの意見として。ではまた!

 

 

夏こそ読書だ!2020 恩田陸「まひるの月を追いかけて」

まひるの月を追いかけて (文春文庫)

 

“読書の秋”という、我々日本人に非常に馴染みの深い粋な言葉があるが、私にしてみれば“読書の夏”の方がしっくりくるのである。例えば誰もが幼い頃、夏休みの宿題の読書感想文を書くためにわざわざ課題図書を読んだ経験はないだろうか。突き刺さる真夏の日差しから逃れるために、近所の図書館を避暑地にしたことはないだろうか。そのような場面を思い出すだけでもエモーショナルな気持ちになれる、夏の記憶の一片である。

 

そもそも当時の私はそこまで活発な少年ではなかったので、夏休みと言えば冷房の効いた自宅か図書館で一人大人しく読書を愉しむのが関の山であった。むしろそれを望んでいた側面もある。そもそも自分は一人の時間が好きである。そこに綴られた文章に脳内による思考と想像を巡らせ、作品の世界に浸る時間は、私にとって至高であり、今もなお上位ランクの一人行動だと感じている。今思えば、少年だったあの頃の読書の時間はこの上ない贅沢だったなと思う。冷房の効いた部屋で時間を気にせず読書。読書とは贅沢な“活動”なのである。

そんなこともあり、「夏こそ読書だ!」ということで、いくらかの本について(特に夏場は注力的に)語っていきたい。尚、読書は一年中いつでも良いものだ。

 

 

 

今回ご紹介する作品は恩田陸まひるの月を追いかけて」である。

 

 

恩田陸は日本の女流作家である。代表作は六番目の小夜子」「夜のピクニック」「ネバーランド等が挙げられる。そして、2017年に直木賞本屋大賞を受賞した「蜂蜜と遠雷」によって、更に日本を代表する作家の一人として確固たる地位を確立したことは言うまでもないだろう。(失敬、自分は実はまだ「蜂蜜と遠雷」は読めていないのである。必ず読む。)

 

ノスタルジアの魔術師”という異名を持ち、どこか懐かしく、そしてもどかしく、まるでセピア色の情景を思い浮かばせるような郷愁漂わせる描写が恩田陸作品の魅力の一つである。私は高校生の頃に「夜のピクニック」や「図書室の海」といった作品に触れ、そこから恩田陸の虜となる。冴えない高校生活を送っていた私には、恩田陸の文章が持つ淡く幻想的な雰囲気がどこか心地良く、それは私を美しい仮想と想像の世界へ誘ってくれたのだ。また、その当時メジャーデビューし、よく聴いていたロックバンドBase Ball Bear(めっちゃ好きです)のノスタルジック溢れる詞世界とも相まって、高校時代は特に「文学」といったものが自分の中で重要で魅力的なものとなった。ズブズブとその世界に身を埋めることとなった。当時の私にとって高校の図書室はまさに優雅な海であった。

 

 

ノスタルジアの魔術師”の異名故に、学生の登場人物が主軸となる作品がパブリックイメージではあるが、実際はファンタジーにミステリー、ホラーテイストに恋愛小説等、幅の広い世界観の書き分けができるオールジャンル作家である。そのバラエティの多様さによって、どの作品を読んでもまるで飽きることなく新鮮に楽しめるのである。

 

恩田陸当人も大の読書家ということもあり、いかにも優等生的な“巧い”作家の印象を持たれると思われるが、実験的かつ冒険的な作品もいくつか存在し、物語が作中の登場人物同士の質問と回答のみで展開されていく「Q&A」や、東京駅を舞台に、互いに見知らぬ二十七人と一匹の登場人物が運命の歯車によって一つの終着点へひた走っていく「ドミノ」と、小説というメディアに新たな刺激をもたらしてくれるのも大きな魅力の一つであろう。

 

 

恩田陸は私の中では三本指に入る、とても大好きな作家だ。しかし、あくまでも個人的なところではあるが、作品によって登場人物への感情移入がし難いことが時として存在する。途中で読み止めた作品もある。まあそんなことも中にはね…。

 

 

 

 

そして本題の「まひるの月を追いかけて」であるが、これは特に突出して取り上げられるような作品(またその知名度)ではないとは思う。しかし、私はこの作品の世界観が非常にツボであり、何度も読み直している。

 

奈良を舞台とした、ある種の特殊なヒューマンドラマである。最初に言うと、決してこれは垢抜けたストーリーでは無い。ぶっちゃけた話、クライマックスに関しても読む人によっては脳内にクエスチョンマークが浮かぶだろう。かなり評価が分かれる作品であろう。ただ、私にとってはこの全体的に湿り気のある独特の雰囲気が堪らないのである。

 

これは恩田陸の得意技とも言えるが、登場人物の二名は異母兄妹である。この設定が良い味を出してくるのである。故に物語序盤の不透明さと、徐々に真実が明かされていく展開が面白く、入り込んでしまうのである。決して華があり、特別な何かがある登場人物では無いのだが、彼らについて“知りたくなる”不思議な引力がそこにはあるのである。

 

そして作品を通して、我々日本人にとって共通に大切とするマインドが存在するであろう、古き良き奈良の情景が次々と脳内で再現されていくのだ。これがまた堪らないのである。とは言え、私はそこまで歴史に詳しくは無いし、とりわけ特別な思い入れが奈良にあるわけでは無い。しかし、その文章は引き込まれるものがある。丁寧な描写。魔術師・恩田陸の手腕であろう。奈良に行きたくなってしまうのだ。どこか危うげで鬱蒼とした、ミステリアスな雰囲気を味わいたくなるのだ。

 

そもそもまずタイトルが良いですよね。真昼の月。気にして見上げる人はどれだけいるだろうか。そんなマイノリティさを誘うところが、作品の浮世離れした世界観ともマッチしているのである。

 

 

とにかく、好きで堪らない一書である。雰囲気重視ではあるが、確実に読書における恍惚は味わえることであろう。

 

 

ではまた!

 

 

まひるの月を追いかけて (文春文庫)

まひるの月を追いかけて (文春文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2007/05/10
  • メディア: 文庫